2016年06月03日

084:生活スタイルの見直しを!

 昨年、左目の網膜剥離で入院治療し、退院の際に激しい運動を避けるように注意されていたので、それに甘えて、慈温堂への通勤はしばらくファミリーバイクか電車を使っていました。

 今年の4月になって久しぶりに自転車通勤を開始しようとして自転車に乗りましたが、自分の体力の低下に思い知らされました。以前、自転車通勤に慣れていた時は慈温堂までの道のりは比較的平坦か下り坂だったので、なんなく通勤できていて、帰りがいくつかの坂を登るのに一苦労し、家の近くの勾配のきつい坂では少し息を切らしながらの押し歩きで、それなりの運動と感じていました。
 今回は怠けていた期間が長かったので、慈温堂までの道でさえ、きつく感じて無事に行けるのだろうか?というわずかな不安が心をよぎり、帰りは案の定、かなりきつい状態に陥ってようやく家にたどり着くという有様でした。
 そこで、次回は妻の電動アシスト車を借りて通勤することにしました。前も一度借りて試し乗りをしたことがありましたが、その時は普通の自転車を普通に乗れていたので、「まぁ多少は便利かな」くらいの評価で終わっていました。しかし、この度はこの電動アシスト車の有り難さを心の奥底まで感じることになり、手放せないものになってしまいました。大体の道は電動アシストを使わずに走っていればいいのですが、かなり長めの坂やきつい勾配の坂に出会った時にしばらくは電動アシストを使わずに自力であがいて走れるだけ走り、限界に来たときにスイッチオンでラクラクと加速されていきます。ギアの違いで無理のない多少の負荷を感じながら走ることもできるので、お年寄り(?)にはかなり重宝するものです。本当に便利な物が世の中にはあるものです。

 思えば、私が医者になったばかりの時にそれまで親にはさんざん世話になっていたのと、その頃、母が月のうち2週間は父親の世話で東京から大阪に来ていて、買い物に自転車を使っていましたが、このあたりは坂道も多く脚を悪くしている母には普通の自転車では大変だったようです。それを知っていたので、私の最初の給料でそのころ市場に出はじめていた電動アシスト車をプレゼントしました。「坂道でもちょっとこげば、スイスイと進んでいけるので、すごく楽になった」と言って、喜んでいました。

 遂に、その電動アシスト車の世話になるような年になってしまったのか?(まだ早いかなぁ)と少し心に引っかかるものがありますが、自分用の電動アシスト車を手に入れようと考えています。長男の自転車がちょうどボロボロになりかかっていたので、私の使っていた自転車をお下がりとして与え、自分用の自転車を買う十分な理由(・・・いいわけ)も出来ました。カタログを手に入れてみると今ではお年寄り用だけでなく、小さな子供を乗せるのに便利な仕様になっているママチャリや若い人にも使えるスポーティな仕様のものあり、選択肢も広く、どれにしようか迷っております。最も迷うよりも何よりも”先立つもの”がなく(この春は長男も高校生となり、勉強はそっちのけで、テニス部に入ってクラブ活動に明け暮れていて、入学金やテニスで必要な物など買わされ、いろいろと出費がかさんでいます)、しばらくは妻の自転車を使わなければなりませんが・・・。

 それにやはり、左目の網膜剥離後は夜の車の運転がやや疲れるようになり、苦手意識を持つようになりました。それと同時にバイクの運転もこれを機に離れておこうかという気持ちも生まれています。バイクの運転では今までも何回か危ない目にあってきました。少しアクセルをふかせばスピードがでるので自転車よりも危険ゾーンに入りやすいことは間違いありません。ちょうど、この間の点検の時に大分年月が経っていてタイヤはもう交換しておいた方がよい(まるまってきて、スリップを起こしやすい)ということも言われましたので、これも電動アシスト車と交換で廃車にしようかと思っています。まだまだ子供たちもこれからお金がかかるときなので、自分が怪我をするわけには生きません。そういうことも理由の一つではあります。やはりいつまでも若くはないので、予想される危険は出来るだけ離れておく方がよいでしょう。

皆さんも年齢がそれ相応になってきたら、生活スタイルの見直しも考慮されてはいかがでしょうか?

慈温堂遠田医院
遠田弘一
posted by ..... at 18:41| Topics

2016年02月26日

083:新年度の話題種々

 大分ご無沙汰しておりました。今春長男の高校受験のため、本人もそうですが、親も何かと忙しくしておりました。中学3年になって長男の成績が下がる一方だったので、志望高校進学も危ぶまれていた状況となり、塾も通わせると同時に私も受験勉強に関わり高校受験の問題を一緒に解いたり、解説したり、傾向と対策をまとめたりと55歳にもなって、高校受験に必死に取り組んでおりました。英語、数学はともかく国語、理科、社会を含めての受験となると私も進学できるかどうか分からない学力でした。まだ、公立高校受験が残っていますが、取りあえず本人も気に入っている私立校は何とか合格できたので、一安心といったところです。公立高校は本人が行きたい所が今の実力よりもはるかに上の高校なので、まぁ当たって砕けろ的な感覚で挑戦させる予定です。私自身の人生を辿ってきた経験から考えても長男がどの高校へ行こうとその子にとって必要な経験ができる縁のある方向に行くのだろうと思っているので、心の奥底では特に不安はなかったのですが、取りあえず、一つの進路が確保できたので、この数週間の生活は気持ちが楽でした。

 さて、インフルエンザが遅れて流行りだし、今はA型もB型も混在して出ております。
暖かくなるにつれ、収束に向かうはずですが、しばらくはお気をつけ下さい。
まだ寒いので、葛根湯で身体を温めるといいですよ。

 私も昨年の網膜剥離で初めての入院も経験し、自分の年をいやでも自覚する状況に追い込まれたので、仕事に関してもいろいろ思うことがあり、今年は慈温堂の診療日の若干の変更を考えております。慈温堂に関しては相変わらずの低空飛行ですが、なんとか継続していきたいと思っています。以前「平日ではなかなか受診ができないので、土曜日の診療はないのか」という遠方の方からの問い合わせもあり、私の勤務状況も少し見直してみましたが、 今の患者さんの受診状況であれば、 火曜日の午後診察をやめにして、隔週の土曜日に移行したらどうだろうかという考えが1ヶ月程前にふと浮かびました。スタッフにも相談したところ、遠方の患者さんも受診しやすくなるので、よいのではないかという賛同も得たので、早速4月からそのように動き出せるように準備しています。お知らせにも詳しい内容を記載するので、参考にしてください。

