2013年03月06日

073:「カンフーパンダ」(2008年アメリカ映画)

 春3月。この月は私の生まれ月でもあり、「3」という数字は何かと縁がある気がしていて、好きな月です。学生にとっては、最後の学期になり、来月からは新学年あるいは、新入生、新社会人となる月です。季節的にも暖かく穏やかな気候になっていきますので、よけいにワクワクする期待感の膨らむ月ではないでしょうか。最も重度の花粉症を持つ人にとっては、悪戦苦闘の始まる月かもしれません。
花粉症といえば、まず抗原を防ぐことがなによりも重要でしょう。早めにマスクを着用するとか帰宅して家に入る前に衣服についていると思われる花粉を外で払ってから中に入る心がけも必要と思います。
飲み薬としては、よく抗アレルギー剤を使いますが、眠気を催す作用がありますので、車などを運転される場合は注意するか昼間は使用しない方がよいかも知れません。漢方的には鼻水がダラダラと酷く出る症状には「小青竜湯」という薬が効を奏する場合があります。これは風邪の時のひどい鼻水や咳、またはアレルギー性鼻炎でもよく使われる処方です。もしかかりつけの医院や病院で扱っているならば、一度試してみることをお勧めします。少し酸っぱい味で飲みにくいかもしれませんが、眠気を催さないというメリットがあります。

 さて、今回のトピックである「カンフーパンダ」というアニメを皆さんは見ましたか。子供達が最近見ていたので、ついつられて見てしまいましたが、なかなか面白かったです。単なる子供用のアニメというより、いろいろな教訓が示唆されていて、大人でも考えさせられる内容です。ちょっと長くなりますが、内容を紹介しながら、感じたことを書いて見たいと思います。

 登場人物というより、すべて動物なので、登場動物ですが、主人公はタイトルの通り、パンダ(名前はポー)です。「太っちょのプヨプヨのパンダがカンフーをマスターして悪い敵(タイランという名のユキヒョウ)を倒す」といってしまえばかなり単純なストーリーと思われそうです・・・。しかし、この悪い敵も始めから悪いわけではありません。親に捨てられていたのをカンフーの達人のシーフー老師(レッサーパンダ)に拾われ、カンフーを仕込まれます。夢を吹き込まれ、厳しい修業に励み、自他ともに認める程の実力を身につけますが、最高の栄誉である「龍の戦士」には任命されず、絶望の果てに転落の人生を辿ってしまい、牢屋に閉じ込められてしまいます。
 ここで感じることは子供の教育として自分の好みや自分が最高とする理想を押しつけることは(しばしばやってしまうのですが)下手をするとその子の人生を狂わせかねないということです。親がしてやれることはその子自身の可能性を信頼し、何者になり、何をするかはその子自身が選べるようにただただ成長を促すことに心を砕くことでしょう。
 さて、話を戻します。このポーですが、ラーメン屋をしている(何故か)ガチョウの息子で、ガチョウの親はもちろん最高のラーメン屋になってもらいたいと願っていますが、ポー本人はカンフーの達人になることを夢見ています。ある時、千年間待っていたイベントである「龍の戦士」を決めるという催しを村のみんなで見に行きます。カンフーの始祖であるウーグウェイ導師(ゾウガメ)がまさに「龍の戦士」を指名しようと指を差し向けたところにポーが間違えて飛び込んできてしまいます。するとこの長老は「ほ〜こうなりましたか・・・」というなり、このポーが「龍の戦士」であるとみんなの前で宣言してしまいます。シーフー老師はこの長老に師事し、敬愛して信じているのですが、この決定には納得がいかず、あるとき「ポーは龍の戦士なんかではなく、あれは単なる偶然です」と長老に抗議します。しかし、長老は「偶然ということはないのです。信じてあげることが大切です」というなり、自分の寿命が来たことを悟ると「あとはあなたに任せます」といって空の彼方に消え去ります。
 ここの場面も私個人としては心に響いてしまいました。私の人生も高校を卒業してから10年間というもの道が定まらずにポー太郎(?)をしていました。親はよくも気長に私を信じて見守っていてくれたものだと今更ながら、感心してしまいますが、自分もこうして家庭をもち、自分なりの道を歩んでいる今から振り返るとやはりあの10年間は必要だったと思います。偶然ではなく必然の10年間であり、それを経て今の妻との出会い、子供達との出会い、友達との出会いがあります。
 もし今何か停滞している状況にある人がいたら、私としては自分の経験から「その停滞状況は必ずしも悪いことではなく、あとあと必要な大切な状況かもしれませんよ」と隣でそっとつぶやくことでしょう。

 さて、再びストーリーの続きです。後を託されたシーフー老師はまだ腑に落ちないながらも、このポーを鍛えて行こうと心に決めます。そしてある時ふとこのポーを導くのに適切な方法がみつかります。それは今まで他の修業者にやっていた方法ではなく、このポーに一番合った方法でした。
 これも今ではよく言われることではありますが、その子その子の個性に合わせたやり方というものが必ずある筈ですし、根気よくその子に付き合い、見いだしていくことが指導する側の姿勢でしょう。昨今問題が浮上しているスポーツ界の体罰問題もこの辺の認識の違いがあると思います。
 子供を叱るとき、よくよく話してみて子供の言い分を聞いてみると何かこちらが勘違いしていることも時々ありますし、きちんと話せば何故叱っているのかをきちんと伝えられる感触を得ることもあります。単に手を上げてしまえば、子供は弱い立場なので、反論できずにだまってしまう結果になりますし、必要に応じておしりをたたくときでも1回でもこちらの心が痛みますので、できるだけ体罰は加えたくないというのが正直な思いです。ましてや他人の子供を数十回もたたくようなことはとても私には理解できません。自分の感情を弱い立場の者にぶつけて鬱憤をはらしているようにしか思えません。

 話しがそれてしましました。ストーリーです。新しく見いだした訓練によって、メキメキ上達し、ついにシーフー老師に認められるカンフーの実力を身につけたポーは「龍の戦士」にだけ閲覧が許されている巻物を手にします。それを開いてみるとそこには何も書かれていませんでした。ただ鏡のように光っていて、自分自身が写されています。そこで悟ります。「大事なことは自分を信じること」と・・・。さて、話しは少し遡りますが、ポーが龍の戦士に指名された頃、牢屋に閉じ込められた タイランが脱獄に成功し、自分をこのように貶めた者に復習するため、そして自分が手に入れるはずだった龍の戦士のための巻物を手に入れるために村へと向かいます。そして最後はこのポーとタイランの決戦となります。この戦いの結末は言わなくてもわかるでしょう。

 さて、「自分を信じること」ですが、これはなかなか難しいと思います。少なくとも私には・・・。「自分を信じること」ができる人は素晴らしいことですし、世の中にたくさんおられることでしょう。しかし、私個人としては停滞していた時期に救いとなったのは、むしろ手放すことだったと思います。大きな存在に・・・、生命を生み出している、意識を生み出している源泉に・・・。あらゆる方向を、あらゆる結末を、自我我欲の思いをすべて含めて大きな源泉に委ねてしまうことでした。そして現れてくる目前の状況に対しては自分の感性に従って歩むほかなく、これは「自分を信じること」というならあるいはそうなのかもしれません。

 そんなこんなで、いろいろと考えさせられ、心の琴線にふれてきたアニメでした。自分の感じたことをすべては書き尽くせませんが、長くなるので、この辺にしたいと思います。ストーリーを話してきてしまいましたが、皆さんも一度見てはいかがでしょうか。

(遠田弘一)
posted by ..... at 06:53| Topics