かなり以前のトピックで「人生とは変化である」というように書いたと思いますが、これを改めて感じさせられる経験をしました。昨年の9月頃にある人との出逢いによって精神的にかなり滅入る出来事がありました(これはその人も関係することなので、詳しくは書けませんが・・・)。この出来事によって自分の心の中にある「人に対する不信感」ということに直面させられ、また自分はかなり物事に引っかかってしまい後を引く性格だということも改めて認識し、こういった自分のエゴに嫌気がさしている状況で日々を過ごしておりました。
この数年来、うちと他の友達2家族で年末にスキーに行くことが楽しいイベントになっていましたが、今回のスキー旅行は友達2家族とも受験生を抱えていたり、その他諸々の事情でスキーは見合わせることになっていました。
そんなわけで、「うちだけで行かなければならないなぁ〜」というちょっとした寂しさと不安が心にありました。というのも、私の記憶回路は何回も通っている道なのに何故かろくに覚えていないという構造をしていて、また妻からは極めつけの方向音痴という称号ももらっており、いつも友達2家族の後からただついていくというお気楽なドライブをしていました。ところが、今回は自分で道を間違わずに運転し、現地にたどり着かなければならないという状況が着実に迫ってきていましたので、そのような不安を感じておりました。12月に入り、忙しく過ごしていて、精神的にも上述した嫌な出来事に心が引っかかって集中力を欠いていたためか、ある日の夕方にその事件は起きました。
自分の家の駐車場で車を少し入れ直したいと思い、いつものようにサンダルで車を動かしました。もちろん、どこかへ出かけるときはサンダルで運転はしないのですが、自分の家の駐車場で軽く移動するときは今までもサンダルでやっていました。ところが、今回はバックをしていて、さぁブレーキだと思って、ぐっと踏み込んだときになぜかこの日に限ってサンダルがひっかかってしまい、ブレーキを踏み込んだつもりがアクセルに足がかかって、そのまま車の後部が家のシャッターに追突しました。間には妻の使っている電動アシスト自転車を挟み込んで•••。
その結果、車の後部の修理に約50万(自動車保険にて)、家のシャッターの修理に約16万、妻の自転車はその自転車人生(?)を終えることになりました。
得られた教訓は「車を動かすときは必ず靴をはけ!」•••••お高い教訓でした。
また他日のことですが、子供が友達と家の前でサッカーをして遊んでいた際に、隣の家の電動で動くガレージのアンテナをこわしてしまうというおまけつきで、まったく厄払いとしか思えない昨年後半の一連の出来事でした。
車の後部のみならず、スキーを目前にして私の心のヘコミかたも激しく、とても長い距離を運転する気力がでてくるとは思えず、私たちの家族もスキー旅行を中止しました。楽しみにしていた子供達には悪かったのですが、私としては自分を見つめ直す貴重な機会を得ることができました。
この間に新たな本を読んだり、心を鎮めて瞑想する時間をもち、よくよく心の状態を見つめてみると気がつかされたことは自分の人生の流れが、なんとなくある停滞した状況にはまっていたということです。例えるならば、川の流れが本流からはずれて、ある袋小路にはまり込み、淀んでいるような状況です。それが上記の一連の出来事によって、引っ掻きだされ、本流に戻されたような感じです。本流の流れ、つまり変化ということに改めて気がつかされたような感じです。それに気づいたとき、上述した自分のエゴ的性格も含めこれら一連の出来事が大いなる存在から与えられた貴重な経験であるという認識に至ったのです。今では、それらが貴重な経験として立ち現れ、過ぎ去っていったということがよくわかります。人生は結局、こういったことの繰り返しのようです。成功も失敗も良いことも悪いことも流れの一局面として用意されていて、必然的にそれに立ち会わされるようです。
まだまだ何度もこういうことがあるでしょうが、今の心境としては「とにかく現れるべき経験は必ず現れ、それに伴う自分の反応も与えられた性格に従って現れ、それによって考えさせられることは考えさせられ、新たな方向へ促されてゆくものである」ということです。この気づきが得られたこと、停滞している状況が打ち壊されたこと、それを有り難いと思える気持ちにようやくなれたことがうれしく、心が晴れ晴れとしています。
晴れの日もあれば、曇りの日もありです。たとえ曇りの日でもその向こうは太陽が燦然と輝いていて、その雲が永久に太陽を遮っているわけではないことを忘れずにいればいいのでしょう。
今家のトイレの中に私は詳しくは知りませんが、詩人であり、書家である相田みつおさんという方の言葉が書かれたカレンダーがかかっています。1月の言葉は「その時の出逢いが人生を根底から変えることがあるよき出逢いを」とあります。「よき出逢い」というのは「人との出逢い」のこともあれば、「出来事との出逢い」もあることでしょう。
奇しくも、昨年に出会った人は、その時には、とても良き出逢いとは思えず、私にとっては反面教師としか見えないような人でしたが、今現在の視点から大きく見てみるとこれもまた「よき出逢い」になっていたようです。私の停滞している状況から本流に戻すために存在がそのように見せてくれた他者のようです。車での失敗も私の自覚を促すための出来事であり、これも「よき出逢い」でした。
こうしてみてみると人生とは、こうした「よき出逢い」と「気づき」によって成り立つ大きなうねりであり、変化であるということです。出来れば、この視点を失わずにこれからの出逢いに立ち会いたいと思います。
(遠田弘一)
2015年01月21日
079:新たな変化に向けて
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