2010年01月09日

066:「フェルマーの最終定理」

明けましておめでとうございます。
悠久なる時の流れは、刻一刻と過ぎ去り、同じような日々の生活が繰り返されているようで、実は様々な物事が変化し、移り変わっていきます。私の家での変化としては、Wii(ウィー)というゲーム機が仲間入りしたことです。

昨年の秋ごろからか、長男(9歳)が友達の家でWiiのゲームをするようになり、相前後して、長女(7歳)もまた友達の家で同様のWiiのゲームを覚え、さかんに2人で話題にするようになってきました。クリスマスのプレゼントもWiiがいいということで、意見が一致し、サンタクロースにお願いすることになりました。私も妻も基本的にはゲームは乗り気ではなかったのですが、友達の家でやっている以上、もうしょうがないので、クリスマスプレゼントはWiiということになりました。もちろん、時間を決めてやるという条件で・・・。当初の予定では1日1〜2時間くらいのはずが、冬休みの期間は、それだけで収まるはずがありません。3人の子ども達が交代しながら2人ずつやるということになるため、結局は1時間やったら1時間休憩を入れるというようなことにいつの間にか変わってしまいました。
驚くことには、次男(今月末で4歳)はそれまで、そのようなゲームのコントローラーをいじったことがないはずなのに、兄弟に混じってやるうちにいつの間にか使いこなせているようで、それなりに楽しんでいます。

また、朝が早いこと、早いこと。平日は小学校や幼稚園があるため、子どもを夜の9時頃には寝かせ、朝は7時には起こすようにしています。長男と次男は比較的すぐに起きる方ですが、長女はなかなかしぶとく、何度も声をかけ、7時半頃になって、ようやく起きてくることがしばしばです。そんな子が、長男に促されて、ほぼ毎朝6時か6時半頃に起きてきて、ゲームをしようとします。動機が強いと、生活習慣もこうも変わるものかといういい例です。もちろん、朝っぱらからいきなりゲームを始める習慣はよくないので、まずは冬休みの宿題をやらせるか、宿題が終わってからは、こちらが課題を与えて、勉強をきちんと終わらせてから、ゲームをさせるようにしていました。しかし、買ったばかりなので、ほぼ1日の大半はゲームをしているような感じです。時々友達も来ては、みんなでしているとのこと。今、お気に入りでよくやっているのは、「大乱闘スマッシュブラザーズ(略して、スマブラ)」で、「たーたらら〜、たらららら〜」という知る人ぞ知る、そのテーマ曲がほぼ1日中リビングで鳴り続けています。私の頭の中にもインプットされ、時々その曲が頭の中を駆けめぐります。この間の新聞で任天堂のWiiがクリスマス商品として善戦したという記事をちらりと見かけました。わが家と同じような状況があちこちで生じているのでしょう。ゲームにのめり込んでいる姿を少々苦々しく思いながらも、朝の課題はそれなりに終わらせていることだし、買ったばかりなので、ある程度飽きがくるまではしようがないかという気持ちもあり、複雑な心境で新年を迎えています。

さて、長い前置きになりましたが、話しが全く変わって、今回の話題をお話したいと思います。タイトルにもあるように年末にふとしたことから読んだ、「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン著)です。
この定理とは、「3以上の自然数nについて、(xのn乗)+(yのn乗)=(zのn乗) となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない」というものです。この数式は見覚えがあると思います。中学校で習ったピュタゴラス(ピタゴラス)の定理(三平方の定理)です。この場合は、直角三角形において、斜辺の2乗は他の二辺の2乗の和に等しいというものです。つまり、(xの2乗)+(yの2乗)=(zの2乗)という数式です。nが2の場合は、その式を満たす(x, y, z)の組み合わせとしては、無数にあります。例えば、(3, 4, 5)(5, 12, 13)など。しかし、これがnが3以上になると上記の式を満たす自然数の組み合わせがないというものです。そして、一見その問題は読んですぐに理解できるのですが、その証明となると実にやっかいな代物で、フェルマーが「ある謎かけ」をしてから、実に360年の長きにわたって、数々の数学者達を悩ましてきたそうなのです。

ピエール・ド・フェルマーは17世紀のフランスの数学者で、同時代に交流した有名人としては、デカルトやパスカルがいます。このフェルマーが古代ギリシャの数学者でディオファントスという人が著した『算術』の注釈本に有名な48の書き込みをしたそうで、その内の一つが上記の「フェルマーの最終定理」と呼ばれるものです。フェルマーという人は性格が変わった人だったらしく、上記の書き込みは、いずれも答えはあえて書かずに何らかの問いかけをしているもので、多くの人をいらつかせるのを楽しんでいた人だったそうです。上記の定理に関しては、次のような書き込みがされていました。「私は、この命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」というものだったそうです。この問いかけの為に起こった、数々の数学者達の挑戦と挫折や人生に起こった不幸な出来事などを取り上げて紹介しているものです。

彼の他の書き込みに関しては、後の数学者達によって、すべて証明されていたのに、この問題だけは長い間、誰にも解くことが出来ずに残っていたというものです。そして、この本の出だしは、そもそもの発端となったピュタゴラスの定理で有名なピュタゴラス自身やこの人を取りまくピュタゴラス教団という秘密結社のことから始まり、この問題に関わった数々の数学者達のことや数学の発展の歴史などについても書かれています。 最終的にこれを証明した人は1953年生まれのイギリスの数学者、アンドリュー・ワイルズですが、これを解くカギとなる重要な発見を提示した2人の日本人の数学者についても記載されています。証明に至る数々の課程も面白いのですが、ワイルズが学会でこれを証明する際にもちょっとした波乱があり、どうなるのかと思わずやめられなくなる面白さに満ちた本です。題名からすると数学が得意でないとわからない内容のような印象がありますが、そんなことはありません。確かにいくつかの数式や証明やなにやら聞いたこともない解法の名称などが出てきますが、「あぁ、そんんなものが数学の世界ではあるのかぁ」ぐらいにかるく読み飛ばしていっても十分に流れについて行けます。

思えば、数学には中学、高校、予備校(?)、大学(で少々)接した程度で、今の生活では買い物の際の四則演算以外はほとんど関係ないものとなっていますが、また時間があれば数学の世界に親しんでみたいようなあこがれを生み出されてしまった本です。そう、あこがれです。おそらくこの数学の世界の深みに行くには数学的なセンスとどこまでも取り組んでいける性質というか体質のようなものが必要と思われます。
 今現在、Wiiのゲームにのめり込んでいる子供達を見て、この「フェルマーの最終定理」のような内容の本に興味を示すようになるのはいったいいつになることやら?とちょっとした感慨にふけってしまっています。

(遠田弘一)
posted by ..... at 09:57| Topics

2009年11月28日

065:五十(?)の手習い

最近、はまっているものがあります。それは、新しいタイプのスケートボード(Jボード)です。これは、ネットなどで見てもらった方が早いのですが、普通のスケートボード(スケボー)と違い、ボードが2つに別れ、真ん中を通っている軸を中心に2つのボード自体がそれぞれ上下に0º〜45ºくらい自由に動くようになっているものです(スケートボードの進化版だそうです)。また、車輪は普通のスケボーが4つあるのに対して、車輪が2つ(各ボードに1つずつ)しかなく、そのままではバランスが悪いため、走っていないと傾いてしまいます。始めは、小学3年の長男が近所の友達の持っている物を貸してもらってやっていたようなのですが、たちまちはまったようで、さかんに買ってくれとねだるようになりました。こういったバランス感覚を鍛える遊び道具は子どもの頃から親しむ方がよいだろうと思い、買い与えました。妻の話だと、始めはあたふたと乗っていたのに、数日もしないうちに見る間に上達して、スイスイ走行するようになったようです。
私の家の前の道路は、普段は近所の車がたまに走り抜けるくらいで、比較的安全なので、練習に持ってこいの場所です。道路は若干の傾斜がついていますので、普通に乗るだけで、すべっていきます。また、このJボードは腰を横に振る運動と両足の上下運動が上手に連携することにより推進力が生まれ、軽い傾斜なら、簡単に登っていってしまうような構造となっています。面白いくらいスイスイ登っていくので、近所の人も見てびっくりしたらしく、「あれはどうなっているんだ?」と奥さんに尋ねたとのこと。

私も息子から借りて、試してみましたが、はじめは乗るだけでも怖いくらいで、とてもこれで走ることは不可能と思われたので、自分は昔の型の安定したスケボーでも買って練習しようかと思っていました。ところが、小学1年の娘が、長男のやっているのを見てほしがり、言うことには、「自分も近所の友達からスケボーを借りて、少しは楽しめたので、それがほしい」とのこと。
早速、親ばか発揮で、子供用のスケボーも手に入れました。そこで、自分もちょっとそれを使わせてもらいました。この時、あやうくあぶない状態ですっころんでしまい、身を持って知りました。つまり、古い型のスケボーは4輪なので、乗るときは安定しているのですが、走り出すと止まらないので、逆に初心者にとっては、足を取られて 転倒する確率が高いのではないかということです。もっとも子供用の小さいタイプだったので、そもそも足幅が合わず、安定が悪かったのかもしれませんが・・・。
Jボードは走っていないと不安定で、ボードが傾いて地に着いて止まるので、余程のことがない限り、すっころぶということはないような気がしました。そんな印象があったので、古い型のスケボーを買うのはやめにして、土日のあいた時間を利用して子どものJボードを借りて乗るようにしてみました。始めはあたふたしていたものの、乗り出すとそれなりにコツがつかめるようになってきたので、面白くなり、いまではマイボードも取りそろえ、土日が来るのを楽しみにしている毎日です。坂道も息子ほどのスピードは出ませんし、スムーズでもないのですが、それなりに登っていくこともできるようになりました。
また、やり出して気がついたのですが、これはすごく足腰を使うしろものです。ほんの数十分やるだけで、足腰が悲鳴を上げ始めます。きっと普段使われていない筋肉に刺激がいくのでしょう。日頃の運動不足をつくづく痛感すると共に、楽しんでやれる運動不足解消グッズを手にして、なんとなく生活に張りが出てきている感じです。