 さて、また話題を変えます。先日、妻がダウン症の書道家として有名な金澤翔子さんの母泰子さんの講演に行ってきました。そして翔子さんの数冊の本を買ってきましたので、見せてもらいました。本当に独特の力強いタッチでいろいろな言葉が書かれていましたが、思わず「そ〜だよな〜」と笑いとともに同意してしまった言葉がありました。それは「福は内、鬼も内」という言葉でした。そうです。福も鬼もそれぞれ何らかの役目があるため、存在しているのです。今までも折に触れ、述べてきた内容に結局もどりますが、良いと思える経験も悪いと思える経験もすべては必要な経験として現れてくるのだと感じます。福的様相も鬼的様相もこの世がこの世として存在するのには必要なのです。谷のない山を求めることもできないし、裏のない表のみを求めることも不可能なのです。最近は、何を見ても、何を聞いても、結局はそこを示しているように感じる思い癖がついてしまいました。しかし、世の中は感情が納得できない事柄が巨万(ごまん)とあります。世界で起こっている様々なゴタゴタや、新聞やニュースで目にする幼児や子供が巻き込まれる事件など本当に心が痛むことも多いものです。それでもとにかく、生がある限り、生きていくのみです。誰でもそうでしょうが、私としては私の目の前に現れる道をただひたすら歩むしかありません。
新年度になり、みなさんもそれぞれの道に進むことになると思いますが、本当は一瞬一瞬が新しい経験であり、新しい人生の歩みです。共に歩んでいきましょう。
また、取り留めの無い話になってしまいました。

(遠田弘一)
posted by ..... at 06:25| Topics

2015年09月01日

082:飛蚊症(ひぶんしょう)にご注意を!

 昨年から今年に入って現在に至までいろいろと厄介なことが立て続けに起こりました。中でも初めての大きな経験として左眼の網膜剥離による入院がありました。急なことだったので、ご迷惑をおかけした患者様もおられることでしょう。
 
 7月のとある水曜日の夜のことでした。いつもの趣味の電子工作に没頭していて、一息ついたので、1階に降りてお茶の用意をし、2階に戻り椅子に腰掛けた瞬間でした。何やら、目の前に黒い幾筋もの線状のものが浮かび上がりました。痛みも何もなく、まさにふっと湧いてでてきたようでした。思い当たることがあったので、左右の眼を交互に確認し、左眼の網膜に何かが起こったなとわかりました。というのも半年以上前から左眼にいわゆる飛蚊症という現象があったのです。眼球をさっと動かしたときに今までになかった虫のようなものが脇を飛ぶように見えていました。時期もちょうど蚊などがでる時期で、非常勤務のクリニックの内科外来の最中にパソコンを操作しているとき、はじめは「あっ、また蚊が入ってしまった(たまに風通しをよくするために近くの窓を開けることがあるので、たまに蚊が入ってしまうことがあります)」と思い、手で退治しようとしましたが、すばやい動きで逃げられていました。しかし、眼球をある動きをするたびに同じ方向に現れるので、飛蚊症と気づきました。まさに「蚊」という字が入っていて、言い得て妙です。
 飛蚊症は網膜病変の前段階で現れることがあるという知識はありましたが、まぁ小さいものでしたし、生理的現象もありますので、気にしないようにしていました。その後もそれ以上の目立った変化もなかったので、そのままほったらかしにしておりました。そうしたら、半年以上も経ってから、上記の事件がやってきてしまったのです。
そのことが起こった当日は、黒い糸くずが浮かんだもののしばらくすると中心からそれていき、やや眼の中にゴミが増えた感覚はありましたが、ある程度普通に見えていましたので、油断していました。もちろん眼科受診をするつもりでしたので、以前1日の使い捨てタイプのコンタクトレンズを処方してもらった眼科の受診カードをだして確認すると翌日の木曜日は手術日となっていて、普通の受診はできないようでしたし、金曜日は私も1日の仕事がありましたので、その次の土曜日がたまたま休みでしたので、午前中に受診しようと決めて、普通に過ごしておりました。木•金とも特に視界に変化はなく、土曜日に早めに眼科を受診しました。視力や眼圧測定というお決まりの検査が終わり、いよいよ先生に眼底を診てもらっていて眼球を左右に動かしていると「あっ、だめだこりゃ!」という一声。 説明を聞くと眼底の端の一部に裂孔が生じていて、その周りが浮腫んできている、つまり剥離が起こってきているとのことでした。もう少し早めに受診して小さい裂孔ならば、このクリニックでもレーザー治療が可能だったが、裂孔が大きくその先生の経験では手術になる可能性が大であり、今のところ見えているようだが、剥離が中心に進んでくると見えなくなるとのこと。もう2〜3日遅ければそうなっていたかもしれない、いずれにしろ、大きな病院を紹介しますと言われ、自分の家から近い近畿大学病院に紹介状を書いてもらいました。土曜日なので、近大も外来は午前中まででしたので、妻に電話し駅に迎えに来てもらい病院へ直行しました。無事に外来受診に間に合い、その日の担当の先生に眼底を診てもらったところ、「ん〜五分五分ですねぇ」と迷っている様子。別の先生にも診てもらいますと言って、もう一人の先生にも確認してもらい、何やら二人で相談していて、結果的には取りあえずこのままほっとくわけにはいかないので、裂孔の周りに大きめにレーザー治療をしてみますとのこと。剥離による浮腫のためレーザーでくっつくかどうか不明とのことでした。はじめに担当してくれた先生から治療を受けました。これは光凝固というもので、パッ、パッとフラッシュのような光が閃き、網膜を焼いていく治療です。連続して照射されると少しチクチクした痛みを感じますが、だいたいはまぶしいくらいで特にどうということもない治療でした。しかし、何せ同じ姿勢で眼を開けられたまま、ある方向を見続けながらの治療なので、やる方も大変でしょうが、やられる方も疲れてきて、また眠くなってきて、しばしば眼の力が抜けてしまい、そのつど頑張るように促されて継続し、ようやく終わったときは1時間近くかかっていたようで、「500発ほど打ちました。取りあえずくっついているようですが、この土日はできるだけ安静にして過ごしてもらい、また月曜日に確認させていただきます」とのことで、その日は終了。せっかくの土日でしたが、とにかく安静に過ごし、月曜日に再受診することになりました。

