2006年01月01日

046:新年(平成18年)のご挨拶

謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年もここ慈温堂において、より良い診療を提供できるよう尽力したいと思いますので、よろしくお願い致します。

今年も寒い冬となっています。ヨーロッパの方では大寒波が各所に被害を出しているらしく、大停電になっている地域もあるということです。日本でも新潟での被害を新聞で目にしました。現在のように生活の大部分を文明の利器(多くの電気器具)に依存している状態では、ちょとした停電でもその被害は甚大なものになる可能性があります。平々凡々たる毎日を過ごし、それ程大きな変化もない日にどっぷり浸かっていると、こうしたニュースを目にしても、それはどこか遠いところの自分とは関係ない世界の出来事のように思ってしまいがちです。しかし、実際は、いつ何時でも大変な状況に出くわす可能性の中で生きていることが真実です。「備えあれば、憂いなし」という言葉は多くの人が当然のように知っている言葉ではありますが、果たしてどれだけの人がその備えを怠らずにしているでしょうか。上記のようなニュースを目にしても、同じようなことが自分の身に起こった時、その状況を乗り切れる用意があるかといえば、私としては恥ずかしながら、全くないに等しい状態です。

以前にも書きましたが、「変化すること」が物事の本来の有り様であり、特に大きな変化に遭遇した場合は、普段からの心の持ち方や人生への覚悟に従って、それに応じる以外にないわけですが、自分の身の回りのことで、対処しうることは、どんな小さなことでも、予め用意を怠りなくしておきたいものです。自分一人であれば、ある程度の覚悟は出来ているつもりですが、大切な妻子を抱えている状況では、やはり、気づいたことから備えておくべきである、と新年を迎えるにあたってつくづく思われます。
この新年を機に、まず始めに「心の備え」を再確認し、次に身の回りで気が付くことから一つ一つ地道に片づけていこうと思います。

(遠田弘一) 

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2005年11月01日

045:全く同感!

先月のトピックで、雨宮先生の方から「甘麦大棗湯の不思議」という内容を掲載されていましたが、私もこの処方には全く同じ思いでいる者です。 うちには、2人の子がいて、下の子(長女)が現在2歳、もうすぐ3歳になろうとしています。この子は、生まれつき鳴き声がすごい子で、声量があってドスの効いた声を響かせる上、誰に似たのか頑固で、なだめても、怒鳴っても、「泣くときは泣く」で絶対に妥協しません。だから、泣かれるともう手がつけられない状態で、特に夜に泣かれると親としては本当に弱り果ててしまいます。この子がよりによって、いつの頃からか夜泣きが始まってしまい、それはそれは大変な状況だったのですが、試しに使ってみた「甘麦大棗湯」が著効を示し、服用したその日ぐらいからピタッと夜泣きが無くなってしまいました。始めは偶然かと思っていましたので、しばらく(2〜3週間でしょうか)使ってみて、やめてみたところ、また、にわかに症状が戻ってきました。「あれっ」と思って、再び使い始めると、また治まります。こんなことを数度繰り返して、やはり、「甘麦大棗湯」が効いているんだという印象を強めました。今現在はもう服用していませんが、まぁ、夜はよく寝ていてくれています。他の多くのお子様で試した訳ではないので、まだ何ともいえませんが、自分としては「子供の夜泣き」には第一候補の処方となりました。というより、味からいってみても子供に使えるのはこれぐらいしかありません。 そんな印象をもっていた頃(ちょうど去年の4月頃)に9歳の男の子で、5歳の頃よりチック症(これは、ピクピクっとした素早い動きが、本人の意思とは関係なく、繰り返しおきてしまうものです。一番多い症状は瞬きで、そのほかにも、肩をぴくっと動かす、頭をふる、顔をしかめる、口を曲げる等いろいろとあります)で困っているという子が親と一緒に来院されました。チック症は、精神的なストレスが大きな要因の一つでもあり、本来は短期間(一過性)で治まってしまうもののようですので心配はいらないのですが、この子の場合は5歳の頃より4年間程、同症状があったようですので、ご両親としては心配だったと思います。この子もはじめは目がしょぼしょぼする感じが始まり、特に緊張した時に出やすく、だんだん頻度や長さ、それに症状が増悪してきているというものでした。もちろん、診療内科のカウンセリングや眼科から薬も処方されたがあまり効果がないとのことでした。 とにかく子供でしたので、やはり飲めるかどうかということで、始めに頭に思いついたのが、この「甘麦大棗湯」でした。「どれだけ効くかはわかりませんが、子供が飲みやすいので、まずこれから試してみましょう」ということで、この湯を2週間処方してみました。その約2週間後、電話があり、「少しましになっている」ということでしたので、さらに一ヶ月分の薬を送りました。その後は来院がなかったのですが、6月頃にメールが届きました。その内容は、「2ヶ月前に子供のチック症で来院させていただいた者です。処方されたものを試したところ、とてもひどかった症状がピタっと治まりました。1週間後に一日だけまた症状がひどく出た日があったのですが、その後も治まり、1ヶ月半服用させてから、自己判断でやめてみましたが、3週間程経っても、症状が治まったままです。こんなに即効性もあるのだと驚き感謝しています。もしまた症状が出ることがあっても安心です。ありがとうございました。」という内容でした。その後は、1年程経過し、今年の7月頃に「以前に比べるとひどくはないが、また症状が若干出始めてきていますので、薬がほしい」という内容の電話があり、1ヶ月分送りました。その後はまだ何も連絡がありません。調子がいいのだろうと考えられます。 というわけで、私もこの湯の不思議さを身を持って感じている者です。単純な処方なのに甘くて飲みやすくて、効果も期待できるという重宝なものです。まだまだ、いろいろな症例で使いたくなる処方です。 (遠田弘一) 
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2005年10月01日