いい年をして、こんなことに夢中になっている姿を、ご近所ではどのように見ているのか、ちょっと恥ずかしい気持ちもあるので、練習する場合は、幼稚園の年少である次男を「外で遊ぶぞ〜」と誘って、いかにも子どもの面倒を見ているふりをして楽しんでいます。しかし、次男は今ではキックボード(スケボーに舵取りがついたようなもの)をスイスイ乗りこなしているので、近づいてきたり、追い立てられたりして、その度にバランスを崩し、怖くて思ったように練習ができないことと、子どもに「ボールで遊ぶ〜」と言われると、しばらくボール遊びに付き合ってからでないと乗れないのが難点です。

その他、軟式テニス経験者の妻が最近、硬式テニスを週1回、スクールで習っていることもあり、私も中学時代に軟式テニスをやって、その後は遊びで、硬式テニスをやっていたので、妻の練習相手として、土日はほんの数十分から1時間程度ですが、家の前の道路で二人で草テニスを楽しんでいます。「子どもが大きくなって、手から離れ、コートを借りて楽しめるのはいつのことか」と夢見ながら・・・。

やはり、人生いくつになっても、身体が動かせるうちは、何らかのスポーツや運動をやることが、生活に張りができ、精神的にも肉体的にもよいようです。
バランス感覚に自信のある人、Jボードはお勧めです。はまりますよ〜。
(遠田弘一)
posted by ..... at 20:53| Topics

2009年10月10日

064:「敬天愛人」

今世間のトピックとしては、新型インフルエンザでしょう。私自身も他院の内科外来でたくさんの患者さんを直に診てきています。とくに最近は、祭りの後に10代〜20代の若者が罹患して来院してきています。今後もこの流行には注意が必要です。また、今の新型はブタ由来ですが、これより、さらに高病原性と考えられている鳥インフルエンザの脅威もまだ去ったわけではありません。人間の社会はこのような伝染性の病気や様々な自然災害、戦争を含めた人的災害に晒されてきましたし、これからもそうでしょう。

新型ではないにしろ、インフルエンザに関しては、雨宮先生が2009年2月のトピックで、私も2005年3月のトピックで触れていますので、私としては、ここであえて追加する情報はありません。
新型に対しての情報としては、既に多くのものが出回っているので、それらを参考にしてもらうとして、私としては基本路線は同様で、むしろいつもの「心がけ」の方が大切であろうと思います。別にインフルエンザに罹患したら、直ちに死ぬわけではありませんが、どのような状況であろうと、おそらくは、「死」という恐怖のために心が動揺するものであろうと思います。しかし、「死」は誰の身にも必ずやってくるものです。不平等が多く存在するように思えてしまうこの世の中で、これだけは平等です。「遅いか、早いか」の違いだけです。その時が来るまでに自分の中心をどのように定めておくのか?自分の歩むべき道をどのように歩んでいるのか?という「心がけ」です。最もその前に「自分とは何か?」「生とは?」「死とは?」がありますが、これらは、いずれもここに記すべきことではなく、自分自身で見いだすべきことでしょう。

新型インフルエンザや自然災害その他に対しての有用な情報を仕入れ、それに備えておくことを軽視するわけではありませんが、なによりもまず「心がけ」から始めるしかないと私は思っています。自分自身の中心を定めておかなければ、情報が氾濫する現代では反って、様々な情報に惑わされ、右往左往してしまうことになりかねません。
というわけで、いつものように前置きが長いのですが、私自身のトピックを書くことにします。

2008年3月のトピック「歴史の節目」で記した、「西郷隆盛」(林 房雄著)
(全22巻)を、最近ようやく読み終えました。途中いろいろな書物を並行して読んでいたため、1年半もかかってしまいました。作者はこの作品を32年間かけて書き上げたそうです。作者自身の成長とともに育ってきた作品なのでしょう。私も1年半の成長(?)とともに関わってきたわけです。
「西郷隆盛」という人物に改めて深い敬慕の思いが心を占めています。
西郷隆盛といえば、やはり「敬天愛人」という言葉が有名であります。いろいろ思うことはありますが、余計な我見を述べるより、次の言葉を筆頭として、先ほど述べた「心がけ」に触れてくる言葉を「南州翁遺訓」より、いくつか紹介するにとどめます。

・「道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。
 天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり」
・「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽くし、人を咎
 (とが)めず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし」
・「凡そ事を作(な)す須(すべから)く天に事(つか)うるの心有るを要すべし。
 人に示すの念有るを要せず」
・「平日道を踏まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分に苦しむものなり。譬(たと)
 えば、近隣に出火有らんに、平生処分有る者は動揺せずして、取始末も能く出来る
 なり。平日処分無き者は、唯狼狽して、なかなか取始末どころには之無きぞ。
 夫れも同じにて、平生道を踏み居る者に非ざれば、事に臨みて策は出来ぬもの也。
 …」
・「事に当り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡そ思慮は平生黙坐静思の際に於て
 すべし。有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり。事に当り卒爾
 (そつじ)に思慮することは、譬えば、臥床夢寝(がしょうむび)の中、奇策妙案
 を得るが如きも、翌朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し」


西郷隆盛は、満50歳でその生涯を終えたそうです。私は、来年同じ歳になります。同じ歳にしては、なんという遙か彼方にそびえ立っている人物でしょう。
いずれの言葉も我が至らざる姿を照らし出す言葉です。まだまだ、たくさんの遺訓がありますが、割愛します。
道は遙かに続けども、一歩一歩、自分なりに進むしかなさそうです。

                                (遠田弘一)
posted by ..... at 16:41| Topics

2009年08月01日

063:一匹の蝶が地球を変える?

皆既日食が話題となっている今日この頃ですが、この度の日本での皆既日食は46年ぶりだそうです。天文学が発達していない昔は、おそらく、大異変の前兆とか天の怒りとか捉えて、多くの人に影響を与えてきたのではないでしょうか。

皆既日食ほど大きな現象ではないですが、ごくごく小さい現象が地球環境を変えるという興味深い考え方があります。その分野に詳しい人にとっては、別に新しい情報ではないかもしれませんが、ちょっと紹介してみましょう。それは、今読み進めている「宇宙には意志がある」(桜井邦明著、徳間文庫)の中にあったものですので、そのまま抜粋してみます。

・・・カオスの研究で、ひじょうに有名な話に「バタフライ効果」がある。 これは、コンピュータ・シュミレーションによって証明された事実なのだが、たとえば南米の大森林の中で、一匹の蝶が羽をバタバタとさせる。すると、これによってわずかばかり空気が動くのだが、それが周囲の環境を少しずつ変えることによって、最終的には地球全体の気温を上げたり、大気の大循環の流れを変えたりする可能性があるということが分かったのである。・・・(略)・・・カオスという現象を発見したのは、気象学者のE・N・ローレンツだが、彼が1963年に「ごくわずかな変化によって地球大気の大循環パターンがまったく変わる」と報告したとき、彼の仲間は誰一人として信用しなかった。しかし、今日ではきわめて多数の要素によって構成されている現象では、ほんの少し、一部分の数値が変わると、それが全体を大きく左右してしまうということが、この「カオス」研究から明らかになっている。

というものです。確かに俄には信じられない話であります。一匹の蝶の羽ばたきですら、地球環境に影響を及ぼすとしたら、安心して暮らしていけそうにもありませんが、あまり現実感もありませんので、特に心配する気にはなりません。しかし、蝶の羽ばたきをたった一人の人間の行動に置き換えた場合は、どうでしょう。こうなると、やや事情は変わってきます。昔は「たった一人でいったい何ができる?」という意識が支配的であった時代もあったと思いますが、今の私たちには、情報が豊富に存在します。たった一人の人の勇気のある、あるいは何気ない言動によって、徐々に周りが変わり、やがては世界の多くの人々に影響を与え、それによって歴史が変わるというようなたくさんの事例を耳にしています。今現在でも一人の人の何気ないおろかな行為が多数の人の運命に関わっていくような事件となることも新聞等でよく目にすることであります。

地球環境はともかくとして、今の人間の生活はほとんどがコンピュータの制御のもとにあり、ほんの少しのハードの故障やプログラムミスによっても生活全般に幅広くその影響が及ぶ現状ですので、未知であれ、既知であれ、ちょっとした要素が、人間の生活を大きく変えることは十分にあり得ます。

今何気なく、同じように進んでいる毎日の状況は実は、いつ何時でも大きく変わり得るという不安定な瞬間の中で人間の生が営まれているという事実にあらためて連想が行き着きます。「さて、そのような状況で自分に何ができるのだろう?」と思うと、ついつい無意識に過ごしがちではあるのですが、やはり、自分の一挙手一投足にいかに意識するかということでしかないようです。

46年ぶりの皆既日食を迎えて、皆さんは何を思い、連想しているのでしょう。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2009年07月01日

062:将棋再入門

皆さんも、特に男性であれば、一度は将棋に関わったことがあるか、現在も継続していることでしょう。私も小学校低学年の時に父から将棋を習い、一時それにはまりよくやっていたものです。弟も将棋ができるようになってからは、2人でよく遊んでいました。その頃の勝負といえば、まったくの子供の勝負です。「王手・飛車取り」などと脅かせば、あわてて飛車を逃がそうとするようなレベルでした。その後、しばらくそれから離れているうち弟の方は近所にいた親戚のおじさんに将棋を習うようになり、ある時久々に勝負をしたら全く手筋が変わっているのに驚かされました。「飛車取り」と打っても、それをチラッとみるだけで、いかに王手をかけるかを考え、攻勢にでてくる始末で、いつの間にか歴然とした実力の差がついていました。「上手な人に習うとこうも違ってくるのかぁ」と感心したものです。しかし、あえて自分も修行をするという気にもならずに月日が経ちました。途中時々はやったような気もしますがレベルはさほど変わらずだったと思います。大学生になり、将棋好きの友人がいて、また少しのめり込む状況がありました。その友人がまた強くて、数十回やったうちの1回しか勝った記憶がありません。その屈辱的な実践から手筋を少しは覚え、子供の頃よりも、多少レベルは上がったのかもしれません。何事も自分よりレベルの上の人と交わることが大切なのでしょう。しかし、その後、仕事を持つようになり、将棋をやる機会から遠ざかり、現在に至っています。

私の長男が今年の4月で小学3年生となりました。1〜2年くらい前から、友達の影響もあり、今流行りのWiiやら、特に最近はDSが欲しいと騒ぐようになってきていました。私は今まで、あの手のテレビゲームにのめり込むことはなかったので、家には当然、そういったものはなく、また、小さいうちからあのようなものにはまる状況を好ましいとは思っていません。Wiiはともかく、DSはどこへでも持ち運びが可能なので、親の目の届かないところで、いつでもゲームをやるような状況が生まれてしまいます。目も悪くなりそうだし、不健康な印象があります。まわりの友達は持っている子も多いようなので、少し、かわいそうな気もしましたが、「そんなものは、高校生か大学生になってから自分で買いなさい」と突っぱねてきていました。