 月曜日の受診時の眼底検査後、先生がおっしゃるには「一応、くっついていますが、浮腫が残っているので、やはり五分五分です。今日は外来でベテランの上の先生が出ているので、そちらで診てもらいます」ということになり、外来の合間に確認してもらいました。慣れた手つきでほんの少し確認していましたが、「あっ、手術だ!」と鶴の一声。ベテランだけに決定も早く、たまたまその先生の午後の空いている時間があり、「ぼくが後ほど手術します。1時間半くらいで終わります」と言われ、即入となりました。

 結局眼科医の説明や後で調べてわかったことは、もともと極度の近視のため、網膜が薄く、また加齢により網膜の前のゼリー状の硝子体が変性し、それに引っ張られて網膜に裂孔が起こったとのことでした。網膜が薄くて一部に裂孔が生じるのは20歳代の若い人に多く、硝子体の変化で生じる裂孔は50歳以降が多いようです。

 手術はその変性した硝子体を取り除き、そこにガスを注入して網膜を押さえつけて安定させるというものです。ガスが抜けるのが2週間くらいかかるので、それまでは入院となります。ガスが抜けると自然に水がたまっていくようです。またこの手術をすると遅かれ早かれ、レンズが濁ってくることが多く、いわゆる白内障の状態になり、また再入院してレンズ交換になるので、この入院の時に一緒に手術してしまった方が何度も入院するよりよいとのことで、白内障の眼内レンズの手術も同時に行うことになりました。

 これらの一連の手術も実際に1時間半くらいで修了し、手術中の痛みはそれほどなく、むしろ手術前の眼のあたりに麻酔を注射されるときが一番痛かった感じです。術後の痛みもそれほど感じませんでしたが、何よりもつらかったのは注入したガスのため、入院中はうつ伏せ状態で寝なければならないことでした。上向きではガスが抜けてしまうためです。うつ伏せ用の呼吸ができるような専用の枕も用意されていましたが、2週間もの間うつ伏せ状態は腰は痛くなるし、寝返りのうてない辛いさは経験しないとわからないでしょう。午前中も起きていてもいいが、なるべく頭を下向きにしておくようにとの指示がありましたので、頭の重さが直接首筋から肩にかかり、もともと肩こりがあるので、さらにそれがひどくなり、湿布で過ごす日々でした。
 また、6人部屋に入院したため、いろいろな人たちがいて、普段はわからない人間の性状も少しは観察できました。一番困ったのは入院して1週間くらいして隣に白内障の手術で入ってきた方で、昼間は割と静かに過ごしているようでしたが、就寝時間を過ぎても何やらゴソゴソとやっていて(あとで何となくわかったこは、本や新聞やテレビなどで得た気になる情報を忘れないようにメモしているようでした)、ようやく寝たかと思ったら、しばらくするとものすごいイビキをかき始めるのでした。これはもう半端じゃないもので、おそらく部屋中の誰もが起こされ、迷惑になっていたと思われます。ひどいイビキがしばらく続いていて、その後徐々に静かになり、途中止まったようになったあとで、もの凄い音でむさぼるように息をするようなイビキ(睡眠時無呼吸だったのだろうか?)でそれはもうエライ経験でした。妻に耳栓を持ってきてもらうようにメールをしたところ、その人が無事退院した日の夕方に耳栓が届きました(白内障の手術は2泊くらいで済みます)。
 
 手術後、ようやく1ヶ月くらいが過ぎました。左眼は今のところ問題なく経過しておりますが、今の眼鏡との度があってないため、やや違和感があり、以前よりも何をしても疲れやすい状態です。やがて、眼鏡を新しくしないといけませんが、少し日を開けた方がいいようなので、我慢して過ごしています。

 私としてはとにかく初めての入院でしたので、遅ればせながら医者になって初めて患者さんの立場がわかる貴重な経験でした。

 最後に自分で深く身にしみて感じたことは、眼というのは何と大切なもので、普通に見えていることのなんと有り難いことかということ。また、今までにないちょっとした飛蚊症でも何か変わったことがあったら、早めに眼科受診することです。小さいうちなら、簡単な治療でなんとかなりますが、ほおっておくとそりゃ〜大変なことになります。私が保証します。

(遠田弘一)
posted by ..... at 06:10| Topics

2015年07月11日

081:もうひと踏ん張り楽しもうか

 真剣に暑くなってきました。いかがお過ごしでしょうか?
熱中症予防に使える五苓散(ゴレイサン)の有用な季節です。

 さて、前回のトピックで慈温堂閉院の方向を匂わす内容を書きました。実際にあのときは心はそのようなムードの中におりましたので、ありのままを書いたつもりです。しかし、その後じっくりと自分の今の状況を見直してみますと、今の生活スタイルが自分にとってはちょうど良い状況であるとつくづく思い始めました。

 この慈温堂の場所も気に入っています。駅に近く、自宅から自転車で通勤可能で、普段運動不足な自分にとっては適度な運動になります。また、西洋医学だけでなく、東洋医学という医療に携わるのは自分の中での医療のバランスということでも非常に大切な時間であると感じます。

 それにこのような医院を閉院するのは数十万円の費用でできますが、新たに開設しようとすると400〜500万円は軽くかかってしまいます。一度閉院してしまえば、後悔してももう二度と出来るものではありません。漢方治療を継続している患者さんや最近診た数名の新患の方々のことを思うと「まだ少しでもお役に立てそうなら、もうひと踏ん張りしてみようか」という気持ちに今は傾きつつあり、しばらく閉院は先延ばしにしてみようと思います。但し、生薬の原価は値上がりしていますので、診療費の見直しはしないといけなくなります。今すぐではないですが、秋頃には診療費の改訂もあるかもしれません。ご迷惑をおかけいたしいますが、ご了承ください。