044:甘麦大棗湯の不思議

甘麦大棗湯は甘草、小麦、大棗の3味からなる非常に単純な漢方薬です。強い鎮静作用があり、不安感の強い場合に大変よく効く処方です。先日も不安感が強く、いてもたってもいられない中年の女性にこの薬を頓服として処方したところ、1週間後には晴れ晴れした顔で来院し「あの薬は大変良く効きました。できれば1日3回飲ませてください。」といわれました。この方に限らず、外れのない薬として私は頻用しています。

この3味からなる単純な漢方薬のどこにそんな力があるのか、誰しも不思議に思います。甘草、大棗は多くの漢方薬に含まれているありふれた生薬ですし、小麦は使われることの少ない生薬ですが、何といっても小麦です。この薬を処方すると皆さん甘くて飲みやすいとおっしゃいます。甘草も大棗も甘味のある生薬ですので、小麦が入ったとてかなり甘味が前面に出た処方です。甘味は人を幸福にする味覚といわれています。この甘味こそ甘麦大棗湯の面目ではないでしょうか。不安で落ち着かない時、人は甘味を求めるのでしょう。

14gも入っている小麦の作用は何なのかわかりませんが、小麦の含まれている厚朴麻黄湯には鎮静作用があまりないことから、小麦に特に鎮静作用がある訳でもなさそうです。しかし甘草と大棗の入った大多数の処方にはもちろん鎮静作用がないことから、甘草と大棗だけではだめで、甘草、小麦、大棗の3味が合わさって初めて鎮静作用が出現するようです。不思議ですね。

西洋薬の安定剤と違って甘麦大棗湯では眠気はおきません。一度使ってみるとその効果の確かさに驚き再び使ってみたくなる薬です。本当に甘麦大棗湯は不思議な薬です。

(雨宮修二) 
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2005年08月01日

043:親ばかのつぶやき-4

久々に私事をつぶやかせていただきます。子供が成長してゆくにつれ、手のかかることや心配事が増えていく毎日です。長男が4歳、長女が2歳、そして今、妻のお腹には、3人目の子供がいて、来年2月の出産にむけ、着々と成長しつつあります。今度はどんな個性を持った子が、この世に生まれ、私たちを喜ばせ、そして悩ませてくれるのか、楽しみです。