そこで、ふと思いついたのが、将棋です。私もちょうどそのくらいの時期に習ったような気がするので、これを教えてみようかと思い立ちました。将棋の方が頭で考える姿勢が身につくので、遙かに良い気がしたのです。早速、将棋盤と駒と子供向けの入門書を購入し、先日教えてみました。はじめはそれほど乗り気ではなかったような印象もありましたが、取りあえず一通りの動かし方を教え、一度教えながら勝負をしてみました。やっているうちに何となく、はまりそうな様子もあったので、少し動悸づけをするために、思わずこう口走ってしまったのです。「将棋でお父さんに勝てたらDSを買うことも考えてあげるよ」などと・・・。

さぁ、これが不注意でした(口は災いの元)。それを聞いた、子供の目の色が変わり、のめり込む勢いを示し、自分なりに本などを読みながら、将棋盤に向かっていました。次の日、再び対戦したのですが、ある局面でこちらの攻撃に対し、持ち駒で防ぐ手が非常に良かったものですから、それをほめると同時に「これは、自分より筋がいいかもしれん」と内心焦りを感じ、よけいな約束を口走ったことを後悔しました。「約束をした以上、それを破りたくはない、しかし、小学生のうちからDSはなぁ〜」と複雑な思いになり、「ぼやぼやしてはいられない。このままだと、小学生のうちに将棋の勝負に負け、親の面目を失い、DSまで買わされてしまう・・・」というわけで、私も「初心者のための〜」的な将棋の本を買いあさり、今まであまりしなかった将棋修行に邁進しています。将棋道場へ通う時間もなく、相手もいないので、パソコンの将棋ソフトも手に入れ、コンピュータ相手に勝負していますが、これがなかなか強く、というより、自分の実力はそもそも初心者に毛の生えた程度であることが明らかになり、さらに冷や汗をかいています。しかし、やり出すと、頭の知的作業を刺激されるのか、なかなかはまるもので、結構楽しんでいます。私の父もよく日曜にNHKの将棋の番組を見ていましたが、今ようやくその気持ちがわかるようになりました。上手な人の勝負を見るのも修業の一つです。本当ならば、上手な人と実際に対戦する方が遙かに良いようなのですが、なかなか今の生活では難しい気がします。しかし、本とテレビとパソコンとで何とか実力をつけ、子供の挑戦をかわしていかねばなりませんので、しばらく将棋づけの日々が続きそうです。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2009年03月01日

061:人生は感動のドラマ

現在、興味を引かれていることが2つあります。一つは、今放映されている、NHK大河ドラマ「天地人」の主人公である、直江兼続です。今まで、この人物を扱ったドラマの記憶がないので、この人物に関しては、全く白紙の状態でした。さっそく、今さかんに出回っているこの人物関係の書籍のいくつかを読んでみましたが、なかなか興味深い人物であります。今年の大河ドラマの主人公であるためか、昨年に歴史を扱う番組や、何かのバラエティ番組でも戦国時代に兜に「愛」の文字を掲げた武将がいたというエピソードを何回か目にしていました。しかし、その場限りで記憶の片隅に追いやられていたところ、今年に入って、ようやくその事と人物が一致しました。「義の武将」といえば、やはり上杉謙信を思い浮かべますが、その謙信を師と仰ぎ、その「義」の心を受け継ぎ、民や家臣への愛を貫いた生涯だったようです。武事のみならず、文事にも優れた武将で、「義と愛」を掲げて貫いた生き様は、それが失われつつある現代だからこそ、スポットが当てられたのかもしれません。

最も、冷静に考えてみると、戦国時代というのは殺し合いの時代です。いや人類の歴史そのものが無数の戦乱を通して、築かれてきています。その時代で勇名を馳せるということは、武事あるいは文事に優れ、自国内では多くの民に支持される善政を施したのかもしれませんが、一方では多くの敵方の武将や時には領民を殺害してきたということでもあります。ドラマで描くときは、どうしてもその主人公には善の要素を前面に打ち出し、敵対する人物には悪の要素を印象づかせがちですが、実際にはそれぞれがそれぞれの信念に基づいて行動してきたのであり、簡単に善悪として割り切れるものではありません。

これは書籍で知ったことですが、関ヶ原の合戦が始まろうとしていた頃、東北では直江兼続は最上攻めをしていました。その敵方に最上義光の家臣で江口五兵衛光清(えぐちごひょうえあききよ)という武将がいました。全くの負け戦という状況がはっきりしている時に兼続からの降伏勧告や寝返り、仕官の勧め等の説得をきっぱりとことわり、討ち死にし、武士の誉れを守ったというあっぱれな武将で、今でも地元では愛されている人物だそうです。いまだに愛されているということは、その地元の領民に対しての接し方も相当行き届いたものだったのでしょう。その地元の人たちは、直江兼続を主人公にしたこのドラマをどのように受け取るのでしょう。

いずれにせよ、関連書籍により、ある程度の出来事の流れはつかめましたので、私としては、今後このドラマがどのように描かれていくのか楽しみです。

さて、もう一つは、極端にジャンルが変わりますが、アニメ「メジャー」です。今小学校2年生の長男が近所のソフトボールのクラブに入って土・日の午前中に練習しています。土・日の午後はキャッチボールや打撃の練習などに付き合わされるのですが、その影響でアニメ「メジャー」にはまり、一緒になって楽しんでいます。始めは、別に興味がなく、子供達と嫁さんが見ているだけでした。皆でテレビの前にいる姿を横目でチラッと見ながら通り過ぎ、自分の部屋に向かっていました。しかし、ある時、ある場面で、ふと足を止められたのが罠のはじまりで、その流れの結末をちょっと確認して、通り過ぎるということが数回繰り返された後、途中からでしたが、気になるいくつかのエピソードを自分だけでこっそり通して見てしまって、袋の鼠。今ではすっかりはまってしまい、一緒にテレビの前に陣取っています。

エピソードは第1〜第4シリーズまでは既に放映されていて、今現在は第5シリーズが放映中です。やはり、子供時代(第1シリーズ)から見る必要(?)を感じたので、始めから通して見ました。子供時代のものは、ほんの1話のなか(20〜30分)で、始めはけんかしている悪ガキとひと騒動を起こしたのち、すぐに仲直りして野球を一緒にしていく仲間となっていくような展開の早さで、「んん〜、現実にはありえない〜」とか、自分の子供達を観察する限りにおいては、「あんな年齢でできる発想や言動じゃな〜い」と茶々を入れたくなる場面もありますが、やはり子供を持つ親として、いつの間にか感情移入し、目をうるませてしまうシーンも多々あり、子供ながらに手に汗握る白熱戦を繰り広げる試合も盛り込まれています。第2、第3シリーズと進むにつれ、時には勝負に勝ち、時にはボロボロに負け、それでもいつまでも引きずらずに、すっと前向きになって歩んでいき、様々な経験を経ながら、成長していく主人公「吾郎」に我が子への思いををだぶらせている、今日この頃です。

野球アニメと言えば、私の年代では、やはり「巨人の星」でした。「思い込んだら、試練の道を行くが男のド根性・・・」という重い空気がただよっていましたが、「メジャー」にはそれはなく、同じ「根性もの」でも割とサラッと流れていく、現代タッチのアニメで、自分にとっては、ひさびさに目に心地よい潤いと心にはちょっとした清々しさをもたらしてくれる作品です。

全く違う2つのジャンルのドラマで、アニメの方は完全なフィクションですが、歴史ものの方もその人物の資料や史実に基づいたものですが、結局、作者の見方によって捉えた(推測した)り、多少の願いを込めた人物像ですので、ある意味ではフィクションに違いありません。こういったフィクションによって感動を与えられるわけですが、その感動も受け取る側のそれまでの経験や考え方によって、同じ作品を見ても、微妙に異なるか全く違うことになると思われます。「人生は感動のドラマである」というようなフレーズをどこかで見たような気がしますが、その感動の中には、実際に生きて経験して得る感動もあれば、こういったドラマ、演劇あるいは芸術などから得られた感動もあるわけで、それらが大小種々入り交じって構成されていると思われます。「人によりその感動の様相に違いはあれども、この世のあらゆる事象を感動を伴って感得できる人ほど、豊かな人生を生きることになるのであろうか?」などと夢想している春の季節です。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2009年02月01日

060:インフルエンザと麻黄湯

昨年あたりから、インフルエンザには麻黄湯が効くとだいぶ言われるようになってきました。私も今年からインフルエンザに麻黄湯を使っていますが、確かに5日間の麻黄湯投与ですっきり治ることが多いです。

一般に漢方薬は薬味が少ない方が効果が先鋭に出る傾向があります。麻黄湯の生薬構成は桂枝、麻黄、甘草、杏仁の4味です。構成生薬数の少ない処方ですので効果は先鋭に出るはずです。麻黄湯は昔から「はしか」のようなウイルス感染症に使われてきました。麻黄には抗ウイルス作用があるといわれ、杏仁には鎮咳作用があり、確かにインフルエンザにもよく効きそうな気がしますが、実際のところどう作用しているのかはわかりません。しかし、使ってみると確かに良いです。麻黄湯は実証の薬とされていますが、虚実はあまり気にしなくて大丈夫です。副作用を恐れながら抗インフルエンザ薬を使うより、ずっと優れたインフルエンザ治療薬といえます。幸い小児にも使えます。異常行動など抗インフルエンザ薬の副作用が心配な小児科医がよく使っているそうです。

インフルエンザといえばタミフルを思い浮かべる方が多いと思いますが、タミフルはノイラミニダーゼ阻害作用によって、ウイルスが上気道粘膜に付着するのを防ぐ薬です。特効薬ではなく予防薬といった方が良いでしょう。発症初期に飲めば多少発熱期間が短縮するだけの効果です。インフルエンザはタミフルがなくとも治る病気です。タミフル=インフルエンザの特効薬という考えは捨てた方が良いと思います。新型インフルエンザに関する報道も増えていますが、この話はまた次回にでも。