 さて、最近自分は「非二元論」という考え方に分類される思想関係の本を数冊読んできましたし、現在も読んでいます。これは自分の今までたどってきた思想遍歴(実は遍歴するような「我」はいないようなのですが•••)の自然な帰結としてたどりついた方向に非常に合致します。それは今までのトピックにもそれなりに触れてきたことではあります。この考えが自分の中に浸透するに従い、様々な物事を深刻に捉えることが薄らいできた感じはあります。もちろん自分に与えられた性格として「捕われやすく、怒りやすく、悩みやすい」という気質はそのままあるので、まだ不快なことにも多く遭遇しますし、それにひっかかってしまう自分にも嫌気がさすこともあるのですが、そういったことすべてをひっくるめて「それでいいや」というような「あああだ、こうだと言っても始まらない」というような手放し的な感覚、今の大河ドラマのセリフにすれば、「せわぁ〜ない」(『花燃ゆ』での山口弁です。意味は大丈夫、Don’t mindというような感じ)でしょうか。このような感覚がどこかにあり、その感覚が優位になれば、またおだやかな日々に戻っています。自分が意図し、出来うることは一つもないということ。すべての物事は自ずと生じ、自ずと過ぎ去っていく。自分が何かできるとすれば、それはその瞬間に心に生じる思いに素直に従うことのみ。それは成功や失敗という観点でもなく、〜すべきことや〜すべきでないことという観点でもなく、「やむにやまれぬ大和魂」というような強い思いでもなく、大いなるものに自然に委ねるという有りようです。この考え方は何らかの信仰や信念を持っている人にはピンとこない内容でしょうし、おそらく興味もわかないでしょう。それはそれでいいと思います。

 私としては慈温堂に対しては上述したような心境になったので、それに従い、もう一踏ん張り楽しんでみようと思います。

(遠田弘一)

posted by ..... at 06:36| Topics

2015年04月26日

080:慈温堂30年の節目

 久々のトピックです。いかがお過ごしでしょうか 。
 新しい年度が既に始まっていて、そろそろ新しい生活に慣れてきた人もいれば、
生活状況が一新して覚えることや慣れていかなければならないことなどに追われ、目の回るような生活をしている人もいるかもしれません。ようやく気候も穏やかになり、というより少し暑い時もありますが、冬の寒い日よりも過ごしやすくなっていますので、何か新しいことをやるのにちょうどいい季節です。

 さて、慈温堂は数年来、赤字経営で経過してきています。3年前に難波ではやっていけなくなり、こちら大阪狭山市の方に引っ越してきたのですが、やはり「漢方煎じ薬の自由診療」という形態はなかなか経営するには難しい昨今であります。生薬の薬価もいままでに数回の値上げにあい、それに応じて慈温堂の診療費の見直しも2度ほどやりましたが、今年も5月より一部の薬価の値上げの通達がきています。消費税も2年後くらいには10%になることは皆さんもご存じの通りですし、生薬の薬価に関しては今後も値上げは施行されていくことは間違いありません。慈温堂もこの1年が見極める年と考えております。見極めるというのは診療費の値上げをするということではありません。慈温堂の存続自体をどうするかということです。

 慈温堂も父が院長となってからは既に30年以上となり、私が引き継いでからも10年以上経過しています。昔からの患者さんもまだ何人かおられますので、できるだけ継続したいという思いでやってきましたが、やはりそろそろ限界が見えてきた感じもあります。
今でも慈温堂の経営は自分の生活状況に食い込んでいますが、今後の状況としてもさらに食い込んでくることが予想されます。お恥ずかしい個人的な話ですが、家のローンもまだ大分残っており、子供達も成長とともにお金もかかってきています。住宅ローンの優遇措置も今年が15年目で最後となりますので、来年からはローンの返済を考慮すると生活状況がさらに厳しくなることが予想されます。というわけで、慈温堂のことも見極めるのは今年しかありません。今後も医院を継続するなら診療費の値上げは避けられませんが、おそらく値上げをすることが解決につながるとは思えません。基本的に患者さんの絶対数が少ないということが原因ですし、「漢方煎じ薬の自由診療」という条件ではなかなかこの診療を受けようとする人も少ないのでしょう。

 診療費の値上げは、今慈温堂を利用している患者さんに多大な負担をかけて、自分の生活状況にも負担をかけて経営していくということですので、かなり無理があります。また漢方診療はなにもうちだけがやっているわけではなく、たくさんの医院や薬局もあり、保険診療でできる所も少なからずあります。患者さんには転医というわずらわしさをおかけすることになりますが、治療の継続は可能と思われます。結局のところ、父から受け継いだ医院という私自身の思い込みだけのことかもしれません。まだ、今年1年はやっていきますが、本格的に閉院の方向としては秋頃からは考えて行かなければなりません。春、夏としっかり見極めていこうという決意です。
 慈温堂をご利用の皆様方には申し訳ありませんが、身近な所で、同様の診療が受けられそうな所を今から探しておいて頂きたいと思います。今の煎じ薬をそのまま継続できるのが望ましいですが、転医した場合はその医院や医師の経験などによっても変更となることもあるかと思います。またエキス剤でやるにはどういったものがあるかも継続している患者さんの治療内容を検討して出来るだけ似たような治療のやり方をお伝えできるようにしたいと思っています。

 新年度からこのようなやや暗い内容で申し訳ありませんが、これも時の流れですし、変化の一つの現れです。私個人としては、どういう方向であれ、また新たな世界の幕開けとと思っていますので、前向きに受け取っています。

(遠田弘一)
posted by ..... at 21:49| Topics

2015年01月21日

079:新たな変化に向けて

 かなり以前のトピックで「人生とは変化である」というように書いたと思いますが、これを改めて感じさせられる経験をしました。昨年の9月頃にある人との出逢いによって精神的にかなり滅入る出来事がありました(これはその人も関係することなので、詳しくは書けませんが・・・)。この出来事によって自分の心の中にある「人に対する不信感」ということに直面させられ、また自分はかなり物事に引っかかってしまい後を引く性格だということも改めて認識し、こういった自分のエゴに嫌気がさしている状況で日々を過ごしておりました。

 この数年来、うちと他の友達2家族で年末にスキーに行くことが楽しいイベントになっていましたが、今回のスキー旅行は友達2家族とも受験生を抱えていたり、その他諸々の事情でスキーは見合わせることになっていました。
 そんなわけで、「うちだけで行かなければならないなぁ〜」というちょっとした寂しさと不安が心にありました。というのも、私の記憶回路は何回も通っている道なのに何故かろくに覚えていないという構造をしていて、また妻からは極めつけの方向音痴という称号ももらっており、いつも友達2家族の後からただついていくというお気楽なドライブをしていました。ところが、今回は自分で道を間違わずに運転し、現地にたどり着かなければならないという状況が着実に迫ってきていましたので、そのような不安を感じておりました。12月に入り、忙しく過ごしていて、精神的にも上述した嫌な出来事に心が引っかかって集中力を欠いていたためか、ある日の夕方にその事件は起きました。

