年末、年始にかけて2年ぶりにスキーに行ってきました。場所は鷲ヶ岳スキー場で、いつもは友達三家族で行くのですが、一家族が都合が悪く、二家族で行ってきました。今年は雪が少なく、いつもはホテルに近づくかなり前から雪道でしたが、今回はホテルに着くまで、道路に雪はほとんどなく、雪山のゲレンデも雪がない部分が多くて、滑れるコースも限られていました。
何はともあれ、昼過ぎに到着したので、チェックインまでの間に家族みんなで、スキーを開始しました。初滑りの1回目で早くも足腰の筋肉が悲鳴を上げ、自分が思っているよりも、身体の方が年齢を正確に伝えておりました。かろうじて、リフト乗り場に戻ってきた時には、「もういい。もうこれで十分に経験した。今年のスキーはこれで終わりでよい。」という弱気な気持ちも浮かんで来ていたのですが、子供達は続行する意欲満々なので、見守る義務を感じ、なんとか身体に鞭を打ってこちらも続行しました。しかし、親の心配よりも子供達の上達の方が勝っていて、以前に比べれば、ほとんど手のかからない程になっていました。それに何度か滑っているうちに自分の身体も慣れてきて、楽しめるくらいに気力も回復してきました。というわけで、2泊3日のスキーを満喫したのですが、1年に1度のこういった楽しみがいつまで出来るのだろうと思わされる年齢となりました。旅行から戻って、仕事も開始となっておりますが、身体の筋肉は未だに悲鳴を上げています。
帰ってきて、間もなく子供達がバランスWiiボードを出してきて、スキーソフトをやっていたので、ちょっとやらせてもらいましたが、これが面白い。映像もよく出来ていて、足の体重移動でターンも出来るので、本当に滑っているような気になる。しかも、少し操作を誤ると木や岩にえらい勢いで激突します。実際なら命がないような衝突をしても何事もなかったように立ち上がり、また滑り始めるので、季節を問わず安全にスキーを楽しむのはこれだな!と思いました。適度に脚も使うことになり、ちょっとした運動にもなります。少し夢中になり、足の裏も痛くなりました。最近は歩きも少なくなってきているので、使われてない筋肉が使われたようです。ご老人にはよいアイテムです。最近はヘッドマウントディスプレイなども出てきているので、もうしばらくするともっとリアルな映像体験としてのスポーツゲームもできるようになるのかもしれません。
しかし、この状況をもっと注意深く見てみるとどこに行き着くのでしょうか?
私は映画「マトリックス」を思いだします。自分が生き、活動して生きていると考えている世界が実は作られた世界であり、本当の自分はカプセルの中に備えられて、様々な管につながれて、脳に刺激を与えられているだけだったというあの世界です。視覚、嗅覚、味覚、触覚も結局の所、脳のある部分への刺激によって再現出来るということが分かってきていますので、実際に経験しているこの世界もそのように脳への刺激によって生み出されているということも最終的には可能であることでしょう。
さて、では今のこの世界がそうでないとは誰が言えるのでしょう?
現実とは何でしょう?
脳への刺激によって、そこに存在するように視覚が捉え、聴覚が捉え、触覚が捉え、味覚が捉えているということであり、実際にそこに存在しなくてもそれらを経験できるわけです。最近はこのようなことをよく考えています。まだ考えているだけです。体験知ではありませんので、言わば妄想にすぎません。考えはさらに先に進んでいますが、これを表現するのは少し難しいというか、その内容は「ああ、この人行っちゃってるなぁ」と思われるのが関の山なので、この辺に留めておきます。皆さんは現実をどのように捉えているのでしょうか?
(遠田弘一)
2017年01月06日
085:現実とは何でしょう?
posted by ..... at 18:21| Topics