(雨宮修二)
posted by ..... at 00:00| Topics

2009年01月01日

059:夢の断片

早くも新しい年を迎えてしまいました。昨年は「母の死」という大きな出来事があり、それを機に本年は個人的に大きく環境を変える予定がありますが、慈温堂は今まで通り、運営していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。今現在進行中ですが、慈温堂の入っているビルのトイレが新しく作り直され、今年からは清潔な環境が整うようで、有難いことです。さて、新年にあたって、またとりとめもなく、思いつくままに話をしてみたいと思います。

私は評論家ではないので、世の中がどう動こうと、私にとっての真実は私の身近なところで起こっていることに関係しますので、話題はどうしても、身近な(個人的な)ことになってしまいますが、おつきあいください。

去年の年末までに韓流ドラマの一つである「朱蒙(チュモン)」が最終回を迎えてしまいました。これは、「高句麗」という国を築いた主人公「朱蒙(チュモン)」をその親の代から描いたドラマです。戦記物で、戦う場面が多いのですが、軍隊といっても、画面に収まりきってしまう小規模な人数構成なので、少し異和感を感じていました。しかし、内容がそれをカバーする程、面白かったので、すっかりはまってしまい、新しいDVDがリリースされるのを妻と一緒に首を長くして待っていたものです。それなのに、このドラマが、終わってしまったため、そもそも韓流ドラマにのめり込んだ原点を振り返るつもりで、「冬のソナタ」を再度、見始めています。ちょうど季節も冬で、前回もこれを見たのは冬でした。前回のものは、日本で編集された(いくつかの場面がカットされた)ものだったので、今回はオリジナル完全版を見始めています。それで、気がついたのですが、ドラマで使われているBGMがオリジナル版と編集版とでは若干違っていました。個人的には日本の編集版のBGMの構成の方が、よりしっくりとくる感じがします。オリジナル版では、映画音楽とか他のミュージシャンの曲がよく流されています。その使用されている曲のうち、今となっては、もう古いのですが、フランスのミュージシャン、M(ミッシェル).ポルナレフの曲がありました。前回では気がつかなかったので、多分、編集版の方には使われていなかったと思います。このM.ポルナレフという人の曲はこのドラマでの使用の是非はともかくとして、私にとっては、思い出深い曲だったので、懐かしい記憶がよみがえってきました。しまい込んでいた、ポルナレフのカセットテープを取り出し、また聞き直してみましたが、ほろ苦い失恋の記憶とともに様々な記憶の断片、夢の断片が思い出されました(冬ソナを見るには、ちょうどいい心境かもしれません)。

「昔、夢見た様々なことのうち、どのくらいのことが実現できたのだろうか?」とふと回想すると、いくつかは、それなりに実現できた気もしますが、多くは断片のまま、その場限りで流れ去ってしまったようでもあります。その時は、時間はあれども、経済的に不可能であったり、今は経済的には何とか可能でも、それにかける時間がないというものもあります。また、その時に実現できれば、意義があったようような気もしますが、今となっては、あまり意義を見いだせない数々の物事もあります。こういった様々な夢の断片の積み重ねで私の人生が流れてきた気もしますが、いったい、人生とは何なのでしょう。この想いが心の奥底からふつふつと湧いてくる今日この頃であり、何とも言えない感傷にひたったお正月を過ごしています。

昔、太閤秀吉が辞世の句として「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことは夢のまた夢」と詠んだそうです。その当時は、「人生50年」と言われていました。私も今年の3月で49歳になります。その当時の基準でみれば、すでに晩年の時期を過ごしていることになります。今は高齢化社会であるので、一般的な認識とは違っていますし、自分もまだまだ手のかかる子供達を抱えているので、そのような認識はかなり薄いのですが、「夢のまた夢」という言葉は妙に自分なりの共感を感じてしまう年齢になってしまいました。この言葉は私の父が小太郎漢方の「漢方研究」という雑誌に、ある時期随筆を投稿していた時のタイトルでもあります。
新しい年にあたり、私としては、もう一度、自分自身の人生を、自分自身を、振り返る時期なのかもしれません。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2008年09月01日

058:太陽活動周期

前々回のトピックスでは「地球は寒冷化する!」と衝撃的なタイトルで目をひいたつもりですが、今回は太陽活動の概説と最近の異変について述べます。漢方とは直接的には何の関係もない話です。

太陽周期では11年の太陽周期が最も有名です。太陽活動が活発な時は黒点が多く出現し、逆に太陽活動が不活発な時は黒点が減少することから、黒点数が太陽活動の最も分かりやすい指標です。また黒点は大昔から観測されてきていますので、データも豊富です。公式に観測が始まった1755年から各周期には通し番号が付けられ、現在は23期が終わり、2008年1月から24期に入ったといわれています。通常は新しい周期に入ると黒点数はすぐに増えていくのですが、今年は一向に増える気配がなく、ついに8月には黒点の全く消失した1ヶ月を100年振りに記録しました。10月に入ってようやく肉眼で認められる黒点が出現しましたが、大きさは小さく数も少ないです。この異常に長い黒点数の減少期が何を意味するか、専門家の意見は分かれています。2010-2030年は太陽活動は衰退すると予測した論文も発表されています。素人が単純に考えれば、太陽活動は衰退期に入ったのではないでしょうか。

太陽には11年周期以外にも多数の周期的活動がありますが、有史以来何回か名前のついた極小期(Grand Minimum)を経てきました。なかでも1645-1715年のマウンダー極小期(Maunder Minimum)が最も有名です。この時期黒点はほとんど観測されず、地球は小氷期(Little Ice Age)といわれる程冷えきった時期でした。農業生産は振るわず、アイルランドではじゃがいも飢饉が起こり、テムズ河は凍結し氷上で市場やスケートをする姿が絵画に残されています。一方その前の中世は温暖期(Medieval Warm Period)で、非常に豊かな時期でした。イギリス南部でもブドウ栽培が可能だった程で、今もWineを冠した地名がたくさん残っています。グリーンランドはその名の通り緑の大地で、この時期バイキングが移住し農耕牧畜で生活できました。この時期の太陽活動は活発であったことが、炭素や酸素の同位体を用いた研究で証明されています(Medieval Maximum)。1790-1820年にはダルトン極小期(Dalton Minimum)と名付けられた極小期がありました。20世紀に入ると、1960年代から一時的な低下(20期)がある他は増大傾向が見られ、おおむね太陽活動は活発でした(Modern Maximum)。この間地球の平均気温は0.6°C上昇。ただし、人間が大量にCO2を排出し始めるはるか前の20世紀初頭から上昇は始まり、産業革命でCO2の排出が劇的に増えた1940年代からは皮肉なことに平均気温は低下したのです!

20080901.png

DAYLY TECHから転載、(Source:Wikimedia Commons)

このように太陽活動には大きな変動があり、そのつど地球は大きな影響を受けてきました。太陽活動が活発な時期は地球は温暖化し農業生産がさかんで、豊かな時代。逆に太陽活動が不活発な時期は寒冷化が起こり、飢饉や暴動などが起る厳しい時代でした。今後の太陽活動がどうなるかはまだはっきりとはわかりませんが、最近の様々な観測結果は太陽活動の低下を示唆しています。世界を上げてCO2人為的地球温暖化大変だーの大合唱ですが、温暖化はむしろ豊穣をもたらすこと(近年「温暖化ワイン」といって、今まで糖度の高いブドウが収穫できなかったドイツで良質なワインが生産されている)。地球は太陽活動の衰退によって寒冷化する可能性を常に持っていることを忘れてはいけません。太陽活動と経済活動はシンクロナイズするとの説もあり、昨今の世界的な金融経済の大混乱を見るにつけ、考えさせられます。

(雨宮修二)
posted by ..... at 00:00| Topics

2008年08月01日

057:母のこと

2003年の8月に「父のこと」と題して、トピックに掲載しましたが、それから5年後(今現在)、今度は「母のこと」を書く日がやってきてしまいました。母は病気(胆のう癌の転移)のため去る7月16日に東京の病院で静かに息を引き取りました(享年75歳)。1年前に胆のうにポリープが出来ていることがわかり、大きさからいって手術対象でしたので、自宅近くの病院にて手術を受け、その際に胆のう癌であることがわかりました。今年に入って、followの検査で多発性転移が認められ、6月6日に腸管への浸潤穿孔で緊急入院となり、上記の転帰を辿りました。昔から、家で一番元気で、風邪などもめったにひく人ではなかったので、もっと長生きすると漠然と思っていました。16日の夕方頃に状態が悪化しているという連絡を受け、東京へ向かいましたが、結局最後を看取ることはできませんでした。しかし、入院してから約1ヶ月の間は比較的元気にしていましたので、何度か土日に病院に泊まり、最後の数日を共に過ごせました。また、母には1年前からその病気については全て話していましたし、今年になってわかった病状についても全て話してきました。自分の病気をしっかり受け止めて、最後まで明るく過ごしていました。「自分の人生は悔いないから、大丈夫だよ」という言葉も聞いていましたので、特に思い残すことはありません。

しかし、この世に生をいただいた、恩ある両親が共にもう会えない存在になってしまい、あらためて月日の流れを感じますし、ふっとしたときに切ない思いが涌いてきます。

母は子供の頃は、田舎育ちで、両親は畑仕事で忙しいため、弟や妹をおんぶしながら、小学校へ通ったようです。そのためか、好きな勉強もきちんとできなかったと聞いています。その後、東京で働くようになり、父と出会い、父がまだ医学生の時に結婚して、嫁に入ったので、最初のころは、父の両親(私の祖父母)と兄弟(3人)の洗濯から食事の用意までしていて、子供(3人)が生まれた時は、母自身を含めて10人の家族の生活を切り盛りしていました。私の祖母は身体の弱い人で、しばしば床についていたため、ほとんど母一人で家事を担っていたと聞いています。今のように生活に便利な物など無いときですから、それはもう想像を絶する忙しさだったと思います。父の兄弟もそれぞれ独立し、私たち子供達もそれなりに手を離れるようになり、祖父と祖母も他界して、ある程度、自由がきくようになった頃に、父の大阪での勤務が始まりました。単身赴任とはいえ、母も2週間毎に東京_大阪間を行き来することになり、この生活が約20年間も続きました。元気な母だからこそ続けられたのだと思います。忙しい状況は相変わらずでしたが、常に前向きで明るい性格だったので、私は母が泣き言を言うような姿は記憶にありません。忙しさの中でも自分の好きなことを見つけては積極的にいろいろ実行して、人生を楽しんでいる人でした。

