ご無沙汰しております。前回のトピックから既に1年以上が経過してしまいました。この1年の間に千と一つの物事が起こり、過ぎ去って行きました。それを話題に取り上げれば、いくらでもトピックは書けたのかもしれません。しかし、私自身のモードがそれを外側に表現するような状況ではなかったため、沈黙のまま経過していました。
しかし、慈温堂移転という大きな変化が訪れましたので、これを契機に少し状況説明をしたいと思います。
テレビでも放送されましたのでご存じの方も多いと思いますが、昨今の中国情勢の影響もあり、生薬の値上がりが続いていてます。今後もこの状況は変わらないという予想があるため、ますます漢方診療という形態が難しくなっていく状況です。
慈温堂も同様で、生薬を使った漢方の自由診療という形態ですので、保健診療に比べ、費用が高くなることが、まず患者さんへの負担の最たるものです。また煎じ薬という手間のかかる方法も治療継続にとっては二の足を踏む原因となります。そのため、経営において一番の問題点は患者さんの絶対数の減少ということになります。診療費に関しては、出来るだけ安くするように心がけてきてはいますが、生薬が値上がりすれば、それに応じて対応せざるを得ませんし、実際に診療費変更を数回行ってきました。しかし、患者さんの減少していく中で慈温堂の経営自体が徐々に難しくなってきて、実はこの5〜6年ほどは当院の経営は赤字すれすれという状況です。
他に出来ることとしては、慈温堂の諸経費のいろいろな無駄を省き、ビルの賃貸料の高いことも原因の一つでしたので、2年前にビル側に交渉して、賃貸料を少し下げていただき、今年までなんとか頑張ってみました。しかし、経営を立て直すまでには至りませんでした。
今年一杯が限界か?という予想も見えてきましたが、まだ漢方を気に入って長年続けてくださっている患者さんもかなりいらっしゃるし、ホームページをみて遠方から来院する方もたまにおられます。こういった方々をばっさりと切ってしまうわけにもいかずに経過していましたが、6月を過ぎたころにふと移転ということが頭に浮かびました。これは、2年前にも考えたことです。現在の難波周辺でも、月々の賃貸料が安くなる場所もいくつかあったのですが、駅からかなり遠くなるため、患者さんにもスタッフにも不便になることがはっきりして、ただちに却下してしまいました。現在の場所にこだわっていたため、それ以上に考えることはなかったのです。
この地で慈温堂が始まった経緯というのは、そもそも近畿大学病院の東洋医学研究所を受診する患者さんで、かなり遠方からの患者さんが利用するのに都合のいい窓口的な場所ということで始まりました。始めは、大学とのつながりで開始したものの、途中からは独立採算でいくということになったようです。当初は東洋医学研究所の先生方が交代で診療していましたが、独立してからは、私の父が中心となり、大学に勤める傍ら慈温堂で午後のみ診療する形をとっていました。2002年に父が大学を停年退職となってから、医院の名称も『慈温堂遠田医院』として、昼間の時間帯も診療するようになりました。その後、父が他界したため、そのまま私が引き継いで今に至っています。
先程も述べたように患者さん自体が少なくなってきていて、遠方からの患者さんになると今は1年に2〜3人程度です。また私も含めスタッフ全員がこの度移転する大阪狭山市近辺が地元です。この難波の地も何らかの縁があり、今まで診療をさせていただいてきたのですが、この場所では地元に根付くという感じではなく、全く一時的な通りすがりの人達のいる空間で診療しているという感じでした。
「今現在の患者さんもこのままfollowしつつ、今後は地元に根付いて漢方診療に興味のある方々を対象にしていくことも大切ではないか」という考えがまさに上からふってきたように感じられたのです。そこで、地元周辺をいろいろと探し回り、結果として金剛駅の近くの場所を見いだしました。もちろん、移転して経費が多少安くなっても問題が解決するわけではありません。生薬が今後も値上がりする現状は変わりませんし、どれだけの人達が漢方診療に目を向けてくれるかも全く不明だからです。しかし、自分としては、とにかくやれるだけのことはやってみようと思い、移転に向けて動き始めたわけですし、場所も気持ちも新たにして出来るだけ継続していく決心でおりますので、今後も慈温堂をよろしくお願いいたします。このような大きな変化を前に、一つの区切りとしてホームページの新たなトピックとさせていただきます。
(遠田弘一)
2012年09月12日
070:慈温堂移転─新たな再出発─
posted by ..... at 06:27| Topics