 自分の家の駐車場で車を少し入れ直したいと思い、いつものようにサンダルで車を動かしました。もちろん、どこかへ出かけるときはサンダルで運転はしないのですが、自分の家の駐車場で軽く移動するときは今までもサンダルでやっていました。ところが、今回はバックをしていて、さぁブレーキだと思って、ぐっと踏み込んだときになぜかこの日に限ってサンダルがひっかかってしまい、ブレーキを踏み込んだつもりがアクセルに足がかかって、そのまま車の後部が家のシャッターに追突しました。間には妻の使っている電動アシスト自転車を挟み込んで•••。

 その結果、車の後部の修理に約50万(自動車保険にて)、家のシャッターの修理に約16万、妻の自転車はその自転車人生(?)を終えることになりました。
得られた教訓は「車を動かすときは必ず靴をはけ!」•••••お高い教訓でした。

 また他日のことですが、子供が友達と家の前でサッカーをして遊んでいた際に、隣の家の電動で動くガレージのアンテナをこわしてしまうというおまけつきで、まったく厄払いとしか思えない昨年後半の一連の出来事でした。

 車の後部のみならず、スキーを目前にして私の心のヘコミかたも激しく、とても長い距離を運転する気力がでてくるとは思えず、私たちの家族もスキー旅行を中止しました。楽しみにしていた子供達には悪かったのですが、私としては自分を見つめ直す貴重な機会を得ることができました。

 この間に新たな本を読んだり、心を鎮めて瞑想する時間をもち、よくよく心の状態を見つめてみると気がつかされたことは自分の人生の流れが、なんとなくある停滞した状況にはまっていたということです。例えるならば、川の流れが本流からはずれて、ある袋小路にはまり込み、淀んでいるような状況です。それが上記の一連の出来事によって、引っ掻きだされ、本流に戻されたような感じです。本流の流れ、つまり変化ということに改めて気がつかされたような感じです。それに気づいたとき、上述した自分のエゴ的性格も含めこれら一連の出来事が大いなる存在から与えられた貴重な経験であるという認識に至ったのです。今では、それらが貴重な経験として立ち現れ、過ぎ去っていったということがよくわかります。人生は結局、こういったことの繰り返しのようです。成功も失敗も良いことも悪いことも流れの一局面として用意されていて、必然的にそれに立ち会わされるようです。
 まだまだ何度もこういうことがあるでしょうが、今の心境としては「とにかく現れるべき経験は必ず現れ、それに伴う自分の反応も与えられた性格に従って現れ、それによって考えさせられることは考えさせられ、新たな方向へ促されてゆくものである」ということです。この気づきが得られたこと、停滞している状況が打ち壊されたこと、それを有り難いと思える気持ちにようやくなれたことがうれしく、心が晴れ晴れとしています。

 晴れの日もあれば、曇りの日もありです。たとえ曇りの日でもその向こうは太陽が燦然と輝いていて、その雲が永久に太陽を遮っているわけではないことを忘れずにいればいいのでしょう。

 今家のトイレの中に私は詳しくは知りませんが、詩人であり、書家である相田みつおさんという方の言葉が書かれたカレンダーがかかっています。1月の言葉は「その時の出逢いが人生を根底から変えることがあるよき出逢いを」とあります。「よき出逢い」というのは「人との出逢い」のこともあれば、「出来事との出逢い」もあることでしょう。

 奇しくも、昨年に出会った人は、その時には、とても良き出逢いとは思えず、私にとっては反面教師としか見えないような人でしたが、今現在の視点から大きく見てみるとこれもまた「よき出逢い」になっていたようです。私の停滞している状況から本流に戻すために存在がそのように見せてくれた他者のようです。車での失敗も私の自覚を促すための出来事であり、これも「よき出逢い」でした。

 こうしてみてみると人生とは、こうした「よき出逢い」と「気づき」によって成り立つ大きなうねりであり、変化であるということです。出来れば、この視点を失わずにこれからの出逢いに立ち会いたいと思います。

(遠田弘一)
posted by ..... at 23:04| Topics

2014年11月21日

078:己(おのれ)こそ己の寄るべ

 先日、新聞に面白い記事があると妻がいい、読んでみると成る程と思える内容でした。下記に一部抜粋します(毎日新聞、11月19日朝刊の「人生相談」、回答者:白川道)。

相談:「娘は20歳で子供ができ結婚しましたが、5歳上の婿は別の女性と交際を始めました。その後「単身赴任になった」と家をでて別居状態。向こうの親からの借金も返さず行方不明です。ウソと現実逃避、離婚話もできない婿を改心させる方法はあるのでしょうか」
回答:「・・・、彼を改心させる方法はありません。そもそも改心は「させる」ものではなく、「する」ものなのです。他人に言われて改心するのは、したように見せる見せかけの改心でしかありません。・・・ある種の病といってもいいでしょう。・・・それを治すのは、もはや貴方の役割ではありません。彼自身が墜ちるところまで墜ち、自力で這い上がってこないかぎり、この病からは抜け出せないでしょう。・・・」

 実際の回答はもっと長いので、内容を正確には伝えられませんが、私が共感したのは上記の部分で、改心は「する」もので、「させる」ものではないこと。最終的には墜ちるところまで墜ちて、自分で気づく以外にないということです。

 ここで思い出したのが、学生のころに習っていた少林寺拳法の道場で、道訓として練習前に全員で唱えていた言葉があります。「道は天より生じ・・・、己こそ己の寄るべ、己を置きて誰に寄るべぞ。よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。・・・」というものでした。これは法句経に出てくる釈迦の教えの一説とされています。お釈迦様が亡くなるときに、「これからはあなた方は、自分自身を灯明とし、自分自身をよりどころとしなさい」と言ったとされていて、これがこのお経に含まれたのだ思います。