私の父はどちらかというといろいろ考え、考え抜いて、いいと思うことだけを行動に移すタイプの人でしたが、母はそれとは違い、直感ですぐにいいことを行動に表せる人でしたので、父もそのような母を尊敬していました。

母は、子供達が悪さをしたときは、すぐに手がでました(よくおしりをたたかれました)。従って、母が怒りだすと家の中を逃げ回り、それでも「1回はおしりをたたくまでは追いかけまわすよ」との一言で、あきらめて、おしりを差し出したことも懐かしく思い出されます。また、ある時は、逃げ回った末に、家の外まではだしで飛び出したこともあり、さすがにこの時はあきれていました。

また、母は面倒見もよい人でしたので、病気の時などはそばにいるだけで、非常に安心感を感じました。父は医者でしたが、病気の時に寝床に父が顔をだすより、母が顔を出してくれた方が病気が治った気になったものです。最も子供にとって母親という存在は多くの場合はそういうものかもしれません。現今はそうではないと思われる母親のことがニュースで目につきます。嘆かわしいことです。

私が高校を卒業してから、人生の道に迷い今でいうニートの生活を長く(ちょうど10年間という半端じゃない長さです)していた時もけっして見放すことなく、信頼していてくれていました。そればかりではなく、気持ちが腐ってはいけないというので、父が大阪へ行っている隙に内緒で自動車の免許まで取らせてくれました。父は勉強以外のことはあまり融通が利かない方でしたので、母のこの心配りは有難いことでした。

父は勉強や研究は熱心でしたが、日常生活の様々なことをほとんど意に介さない性格でしたので、細々としたことはすべて母の支えがあって成り立っていました。一度母が、大腿骨を骨折し、数ヶ月間大阪へいけなくなったことがありました。久しぶりに大阪に来てみると、父は敷きっぱなしの布団の下に後生大事にカビを飼っていたこともあったようです。こんな父であればこそ、自分の仕事に深く打ち込むことができたのだろうとも思います。しかし、実は父が自分の仕事に打ち込めたのは母のこの支えがあったればこそでした。内助の功といいますが、母は見えないところで、父の仕事の大きな部分(役割)を担っていたのです。

まだまだ様々な思い出がありますが、とても書ききれるものではありません。ただこの場で言っておきたいことは、母もまた、自分の天命を全うして父の元へ逝ったのだと思っています。私はこのような母の元に生まれたことを本当によかったと思っていますし、今でも感謝の思いで一杯です。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2008年07月01日

056:地球は寒冷化する!

洞爺湖サミットで、2050年までに温暖化ガスを半減する長期目標を世界で共有するという合意がなされたばかりの時に、意外なタイトルに驚かれるかもしれません。しかし最近、いろいろなところから地球温暖化と温暖化ガス削減政策への疑義が聞こえてきます。

まず地球は本当に温暖化しているのでしょうか。メディアは崩れいく氷河や、融ける凍土の映像ばかりこれでもかとばかり、垂れ流していますので、地球は温暖化している、このままでは地球は大変な事になってしまうと刷り込まれてしまいがちです。私もそう思い込んでいたのですが、少し疑問を持って色々な情報を集めてみますと、どうも単純に温暖化が起きているとはいい切れないと考えるようになりました。WMOによれば地球の平均気温は1998年がピークでIPCCの上昇予測とくい違ってきています。さらにもっと長いスパンで眺めれば、14世紀半ばから19世紀半ばは小氷期といわれ気温が低い時期でした。一方20世紀の半ばからはその回復期にあり上昇傾向が見られても不思議ではありません。

また地球の気温は太陽活動の影響が大きく、オーストラリア天文協会は今後20年は太陽活動が衰えていくと予想を出しました。太陽活動が衰えると、地球の気温に大きな影響を持つ雲量が増え、今後地球の平均気温は下がっていくだろうと地質学者丸山茂徳氏は予測しています。むしろ地球寒冷化を心配すべきかもしれません。実際、30年前までは地球寒冷化の危機がさかんに叫ばれていたのです。

次に地球の平均気温が上がっているとしても、CO2の排出など人為的な原因はどの程度寄与しているのでしょうか。有名なオーロラ学者赤祖父俊一氏は、ここ100年間の0.6度の温度上昇はその前の100年間の0.5度に比べて、0.1度高いだけである。現在進行中の温暖化の大部分(約5/6)は地球の自然変動であり、人為要因は1/6程度である可能性が高いと述べています。

最後にCO2の排出を抑制してどの程度の効果が期待できるのでしょうか。何と100年後に1度上がるのを106年に伸ばすのだそうです!この程度の効果のために世界中で1兆ドルものお金をつぎ込む合理性があるのでしょうか。費用対効果でいえばこれほど馬鹿げた政策はありません。なかでも日本は、すでにCO2排出の少ない優等生国であるのに、さらなるCO2排出削減を求められ、あげくの果てに排出権取引で何兆ものお金をまきあげられるのです。これでは「環境ピエロ」といわれてもしかたがありません。ピエロが笑いをとるだけならいいのですが、このピエロは国民の税金を何兆とどぶに捨てるのです。そんなお金があるのなら、少しは医療の方に回してくれといいたくなります。

環境、エコといわれると逆らいがたい最近の雰囲気ですが、メディア好みの美名の下にいったい何が進行しているのか、よーく見なければいけないと思います。

(雨宮修二) 



posted by ..... at 00:00| Topics

2008年03月01日

055:歴史の節目

歴史の節目と仮にタイトルをつけてみましたが、歴史の節目とは人間の勝手な視点から区切りをつけたものであるので、本来そのような節目があるわけではないのでしょう。大宇宙の営みは常に滔々たる流れのままにあるようですし、大宇宙の一局所の銀河系の、そのまた局所の太陽系の、その中の一つの惑星「地球」のさらにまた一地域である日本というように視点を下ろしてくると、その歴史が数千年あるいは数万年あろうが、その大宇宙の営みからすれば、目にもとまらぬ一瞬のような気がしてきます。人間の歴史、いや地球の歴史自体が一体どれほどのものなのか?という、なにやら茫漠たる思いがよぎることも確かです。しかし、そのわずかな一点の中で黙々と営みを続ける人間の視点からすると節目を区切った方が話がしやすいことも事実であります。前置きが長くなりましたが、今回は、この節目について、少々感じることをつぶやいてみたいと思います。

今、NHKの大河ドラマは、ちょうど幕末から明治維新の頃をテーマにして、特に「天璋院篤姫」という女性にスポットをあてて描いています。私個人は、歴史の中でも戦国時代とともに明治維新前後は興味がある時代ですので、毎週楽しみに見させてもらっています。今までも断片的にこの時代の読み物は読んできましたが、また特に火が付けられてしまった感があり、その時代背景のことや人物が知りたいという気持ちが強くなっていました。ある時、古本屋で、「目で見る日本史「翔ぶが如く」と西郷隆盛」文藝春秋編(文春文庫)という書物を手に入れ、早速読んでみたら、さらに拍車が加わりました。特に、「西郷隆盛」という人に対しての関心が今は猛烈に高まっています。子供の頃、上野の動物園に何回か行ったことがありますが、その際、犬をつれた西郷さんの銅像が近くにあり、何度か見たことがありました。その時は、昔この辺に住んでいた有名な人なのだろうという印象しかありませんでした。長ずるにつれて、この人に関しての断片的な知識が入ってきて、明治維新に活躍した偉大な人だったんだという感じをもっていました。しかし、この人の生涯に関しての小説を読んだことがありませんでした。いや、一度読み始めたことがあります。それは家の物置だったか、父の書斎の奥にあったのか忘れましたが、林房雄著「西郷隆盛」という本で、読み始めてみたのですが、何故か第3巻までしかなくて、続きが読みたいと思っても、書店にありませんでした(もう絶版だったためか?)。神田の古本屋街をぶらついて、探してみたこともありましたが、うまく見つけることができませんでしたので、あきらめていました。その頃、書店で見かけたのは、海音寺潮五郎著の「西郷隆盛」でしたが、これは、かなり圧巻だったため、金銭的にも集中力にも自信がなく、「まぁ、そのうちこれを読んでみよう」などと思っているうち月日が流れ、もう既に30年弱経つのでりましょうか、今頃になって、ようやく機会が巡ってきたようです。

最近は、司馬遼太郎さんの書き遺された書籍に興味が向いていて、歴史や日本のことなどについて、著名人と対談したものを何冊か読んできていたので、その流れで、今は「翔ぶが如く」から読み始めています。その前に簡単に読めるものとして「勇のこと」津本陽著(講談社文庫)、「大久保利通」佐々木克著(講談社学術文庫)、「歴史を考える」司馬遼太郎対談集(文春文庫)、「小説SAIGOー21世紀の西郷隆盛」陽羅義光著(国書刊行会)、西郷隆盛「南洲翁遺訓」(角川文庫)他も興味深く読ませていただきました。これらを読んで思いましたが、歴史の節目には、戦国時代やその他の時代も同様ですが、本当にすごい人たちが輩出しているものです。特に明治時代としては西郷隆盛、大久保利通、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、高杉晋作等々優れた人物がよくも輩出しているものだと思います。しかも、これらの人達は、勝海舟を除けば、皆いろいろな形で途中で命を失っています。まるで、この時代のある時期だけに活躍するために現れたかのように・・・。例えば、島津斉彬というその時代に最も英明で国際事情に通じていた薩摩の藩主があり、この斉彬公によって、西郷隆盛は見出され、お庭番として様々な働きをさせられ、また、薫陶を受け、「西郷隆盛」という人物が形成されるのに多大な影響を及ぼした人ですが、この斉彬公が、薩摩の改革、ひいては日本の改革に乗り出そうとしていた半ばで、夭逝してしまいます。この人がもっと長生きをしていたら、日本の歴史も変わっていたであろうし、西郷や大久保が今知っている歴史のように活躍することも無かったかもしれないとも言われています。また、坂本龍馬は、皆さんご存じのように薩長連合のために大いに活躍し、その他、様々な時代を先取りした足跡を残し、大政奉還が成った直後に刺客によって、32歳の若さで命を落とします。まるで、そのために生まれてきて、走り抜けていった感じです。不思議なものです。歴史はこのように流れてきました。この流れがあって、今の時代があります。さらにこれからどのように流れていくのかはわかりませんが・・・。

最も人間の営みというのは、偉人だけでなく、老若男女、善人、悪人、賢人、愚者とあらゆる人たちの相互関係で成り立っているものであるので、歴史には残らずとも、まったく名もない人が重要な役割を担っていることも多々あるのでしょう。というよりその時代を成り立たせるために、すべての人たちが必要不可欠な存在かもしれません。

ジグソーパズルの絵で例えれば、一つ一つのピースは曲がりくねったり、膨らんだり、途中で切れているように見えます。ちょうど、一人一人の人生が、太く短い人生、細く長い人生、もう少し活躍すれば面白く成りそうなのに、志半ばで途切れたりする人生、まったく役に立っていなさそうな人生といろいろありますが、それをきっと歴史の枠に収めるとピタッとすべてが収まるのではないのでしょうか。どれ一つとして無駄な形はなく・・・。端っこのなんでもないような背景の一つのピースでさえ、それが無ければその絵を完成させるわけにはいかないのと同じように・・・。 最もこれは、人間の営みがその行き着くところが、何らかの完成という見方に立ったものですので、本当の所はどのようなものかは、知り得ようはずもありません。そうであってほしい(なんらかの意義があってほしい)と祈るのみです。

自覚があるかないかは別として、あらゆる人にその存在理由というのがあるのかもしれませんが、それでも確かにある輝きをもって、その時代に映える人達がいます。誰が一番輝いて見えるのかは、もちろん個人個人の好みや考え方によって、違ってきます。私にとっては、明治維新の頃の人物としては、「西郷隆盛」という人が最も心に響きます。「西郷さん」(この呼び方が特にしっくりきます)の伝記の断片を目にするにつけ、心にじわ〜っと熱いものがこみ上がってきます。特に最近、このような思いが強くなっています。うれしいことにこの間、オークションで例の林房雄著「西郷隆盛」(全22巻ーこんなに圧巻だったとは初めて知りました。せいぜい7〜8巻と思っていましたので)(徳間書店)をみつけ、落札できました。ようやく忘れ去っていた長年の宿願が果たせそうで楽しみにしています。海音寺潮五郎氏の著作も含め、この機に一気にいろいろと読んでしまおうと目論んでいる今日この頃です。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2008年01月01日

054:新年の決意

新年明けましておめでとうございます。毎年、様々な出来事が世の中を賑わし、また個人的な生活の中にも様々な変化がやってきては過ぎ去っていきます。その場限りのこともあれば、あとあとまでしばらく引きずることもありますが、まぁ、基本的には50歩100歩で、時間と共に流れ去り、多くのことが、問題にならなくなってしまいます。こんなにも変化変滅していく中で、「動かざること山の如し」(すでに去年の話題ですが・・・)で微動だにしないものがあります。いや、というより、少しずつは変化していますが、状況としてあまり変わりがないものです。それは、気がつかないうちに蓄積している‘不要なもの’の数々です。思えば、2001年に家を建て、その際、ローンという目に見えない大きな負担がのしかかり、これもまた「動かざること山の如し」と同じ性質のもので、その大きさは、中々変化が見えてこないものです。目に見える物としては、引っ越しの際に箱詰めにしたこまごまとした物がありますが、それらの中にはまだ日の目を見ていないものもたくさんあるようです。ちょうど忙しい子育てと平行して進んできているため、ゆっくり整理整頓ができないまま、取りあえずロフトに上げてしまって、「後でゆっくり整理しよう」というおまじないと共に記憶から遠ざかり、忘れ去られてしまったものが一体どのくらいあるのかも今では定かでなくなっています。というのも、時々用があって、ロフトに上がり、捜し物をしていると全然予想外に、忘れ去ったものがひょろっと出てきたりするからです。

2003年に父が亡くなり、その遺留品がさらに追加されて、ロフトからもあふれ出し、自分の部屋にいろいろな物が進入し、増殖してきています。本当にこれらの整理整頓がライフワークになりそうな状況が生まれています。人間、目前の生活がそれなりに進んでいくとまぁなんとかやっていけるわけで、ロフトや自分の部屋を占有している多くのものは、使われないまま、過ごせているので、ほとんどが不要品であるということははっきりしています。今までも何回か引っ越しをしてますし、私は、生来貧乏性なので、特に要らないものでも、「これは、将来何かに使うかもしれない」といっては、毎回たくさんの同じ物を運び続けているわけです。しかも、それらが使われる状況など決してこないまま、毎回数年以上経過しているのに・・・。

でも最近どうも周りの空間がごちゃごちゃしてきて動きにくくなってきました。不要な物を思い切ってばっさりと捨て、周りをすっきりしたら、どんなに気持ちよいだろうと夢見ながら暮らしている毎日です。もう、これ以上戦いを避けるわけにもいかなくなりました。いよいよ私にも遅れ馳せながら、川中島第4回の決戦の時(?)がきたようです。
そこで、今年の決意は、とにかく時間が少しでもあれば、溜まりたまったそれらの物を日の当たるところに引きずり出し、今までの状況を振り返って見定め、使えることがはっきりしているものは、目の届くところに置き、そうでないものは、どんどん捨てて整理していくということです。

これは、なにも物に限らないと思います。人生の目的や目標は人によって様々に違いはあるでしょう。その目的や目標にとって、それが本当に必要なのかどうか、今一度よくよく見つめてみることは誰にとっても必要であると思います。意外と変な癖やこだわりに捕まって、目的や目標を見失い、本来必要でないことのために多くの時間や労力を漠然と費やしてしまっているかもしれません。しかもそのためにさらに心も身体も身動きがとれなくなっているかもしれません。

運動不足のせいで、数年以上前からメタボの仲間入りをしている私としては、健康の面からも不必要な脂肪ときっぱりと縁をきらなければなりません。これを機に今年は、心と身体と身の回りの様々な事物を含め、ダイエットの年にしようと思います。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2007年06月01日

053:我が子に教示された読書の心

最近、次男(1歳5ヶ月)がよく動き回るようになり、ちょっと眼を離すと何をしでかすかわからいため、気が気でない今日この頃です。特に椅子をはい上がり、テーブルの上にも乗ることも覚えてきました。身体がしっかりしてくるのは、うれしいことではありますが、テーブルに乗る癖をつけてしまう(乗ってもよいと思わせてしまう)と眼を離した際に危険なので、テーブルに乗ったときは、なるべく怒ったふりをして(おしりを軽くたたいて、口でも言い聞かせて)、すぐに降ろすようにしていました。ところが、この間、妻に頼まれ、次男と一緒に留守番をしていたときのことです。

1階の部屋でお茶をのみ、読書をしながら適当にあやしていましたが、2階にちょっとした用事があって少し席をはずしました。
子供用のビデオをかけていたので、子供はそれなりに遊んでいましたが、念のため、自分の座っていた椅子はテーブルから少し遠ざけて、2階へ行き、3〜4分くらいで降りてきました。子供は普通に床で遊んでいたのですが、ふとテーブルを見ると、先ほど読んでいた本のカバー(上製本にかけてある半透明の白いカバー)にしわがよっていました。近寄ってよく見るとテーブルにお茶がこぼれていて、カバーだけでなく、本の後ろの厚い表紙の5分の1くらいの領域と小口の部分で後ろの40〜50ページ分の範囲にうっすらと緑色のシミが約1mm位の幅で上から下までついていました。「やられた〜」と思い、すぐに拭き取ったのですが、時すでに遅し・・・。隣の椅子はテーブルのそばにあったので、名探偵ならずとも、「おそらくそこを伝わって、テーブルに登り、お茶をこぼして、びっくりして、すぐに降りたもの」と推測されました。

テーブルに乗ったままではなく、床に降りていたのは、普段、注意されていたので、お茶をこぼして、「えらいことしてしもた〜」というような意識が働いたのでしょうか?
もしそうなら、それはそれなりに成長している証しでもあります。

幸いなことは、テーブルから落ちなくて良かったことと、お茶もぬるくなっていたので、火傷などもせずにすんだことです。一応、テーブルの上に乗ってはいけないことを再度教えるため、少し怒ったふりをして言い聞かせた(どれだけ、伝わったのかは定かではありません・・・)のですが、同時に子供から教えられたことがありました。

その本は、「正法眼蔵新講 上」(伊福部隆彦著)というもので、この著者である伊福部隆彦氏(故人)は、もともと老子の研究者というか、「老子の道」の人とでもいうような人で、人生のある時期に天地と一体となるような、あるいは、禅家でいう所謂「見性」というような体験を持ち、その体験の後に禅の世界にも踏み出すことになり、出会ったのが、道元の「正法眼蔵」であったようです。その道の師にも出会い、正式な師弟関係はないが、親しく交流する内に、「正法眼蔵」の精神を深く体得し、その精神および老子的な無為自然のあり方を歩みながら、多くの人を教え導いた人のようです(詳しくは、ホームページ「人生道場http://ques5.cool.ne.jp/jinsei/」を参照してください)。

この著者は、父が若いころに深く影響を受けた人で、実は、20数年前に父がこの地大阪に(近畿大学東洋医学研究所の教授として)来ることになる機縁の一つにもなった方です。

そしてこの人の著書の一つで「人生手帖」という題名の古本が手元にあります。これは、私が若い頃に道に迷っていた時に父が手渡してくれたものです。最もその時分は、自分なりにいろいろと思想関係の方面に探りを入れていた頃で、別の方面で深く影響されていた思想もありましたので、あまり印象に残っていなかったですが・・・。

最近になって、伊福部隆彦氏の上記のホームページ(現在は、ご子息の伊福部高史氏が継いでおられるようです)を知り、そこで、この「正法眼蔵新講 上」を手にいれました。しばらくは、読み出す機縁がなく、そのまま書棚に入っていたのを、ようやく機縁が熟したのか、この間の留守番の時から読み始めたばかりのときに、やられてしまったのです。しかも、上製本できれいな書籍でしたので、何となく、きれいなまま読もうというような気が働いていて、ページをめくるときも跡がのこらないように気をつけながら眼を通していた、ほんの矢先の出来事でした。

子供のこのいたずらによって何に気がつかされたかというと、「書物というものは、書棚を飾っておくものではない。ましてやこのような真実あるいは人生の指南書となるような書物と接する時は、手垢がつくくらいに何度も繰り返し読み、あるいは自分の考えや感じたことを書き込み(これは父がよくやっていました)、行間を読み取って、その伝える所の真意をくみ取り、実生活に体現してゆくべきものだ」という声なき声でした。私のその本の読み方、接し方は全くもって、本末転倒している姿でした。出鼻をくじかれたわけですが、大事なことに気がつかされた、有難い出来事でした。