 本来、誰かが誰かを助けるということはできないものです。特に何か物の道理をわかるということについては・・・。理解というのは自分の中に生じるものであって、他者から与えられるものではありません。もし与えられても、それは結局自分の血や肉とはなっていないので、すぐに忘れ去られるか役立たないものでしょう。
先ほどの記事に妙に共感したのは、次元が異なるかもしれませんが、卑近な事情があるからです。

 自分は今、中学2年になる息子の勉強を手伝っています。ほっとくとゲームばかりやっているので、せめて朝の30分〜1時間くらいはきちんと勉強する習慣というものを身につけさせよう思い、朝食前の朝6時〜7時を使って勉強をみています。特に数学に関わっていますが、数学というのはただ答えを与えてもそれは当人にとっては、何の意味もなく、役立たないものです。身近で見ていると、何をどう考えているのかを少しは確認できますが、時々とんでもない方向に考えが行っていたり、こちらが簡単と思えることが、まるでわかっていなかったり、凡ミスをしていたりといろいろです。凡ミスならば指摘すれば済みますが、理解がともなっていないことになると、これを教えるのはそれほど易しいことではありません。こちらは遙か昔に通り過ぎてきたことであるし、自分の血となり、肉となっているので、よくわかるのですが、その理解を相手に生み出すのはどうやら自分の力では限界を感じることがよくあります。なるべく理解の助けになる周辺の方から説明し、かなりわかりやすく説明しているつもりですが、最終的には今ひとつ理解出来ていないときもあり、また、その時に何とか理解できたように思えてもしばらく後で同様の問題をさせても、まるで初めてみるかのような反応が返ってくるといささか気が抜けてしまいます。やはり、理解というのは自分で考え、苦労して結論に到達して、はじめて生み出され、また同じ課程を何度か繰り返すことでようやく血となり肉となるものです。そんな心境のときに見た記事でしたので、納得した次第です。

 一つ反省点としては、子供の理解が追いつかないことに度々イライラして声を荒げてしまうことです。思えば自分も同じ年頃の時に父親に教えてもらっていたことがあり、同様の状況で父が声を荒げて説明をしていたことがありました。傍らで聞いていた母が「そんなに怒って説明してもだめよ!ただ、びくびくしてしまうだけじゃない!」と父を諭していた事を思い出しました。自分も親となり、感情的になって子供に同じことをしている・・・。怒鳴ることは理解へ導きはしない。ただ、気持ちを委縮させてしまうだけである。肝に銘じなければ・・・。

 今、昔によく聞いていた敬愛する師の講話テープを通勤の車の中で聞いています。その中の話に「悟りというのはちょうど花が咲くことに例えられる。誰でも花開く種という可能性が潜んでいる。しかし、そこから無理矢理芽をださせたり、花を咲かせることはできない。せいぜいできることは土壌を整え、適切な水を注ぎ、注意深く気遣って根気よく育てていくことだ。そうすれば、春となり自然と花は咲く」という内容がありました。子供への教育もまったく同じです。その子に潜む種という可能性を信じ、愛情をもって注意を注ぎ、必要と思われる世話をしていくしかない。そして、どんな花を咲かすのかは全くもって、天に委ねるしかない。親が勝手な花を期待していれば、それは重荷になるだけである。その子の咲かせる花が咲いてくるべき花であり、親はただただ世話をするだけ。ちょっと論点がズレたかもしれませんが、そのようなことを考えさせられた今日この頃であります。

(遠田弘一)
posted by ..... at 21:09| Topics

2014年07月22日

077:五十の手習い

 暑い夏。いかがお過ごしでしょうか。
 先日、英語のテープで各界の人達にインタビューをしているものを抜粋してシリーズとしているもので、かなり昔に購入していたもの(ろくに聞いていなかったのですが・・・)を以前よりデジタル化したいと思いつつ、なかなか時間的余裕がなく、放っていたのですが、ふとまた聞こうと思い立ちました。まずは昔買ったウォークマンを探し出して電源を入れてみたところ、キューという音がして止まってしまう状況、何度繰り返しても同じで、もう使い物にならないことが判明しました。さて、カセットテープを再生できるものとしては他にラジカセもあるのですが、何年も使ってなかったせいか、やはりテープの走行が不安定でテープがからまってしまうという有様。数年前まで机の横にアンプ、CD再生機、カセットテープデッキと詰んでいたのもほとんど使わないままでじゃまだったので、1〜2年前にプチプチにくるんで、ロフトの奥にしまい込んでしまっていたのを思い出しましたが、出す気にもならないので、しようがなくネットで探ってみました。
 今はカセットの再生のみならず、再生しながらmp3ファイルにデジタル化してしまうという便利なものが出回っていました。しかし、使用者のレビューをみると小型で安い物はどれもテープ走行に不安があり、こわれやすそうなので、ある程度しっかりしたものを選び購入しました。
 思えば子供の頃は祖父がかなり大きな機械でテープ自体を手で所定の場所に引っかけていって、録音再生をするというしろものを持っていましたが、あるとき、近所の友達がそれの小型版を買ってもらったといって見せてくれたことがありました。ずいぶん小さくなっていますが、やり方はほぼ同様で、やはりテープ自体を手で引っかけて使うものでした。すごい機械を買ってもらってうらやましい気持ちを感じておりました。カセットテープなどはまだない遠い遠い思い出の時代です。

 時代は目の前をあっという間に過ぎていき、ラジカセ、ウォークマン、CD、MDと進んで、今ではmp3等のデジタルファイルの時代です。まったく「歳月人を待たず」です。

 さて、機械は手に入れたので、手元にある種々のテープを整理していると「他作自演」と書いたテープが出てきました。これは非常に懐かしいもので、高校生くらいの時に人並みにフォークソングにはまり、下手ながらもギターやピアノで弾き語りをしていた時に自分で楽器の演奏と歌を吹き込んだ物でした。
 入っていた曲は6曲でした。私の年代ならおそらく知っているが、今の若い人はほとんど知らないと思える曲です。それはサイモン&ガーファンクルの「スカボローフェア」「サウンドオブサイレンス」(これらは「卒業」という映画で使われていて有名だから多くの人がご存じかもしれません)、アリスの「さらば青春の時」「遠くで汽笛を聞きながら」(これらはおじさん世代しか知らないでしょう)、アルフィーの「ラブレター」「明日なき暴走の果てに」(これもアルフィーの初期のころの歌なので知らない人がほとんどでしょう)でした。S & Gとアルフィーの曲はギター(2つのパターン)と歌も(2〜3人分)を多重録音で吹き込みをし、アリスの曲は伴奏はピアノで、歌はやはり2人分を多重録音しているものでした。多重録音といってもミキサー等は貧乏学生で持ってなかったので、手元にあるカセットテープレコーダー2台で流しながら合わせて歌い録音していくという原始的なやり方でした。