「天に口なし人を以て言わしむ」といいますが、まさに口の聞けない幼児の行動を以てさえ、天の教示はあるものです。良く注意してみれば、普段の日常生活に教示はあふれているのかもしれません。大事なことはそれを聞く心の耳を養うことのようです。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2007年04月01日

052:親ばかのつぶやきー6

今月から新しい年度が始まりました。いろいろな職場や学校などで、新入社員、新入生などがそれぞれ抱負を持ち、新たな生活が始まっていることでしょう。また、例によって私事ですが、うちの長男もいよいよ小学1年生となりました。ついこの間、幼稚園の卒園式があり、小学校の入学式がありました。出席出来たのは、日曜日に行われた卒園式のみでしたが、感慨深いものがありました。長男は、生まれてまもなく、アトピー性皮膚炎が始まり、その後、喘息もでるようになり、アトピーの痒みで泣くため、こちらも眠れない日々が続きましたし、喘息発作が深夜に出て、病院へ連れて行って吸入させたこともありました。今は、両方ともほとんど落ちついていて、特にそれで悩まされる事はなくなってきています。また、この子はしゃべるのが比較的遅かったので、「本当にしゃべることができるようになるのであろうか?」などという月並みな不安を感じたこともありましたが、それもすでに過ぎ去って久しくなります。最近のことでは、他の友達はもう自転車のコマなしを平気で乗っているのに、この子は乗れないでいる上に練習もろくにしていなかったので、「乗れるようになるのは、小学校入学後になるかな?自分も確か小学2〜3年生くらいで乗れるようになったから、まぁいいか」などと思っていたら、この2〜3週間のうちにみるみる乗れるようになってしまい、今では公園で自由に乗り回しています。
「親のいらぬ心配をよそに子供は子供なりの人生をせっせと歩んでいるのだなぁ」と改めて思わされます。
2番目の長女は、幼稚園へ行くのを嫌がりながらの1年でしたが、それなりに通い続け、もう年中さんになりました。この長女は、家で一番自己主張の強い子です。自己主張は、ややもすると我がままになりやすいので、しばしば手を焼きますが、うまく伸ばしてやれば、今の世の中で、しっかりと自分の個性を表すことができるたのもしい性格でもあります。
さて、3番目の次男ですが、今では上の2人を追いかけ回して、歩き回っています。この子は、まだ1歳と3ヶ月なので、まだ海のものとも山のものともわからないのですが、この間、玄関の外の2〜3段ある階段で、私が両手を持ったまま降ろそうとしたら、身体は後ろに引いて抵抗していました。その時は、そのまま空中遊泳で着地させ、その後、公園に連れて行きました。公園内の道路上ではちょっとおぼつかないながらもヒョコヒョコ歩いていましたが、やや傾度のある芝生の坂道にくると、ほとんど平坦に近いにも関わらず、用心深くしゃがみ込み、ハイハイのポーズで後ろ歩きを始めました。安全なところでは立ち上がり、少しでも不安なところでは、上記の歩行(?)を開始するというようなことを何度も繰り返しました。「なるほど、何もわからないようでいて、ちゃんと自分の能力を見極め(己を知り)、判断した上でそのような行動をとっているわけだ。そういう大切なことが、こんな小さな子供にも備わっているんだ」と思わず笑いながらも感心させられたわけです。しっかり、ビデオ撮影したことは、言うまでもありません。
今ちょうど、NHKの大河ドラマで、軍師(?)山本勘助を中心に「風林火山」が放映されていますが、この「速きこと風の如く・・・」で有名な孫子の他の言葉に「彼を知り己を知れば百戦殆からず」というものがあります。
この「己を知る」ということは、いかに大切なことでしょう。上記は戦に関してのことなので、意味合いは違うかもしれませんが、ソクラテスで有名なデルフォイの神殿(アポロンの神殿)に刻まれていたという言葉も「汝自身を知れ」ということですし、悟りを開き80歳で入滅するまで人々を教化していった仏陀が最後に遺した言葉も「あなた方の行く道を照らすのは私ではなく、あなた方自身に他ならない」というような意味であったということを聞いたことがあります。つまり「己を知る」ということにつながります。ある意味では、すべての人はこのこと(「己を知る」こと)のために今の人生を生きているのかもしれません。
今の世の中、己自身を知らずにいる人がいかに多く、そしてその無自覚(無意識)な行為によって世の中を乱していることか。もちろん、自分自身も例外ではなく、ふと気がつくと無意識に行動していることがよくあります。というより無意識に行動していることの方がはるかに多いようです。
己自身を知るということは、瞬々刻々の自覚であり、終わりなき道でもあると思います。
一生続く、成長の指標でもありましょう。
年度も改まり、日々瞬々をますます意識的に生きていきたいと思います。
(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2007年02月01日

051:フードファディズム

「あるある」の納豆ダイエット捏造事件では苦い思いをした人も多いのではないかと思います。私は「あるある」の捏造に驚きはしませんでしたが、スーパーの棚にまったく納豆がないのを見るとさすがに異様な光景だと感じました。

「フードファディズム(food faddism)」という言葉があります。Wikipediaでは、フードファディズムとは、「特定の食品を食べるだけですっかり健康になる、などという宣伝をそのまま信じ、バランスを欠いた偏執的な食生活をすること。あるいは、特定の食品を口に入れて病気になったなどの情報に接し、その具体的な量に関するデータも確認しないまま、それを感情的に漠然と記憶し、その食品を全く口にせず、バランスを欠いた偏執的な食生活をすること。」と明快に説明されています。さらにフードファディズムの背景として「今よりさらに健康になりたいという人々の思い、健康ブームが根底にある、とも言われる。ただし、その思いが、適切なレベルを越え半ば強迫観念化している場合があり、その強迫観念は、健康関連商品・サービスによって利益を得ている企業(マスメディア含む)の流す恣意的な情報によって生じている場合がある。」と大変納得できる説明がなされています。

漢方にも、薬は毒であり病気も毒である。毒をもって毒を制すのが治療であるとする考え方と、世の中には不老不死をもたらす物質があり、そうした薬/食品を摂取することによって健康を保つとする考え方があります。これは薬膳や健康食品などにつながる考え方です。前者は西洋医学に近い考え方で、後者は予防医学的な考え方ともいえます。前者は治療を誤れば患者は悪くなる訳で、治療の成否が目に見えやすいのに対し、後者は治療の効果が非常に長い時間をおいてからはじめて顕れてくるものなので、薬の有効性の評価が難しい欠点があります。泰の始皇帝が不老不死の薬として毒物(水銀という説がある)を摂取していたのは有名な話です。不老不死薬の探求は究極のフードファディズムといえます。

「あるある」以外にも健康バラエティー番組はたくさんあり、番組で紹介された商品がたちまち品薄になる現象は今も続いています。こうした状況は、役にもたたない食品を摂らされる消費者にも、一時的に需要が増えまたすぐに元にもどってしまう需給のジェットコースターに振り回されるメーカーにも、不幸なことです。唯一利益があるのは視聴率をかせげるTV局ですが、それも納豆ダイエットのような焼けどをしない範囲においてでしょう。

恣意的な情報に躍らされ、フードファディズムに陥らないためには、食品とはまず体を養うエネルギーであって、必要な栄養素をバランス良く過不足なく摂るのが良いという食事の基本に今一度立ち返る必要があります。そして「これだけを摂れば健康になれる」といった夢の食品はないという真実を肝に銘じて認識すべきです。その上でメーカー、マスメディアの利害に思いを致せば、健康番組の人気司会者が「これさえ食べていれば大丈夫!」といかに雄弁に唱えても、その文言は虚しく聞こえてくるはずですが。

(雨宮修二)
posted by ..... at 00:00| Topics

2007年01月01日

050:平成19年を迎えて―走馬灯―

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、先日(12月の中頃)、NHKの大河ドラマが終了しました。毎回そうですが、番組が最後に近づいてくると、回想シーンが増えてきます。そして今回も回想シーンを見ながら、「知らないうちに、ちゃんと年齢を経てきたメイキャップになっているなぁ〜」と関心したわけですが、それと共にふと連想したことが、「走馬灯」ということでした。

人は、人生の最後の瞬間に自分の辿ってきた人生を走馬灯のように一瞬のうちに脳裏によみがえらせるということが言われています。これが、もれなく全員に起こる現象なのか、少数の人のみに起こる特殊な現象なのかはわかりません。もう少し別のいわゆるスピリチュアルな(その手の本で得ただけの)情報によると、自分の人生のみならず、自分と関わったすべての人の立場の見方、感じ方さえもその一瞬で経験を共にし、魂の成長につなげていくというようなことが書いてありました。これは、「人間の存在」とか「輪廻転生」ということを含めた哲学・宗教観によって意見の異なるところがあると思いまし、結局の所、自分がその瞬間に至らないとわからないことですので、真偽は決められません。しかし、顕在意識や潜在意識に刻印されたさまざまな人生経験が電気信号として脳内を一瞬に駆けめぐり、自分の人生を「走馬灯」のように再体験するようなことは十分ありそうに思えます。

その時最後の瞬間に、既に経てきたそれらの経験をどのように受け止められるか、恥じ入って、死にたくなる(?)のか、すべてをあるがままに受け入れられる心境になっているのか、は人によっていろいろでしょうが、自分としては出来れば後者でありたいと思います。そのためにはどうすればよいのか?