 幸い古いテープなのに無事に動いてくれたので、貴重な思い出をデジタル化できました。しかし、このことを通じてまた心の中に音楽に対する情熱がよみがえってしまいました。思えば大学まではそれなりに音楽に関わりがありましたが、その後は全くといっていいほど関わることがなく時が過ぎていきましたので、今では昔ほど声もでませんし、楽器を弾く感触もかすかな名残があるかないかです。

 私の長女がピアノを習っていて、毎年夏休み(もう来週に迫っています)にごくごく小さなホールで発表会があります。いつも自分で好きな曲を選んでは弾いていますが、今回は何故か「ルパン三世のテーマ曲」です。ちょっとリズム感のある上級者のレベルのアレンジ曲に挑戦しているので大丈夫かなと思っていましたが、今はそれなりに弾けるようになっています。練習の時に耳にすると、自分も楽器の演奏に対する心のゆらめきを感じておりましたが、今度のことで一気に火が付いてしまい、しばらく電子工作は脇に置き、心の赴くままに音楽の世界に流れて行こうと思っています。
 どこまで続くかわかりませんが、「五十の手習い」・・・いいじゃないでしょうか。

(遠田弘一) 
posted by ..... at 13:29| Topics

2014年04月04日

076:創造の喜び

 4月から消費税率が上がり、3月中に駆け込み買いをされた方も多いと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。私も現在はまっている電子工作の種々の部品を駆け込み買いで取りそろえましたので、しばらくはそれらに携わり、ひっそりと節約生活をしていこう考えております。
 電子工作といえば、その基本はなんと言ってもラジオで中でも電池のいらないエコなゲルマニウムラジオでしょうか。というより私の理解の及ぶ範囲に位置している工作はこのレベルであるということですが・・・。
 皆さんの中にも子供のころにはまった人も多いのではないでしょうか。
私も小さい頃にロケット型のゲルマニウムラジオにはまりました。先端に金属の短い棒がついていて選局出来るタイプで下からはクリップのついたアンテナと今では見かけなくなったクリスタルイヤホン(耳の穴からすぐに落ちてしまうアレです)が出ていました。選局といってもほんの数局しか選べなかったという記憶がありますが、何と言っても電池もないのにラジオが聞こえるという魅力は子供には大きいもので夜となく昼となくわけのわからない内容のラジオに耳を傾けていたものでした。

 いつの間にか興味がなくなり今となってはもう手元にありませんが、数十年を経た今頃になってまた電子工作に興味を覚え、再びゲルマニウムラジオを作ってみました。それなりのなつかしさはありますが、さすがに子供のころの感動には及ばないもので、むしろ音が小さい、雑音がする、数局しか入ってこないという不満の方が多く、やはりもっと複雑な回路で実用に耐えうるラジオが作りたくなり、上述した電子部品を取りそろえた次第です。必要に応じてアンテナもつくろうかともくろんでいます。
 おかしなもので、普段はラジオなどは聞かないのに今では完成品の市販のラジオをかけてみて自分の部屋での受診状態を確認しながら、工作を楽しんでおります。

 父が生前、「習熟の喜び、創造の喜び」といっていましたが、なるほど物を作るというのは、たいした物ではなくともそれに携わっていること自体が楽しいし、喜びを感じる一時です。

「至福とは最高の幸せではなく、苦悩の不在である」というような内容のことをどこかで見聞きした気がしますが、何かを楽しんでいる瞬間、喜びを感じている瞬間はまさに苦悩の不在であり、日常の種々様々な煩いを気にしている小さな人間(小我)の不在であり、至福の瞬間です。このような瞬間をできるだけ何時でも感じられればいいのですが、そのようにしようとする動きもまた小我のあがきでしょうから、自然に打ち任せるしかありません。そのような瞬間がくれば、感謝とともに受け入れ、去れば去ったでまた見守る。その繰り返しです。

 まぁ、何はともあれ、みなさんも新しい年度の始まりを機に何か心から惹かれる趣味をはじめてみてはいかかでしょうか?

(遠田弘一)
posted by ..... at 18:53| Topics

2013年11月22日

075:天命を信じて人事を尽くす

 トピックの言葉は普通は「人事を尽くして天命を待つ」ということで広く知られています。しかし、私の敬愛するある先生が「人は本来大いなるものにより守られ、生かされている。また、どんな人にもその人それぞれに与えられた天命がある。そのことを信じて、人事を尽くしなさい」といういようなことを言っておられました。だから今回のタイトルのように書かせていただきました。
 さて、何故今回この言葉をトピックにしたかというと、今現在読んでいる本で、少し心に訴えかけてきた内容がありました。その本は海音寺潮五郎さんの書いた西郷隆盛 全3巻(「天命の巻」、「雲竜の巻」、「王道の巻」)です。以前より中古本で手に入れていたのですが、なにしろ少し大きめで分厚いので、簡単に持ち運びができず、なかなか読めなかったのです。最近これが電子書籍となっていることを知り、さっそくipod touchに入れて、暇を見つけては読み進めてきましたが、最後の王道の巻の西南戦争について書いてある部分で、思わず考えさせられ、読書が止まってしまったところがあります。

 西郷隆盛という人は倒幕から明治維新という偉業を成し遂げた中心人物で、そこに到るまでは非常に細やかな神経を配り緻密に事を進めていたのに西南戦争の辿った経緯が西郷隆盛にしてはあまりにもお粗末なやり方だったということが言われていて、様々な解釈があるようです。これに関しては、「まだ時期ではなかったのに自分の作った私学校の一部の生徒達の起こした暴発によって、その勢いを止めることができなくなり、情の深い西郷さんとしては若者達を見捨てることができずに、戦争の進め方も含めてその身を全く若者達に預けてしまった」という解釈があります。確か司馬遼太郎さんもそのような解釈をしていたと記憶しています。
 しかし、海音寺潮五郎さんは少し違う解釈のようです。上記の説も同時代の人で西郷さんをよく知り同情を寄せていた人の残した歌があり、これによって民衆の心理に誤って形成された西郷観の影響もあるだろうとのことを言っています。その歌とは以下のものです。

「唯身ひとつを打ち捨てて、若殿原に報いなん」(勝海舟 作)
「ぬれぎぬを乾そうともせず子どもらの心のままにまかせたる君」(副島種臣 作)

 海舟も副島も西郷の清潔にして純粋な志をよく知り、最も親しい友だったので、本人の意志ではなく、子弟らがことを起こしたのであり、子弟らを愛するあまりに一身をまかせたのであるとその行動を庇うためにこれらの歌を歌った。そのために上記のような西郷観や解釈が生まれた可能性があると説明しています。

 もちろん、始まりは一部の子弟の暴発によることは間違いないので、時期尚早であったことはあるのでしょうが、海音寺潮五郎さんは「西郷さんは天命の我にあることを信じ切っていたためにむしろ油断し、戦わずに東京まで行けると思っていて、本来その戦争に勝つための努力を怠ったのではないか」という解釈をしています。

 海音寺潮五郎さんは西郷隆盛と同郷の人で、西郷さんに対する思い入れがあるようで、様々な箇所で他の人がしている西郷さんに対する批判的な解釈をたくさんの資料から、それらを否定し、かなり心を寄せた解釈をしていることが読んでいてわかりますし、私も西郷さんを敬慕している方なので、どちらかというと前者の解釈に心を寄せていましたので、この箇所を読んだときは少し「んっ…」と思いました。

 最も解釈はどちらでもいいのです。結局の所、歴史や過去の人物の解釈は人それぞれの人生観や考え方によって違ってきますので、真実のところは誰にもわかりません。
それよりも私の心を打ち据えたのは次の内容でした。以下少し長くなりますが、抜粋します。

・・・
 イエスは神をこころみるなと言っていますが、西郷ほどの人も、ここでは天の信仰からはずれて、いつか天命をこころみる心になっていたと思わざるを得ません。天を信じ、天命にまかせるとは、努力をやめることではありません。あらんかぎりの努力をつづけ、あらんかぎりの用心をつづけ、結果を天命にまかせることです。・・・
努力を怠る天命の信仰は神を試みることで、迷蒙−つまり迷信と言ってもよいものです。
・・・

 この部分はむしろ私自身に向けられて指摘されているようでもありました。思わず読書が止まってしまった次第です。そして、心によぎったのが、トピックのタイトルの言葉であり、「私自身が出来ているのか?」という問いです。

 この問いに胸を張って答える心境には正直なところなっていません。しかし、この部分は今現在、毎日毎瞬のように心を占めている問いでもあります。
「人事を尽くす」のは何に向かってなのか?何のためなのか?
「努力」という言葉もよく使われますが、私としてはこの言葉は何やら「無理強い」している感覚があります。人が本当に心からしたいことに向かっている時、それは「努力」なのでしょうか?他の人からどう見えるかは別ですが、その人にとっては「努力」ではなく「夢中」なのではないでしょうか?もっともすぐに実現できない物事に対している場合はそこに向かうまでの努力という感覚も伴うのでしょうが・・・。

 この時、私としては今のその方向に夢中に向かってていいのだろうか?というふとした問いが起こります。つまり、その方向が善なる方向(〜すべき)であるならば、もちろんいいのでしょう。しかし、悪なる方向(〜べきでない)ならどうなのか?
善悪ということが明確になっている人にとっては、それほど問題になることはないでしょう。おそらく、その人にとってその善なる方向に向かって進んでいけばよい。精一杯の努力をしながら・・・。もし、善なる方向へ夢中に進んでいける人は、「幸いなるかなその者は天国の住人」でしょう。
 しかし、私は違うのです。その善(〜すべきである)悪(〜すべきでない)ということが自分の中では非常に曖昧になっています。全くその感覚がなくなっているわけではありませんし、当然好き嫌いもありますので、それらの曖昧なままの感覚に従って自分が取りあえず望ましいと思う方向へ歩みを進めているわけです。

 これから言うことは、別に悟った境地から言うわけではけっしてありません。今まで自分が触れてきた様々な思想や教えに影響され、私の内に形成されつつある考え方から言っているのですが、この存在の有り様というのはちょうど海と波に例えられる気がしています。次のような例えです。
 この世界、この存在様式はそもそも大いなる一つの存在(意識)によって成り立っている。というより、存在のみが唯一のものである。ちょうどこれを海に例えると、存在しているのは海そのものであり、大小様々な波がそれ自身個別に存在しているわけではない。私とかあなたとかいうように一見他者のように見える存在は波のようなものである。大波もあれば、小波もあり、渦になっているところもあれば、さざ波程度の静かな水面もある。この海の表面では様々な現象が立ち現れているが、その有り様は全くもって海に依存している。海そのものでもある。
 つまり私が善なる方向へ向かって動いているために大波となって現れているわけでは全くなく、私が悪なる方向へ向かって動いたために小波や渦になったわけでは決してないというものです。
 善悪というものは人間の小賢しい分別から生じているもので存在の中にあるわけではないのではないか?進むべき道も何もかも、大いなる存在にまったく任せる以外に何があろう?という思いにに到るというか、今現在の私は上記のような考え方に非常に共鳴しているのです。ただし、それを真実と悟ったわけではないこともわかっています。だから、大いなるものに任せている(天命に任せている)つもりになっているのかもしれません。もしかしたら、海音寺さんのいうように迷蒙なのかもしれません。
だから、あの文章に出会ったとき、我が心を射貫かれた気がして、読書が止まってしまった次第です。しかし、それでも今現在は心に自然に起こってくる方向に向かって歩みを進める以外に動きようがありません。

 禅では悟りとは心に生じる様々な問いが、その問いそのものが我とともに落ちてしまった境地を示すようです。というより我(小我)そのものが問い(迷い)のようです。
私はまだまだ「問い」だらけです。そして、問いがあるのは「苦」でもあります。

 何やらややこしい文章になってしまったかもしれません。実際このようなことは、わかる人にはわかるだろうし、わからない人にはわからないだろうと思いますし、人それぞれの考え方感じ方もあり、結論がでるわけではないので、この辺にしておきます。
幸いなるかな、問いのない人、その者は悟りの(あるいは無知の)住人なり。

(遠田弘一)
posted by ..... at 06:46| Topics