もう既に過ぎ去ってしまった過去についてはどうしようもありません。反省すべきところがあれば、今後の経験への糧にしていくしかありません。

さて、「今後」という言葉もなかなか問題のある言葉です。何か問題を「未来」というところに押しやってしまい、下手をすると「今」をおろそかにしてしまうかもしれません。「未来」というのは、常に「今」となって現れてきます。何かできるのは、「今」です。「今」というこの一瞬をどれだけの意識を持って感応できるかということにつきます。以前も似たようなことを書いた気がします。これは、いつからやるということではありません。年始であろうが、年末であろうが、1年365日、1日24時間、常に心しておくべきことでしょう。新年に当たり、自分自身への指針としてここに記して置きたいと思います。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2006年11月01日

049:天才、モーツァルト

しばらく、忙しくしていたため、トピックの更新がおろそかになっていましたが、今回はモーツァルトについて、思うことを書いてみます。

モーツァルト生誕250年ということで、最近さかんにテレビで特集番組があります。

モーツァルトの曲は街角やテレビでよく流されているためでもあると思いますが、曲名も作曲者も不明のまま自然と頭に入っていて、後で「あっ、これはモーツァルトの曲だったのか」ということが多い気がします。つまりモーツァルトの曲は自然と頭に入るようなメロディであるということでしょうか。

モーツァルトの曲は私も好きで、今ではよく聞いています。もともと、私の父がクラッシックが好きで、勉強をしながらよくレコードをかけていました。特に好きだったのがベートーベンで、私も机が一緒の部屋にあったので、小さい頃から自然とベートーベンその他のクラッシックが頭になじんでいました。また自分一人でもよくベートーベンを聴いていたように思います。しかし、小さい頃に自分でモーツァルトを意識的に聴いたような記憶はありません。よくよく考えてみると、もっと後になって、「能力開発のための音楽」のようなキャッチフレーズで、モーツァルトの曲が使われていたCDをレコードショップで見かけたのが意識的に聴くきっかけだったかもしれません。その後は、妻が妊娠した際に、「マタニティモーツァルト」なるものを買ってきたり、子供が生まれてからは、子供の感性を伸ばすためということで作られた一連のシリーズものの一つである「ベイビーモーツァルト」というビデオを買ったりして自然とモーツァルトの曲に接する機会が増えてきたように思います。今では朝食の時に必ず、モーツァルトの曲をかけて、妻や子供達と食事をしています。最も、長女に途中で曲を止められ、子供用の曲の入ったCDに変えられてしまうこともしばしばですが(親の心、子知らず・・・)。

この間も、「モーツァルト 生誕250年目の真実」というようなタイトルでテレビの特集があったので、見てみましたが、本当に天才というのはこの人のためにあるような言葉なのかなとつくづく思わされました。有名ないくつかのエピソードを挙げるなら、3才の頃に、父親が姉にピアノを教えていて、それを横で見ていただけで、すらすら弾き始めたとか、5才にして初めてメヌエットを作曲したり、また当時ローマでシスティーナ礼拝堂でしか歌うことを許されなかった「ミゼレーレ」という聖歌がありました。これは9つの音階からなり、複雑なハーモニーを伴って、約12分間合唱されるもので、当時は楽譜などを外に持ち出すこともできなかったため、何人もの音楽家がこの曲を譜面に起こそうとして挑戦したが、だれも果たすことが出来なかったものを、モーツァルトはたった1度聴いただけで、そのすべての音符を楽譜に書き写すことが出来たと言われています。今の世に残る名曲の数々も、時には人と話をしながら、頭の中に既に完成している曲をさらさらと書き写していったそうです。そしてそのほとんどが、書き直した形跡がないとも言われています。

小さい頃から示していた才能を父親が見抜き、それを花開かせようという父の並々ならぬ努力によってヨーロッパの舞台で、華々しいデビューを飾ったのに比べ、成長してからは、時代や環境の様々な状況とともにモーツァルト自身の人格的な問題(モーツァルトに関してはその音楽的なすばらしさと人格の下劣さというか非常識な振る舞いが共存していたというようなことが言われています)もあったためか、よい就職が出来ずに、貧乏な暮らしや苦節の日々に耐えなければならなかったことも多かったようです。

就職活動の目的で母親と一緒に旅に出て、旅先で母親を病気でなくしてしまうようなこともあり、さらに苦節を経た後、ウィーンでめざましく活躍する時期もあったのですが、妻が精神的な病に罹り、浪費癖もあったために、生活苦は相変わらずで、また長男や三男が、あいついで病死するという不幸を味わい、さらに最も敬愛していた父も病気で失いました。しかし、苦節の日々を過ごし、不幸に出会う毎に彼の曲もいっそう透明な美しさを帯び、深みを増していきました。

晩年(といってもかなり若いのですが・・・)に近づくと、死の影も見え隠れし、それに向き合って行くことになり、最終的にはその心に「死」さえも親しいものとして取り込んでゆくような境涯にいたったかのようです。

人は誰でもそうですが、人生の喜怒哀楽や様々な試練を経て、より成長してゆくものと思います。しかし、天才的な感性や能力を与えられた者は、その与えられたものを大きく花開かせるために、人一倍の試練を与えられるのでしょうか。モーツァルトの生涯を考えるとそんな気もしてきます。確かにのほほんとした生活から、ああいう優れた作品が生み出されるとは思われません。モーツァルトが亡くなった時は、ほんの数人の人の手によって、誰が誰だかわからないようなそこらの共同墓地に捨てられるように埋葬されたようです。

このような生涯を見ると、「天賦の才能(天才)」とともに、もれなく「極端につらい試練」というようなものが付いてくるなら、「天才はいらないかなぁ〜」なんて、ふと思ってしまいました。最も、天才無きまま既に、人生の大半を過ごしてきている私には要らざる心配のようです。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2006年05月01日

048:親ばかのつぶやき-5

物事にはいろいろな節目があります。大自然の移り変わりに応じた四季、人間社会の取り決めによって存在する1年の中の様々な行事、たとえば、年末年始、新学期や新たな就職、1週間のサイクル等です。また、人によってそれぞれの節目があります。誕生日もそうであろうし、引っ越しや何か新しい挑戦などいろいろありましょう。そしてその節目を超え、新しい状況や環境に入った時、希望や活力に満ちて歩んでいる人もいれば、かえって悪いと思える状況になったり、ストレスが増えたりして、疲れを感じて重い足取りで生きている人もいるかと思います。そのような場合の自分自身の癒し方あるいは気分をリフレッシュする方法として、旅に出る、部屋の配置を変える、髪型や服装を変える、おいしい物を食べる、趣味の世界を広げる等々、人それぞれでありましょう。また、何か体調の不良が原因であれば、病院で検査・治療したり、マッサージに通ったり、漢方を試してみたり(・・・そんな時は当院を利用してみてください・・・と一応、宣伝もいれておきます)、とこれも人それぞれでしょう。さて、ここからが個人的なつぶやきです。

私も、今年は節目と感じることがいろいろありました。一番大きいことは、1月末に第3子(次男)ができたことです。この少子化の時代に40台半ばにして3人目の子を持つのは、体力的にややこたえる部分もあります。しかし、4ヶ月も経ち、まるまると太ってきた我が子をあやしている時、ふっと笑顔がこぼれてくると、これはもう何よりの癒しになります。その笑顔を期待しながら、いろいろと手を変え、品を変えてあやしますが、必ずしもこちらの思惑通りにいかないので、何気ない時に思わず出くわすということになり、そういった時はこちらも思わずほほえんでしまいます。上の2人の子で既に経験してきたことではありますが、やはり赤ん坊の笑顔というのは、何度経験しても新鮮な喜びがあるものです。赤ん坊のみならず、上の子供達もそれぞれ幼稚園の年長と年少となっていますが、本当にそれぞれの性格という違いがあり、手がかかるようになってきていますが、ちょとした仕草が面白いし、かわいいものです。これからもこの子供達が3人3様としていろいろ楽しませてくれるようで、本当に有難いことです。

その他の節目としては、5月より仕事が変わったことです。この慈温堂以外にも週に2回、非常勤務医としてある病院に勤めていましたが、それが、5月より変わったことです。話としては2月頃より出ていました。以前にも「変化」という題で、書いたことですが、私は「変化」をとても良いこととしてとらえていますので、慣れてきた所から変わるときの少し面倒な気持ちはありましたが、このときも特に不安はありませんでした。むしろ、変わるべきときがきていたのだなぁという思いでした。変わってまだ間もないのですが、いろいろな意味でやはり自分にとっては、いい状況になったように感じています。今年はまた、父が亡くなって3年目という節目ですので、いろいろな変化も何かの縁を感じます。何故3年が節目かというと、これも「3」という数字が個人的に非常に縁のある数字と思っているからです。最も「3」という数字は日本人が比較的好む数字であり、ことわざなどにもよく出てくる数字ですが・・・。この節目に当たる6月(父の命日が6月13日です)ももうすぐやってきます。これを機に、また気を引き締めて、新たな決意で診療に取り組んでいきたいと思います。

(遠田弘一)
posted by ..... at 00:00| Topics

2006年03月01日

047:ガイドライン

最近は様々な病気で治療のガイドラインが発表されています。ガイドラインは病気の段階によって使うべき薬の種類を細かく規定しています。ガイドラインに添って治療が行われれば、治療の標準化がなされ、大きな間違いは起きなくなる事が期待できます。一方、変った治療方はガイドラインの圧力でしにくくなり、治療の多様性は失われていくでしょう。両者はコインの裏表の関係ですから、仕方がないことですが、ここで考えなければいけないのは、ガイドラインも間違う可能性があることです。治療法にも流行があり、また疾患概念も時代とともに変っていきます。頻繁に改定されるガイドラインの世界では、昨日の真実は今日の嘘であり得ます。誤ったガイドラインのために、世界中で誤った治療が行われる危険性はゼロではありません。またガイドラインが誰によって作成されるか知りませんが、ガイドラインを策定する人間に製薬会社が働き掛ける可能性はないでしょうか。製薬会社にすれば自社の薬剤がガイドラインで推奨されるかどうかは、それこそ死活問題です。こうした疑念を抱くのは考え過ぎでしょうか。

以上はこれからシーズンに入るアレルギー性鼻炎の治療ガイドラインを眺めつつ感じた感想です。漢方ですか?漢方こそ恣意的な治療に陥り易い領域ですから、ガイドラインが必要だと思います。しかし、色々な流派がある漢方界では、そもそもガイドラインの作成自体がかなり困難な作業になるでしょう。たとえ、ガイドラインができたとしても、それぞれ一家言ある漢方家がすんなりとガイドラインに従うとは思えません。むしろ、この病気に、普通は使わないあの処方を使って治した、ということにこそ漢方の醍醐味を感じるものです。漢方治療へのガイドラインの導入は、本質的に相容れないところがあるかもしれません。

西洋医学ではこれからますます色々な領域でガイドラインが発表されていくことでしょう。しかし、その功罪を踏まえ、ガイドラインは「無視せず、盲信せず」で行きたいものです。

(雨宮修二)
posted by ..... at 00:00| Topics