今我が家では、2人の子が、それはもうしたい放題のことをして、荒らしまくっています。特に上の子は妻と毎日のようにバトルを繰り広げているようで、私が帰宅した時もまだ、続いていることもしばしばです。仕事が休みの土日などは、私も子供の相手をしますが、時々あまりの我が儘さ加減にいらいらして、怒鳴りつけてしまうこともあります。しかし、時々、怒鳴った原因や内容をよくよく考えてみると、子供には子供の言い分があり、親の(あるいは大人としての)勝手な考えを押しつけているようなことに気づかされることもあります。親(大人)は、力が当然あるので、怒鳴りつければ、子供はそれ以上どうしようもありません。黙るか泣くかしかありません。しかし、それは、こちらの言い分がわかったからではなく、力関係上仕方がないからです。だから、なるべく子供の言い分を理解するように努め、子供の立場に立って、わかりやすく諭すように心がけようとは思っているのです。しかし、それが大事なことであると頭でわかっていても、忙しいときなどつい声を荒げてしまい、後になって反省することも多いものです。子育てとは、自分自身を育てていく(成長させていく)ことでもあるとつくづく思わされます。

もちろん、必要があれば、毅然たる態度で、叱ることは大事なことです。しかし、その根底にその子を思いやる気持ちがあるかどうか、大人としての勝手な考えや自分自身の感情のムラをただ押しつけていないかどうか、常に顧みることは大切だと思います。「一寸の虫にも五分の魂」、「八つ子も癇癪」と言うように、子供もある魂を持った尊い存在ですし、それなりの言い分もあります。親の接する態度というものを、子供なりに見ている、そしてそういった態度が、成長していく過程にも影響を与えるということを親として自覚することは大切ではないでしょうか。これは子供に対してだけでなく、あらゆる人間関係にも当てはまることですが、まず、自分自身は人に物を言える程、成長しているのか?という自問は常に持っていなければなりません。人間の内面の成長は何歳であろうと、ここで終わりということはありません。また、これは、年を重ねたから、得られるものでもありません。いかに自分が至らない人間であるかは、日々の生活の中で、瞬々刻々自分自身の有りようをしっかり見つめてみれば明らかだと思います。
少なくとも私はそうです。こういった日々の反省に加え、個人的には祈り心も大切だと思っています。神(あるいは宗教を)を信じている人、いない人、いろいろな考えや信仰は人それぞれ違うでしょうし、祈り心の内容も人それぞれでしょう。私もある祈り心とともにある者です。

自分が独りで、己のみで、生きていると思っているような人には、上記のことは、全くの馬耳東風でしょう。しかし、よくよく自分自身を観て、また周りを見てみれば、様々な人のお陰があり、社会からの恩恵があり、大自然からの恵み(空気、水、太陽…)があり、生かされている事実に気がつくはずです。あらゆるものの働きによって、まさに“生かされている自分”ということに気がつけば、自然と感謝する気持ちにもなり、祈り心にもつながっていくと思います。もっともこれもあまりにも当たり前のことなので、日々の生活でいろいろな忙しさに振り回されていると、こういうことに気づくこともできないまま過ごしている人達が大部分かもしれません。しかし、この気づきに至らない人達は、ただただ偶然のように人生が流れ、成長する機会を知らず知らずのうちに失っていることにもなりかねません。まぁ、人はどうあれ、自分は自分の成長に関わっていくしかありません。

子育てから始まって、えらそーな内容にまで、膨らんでしまいました。しかし、“つぶやき”と題していますので、まぁ、気にしないでいただければよいかと思います。

(遠田弘一)
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2005年05月01日

042:医療費を抑制しすぎてごめんなさい

さしもの花粉症もピークを越えたようです。ほとんどの患者さんはもう楽になったとおっしゃいます。かくいう私もアレルギーには縁がないと高をくくっていたのですが、今年はどうやら発症してしまったようです。「先生、眼をこすってますね。」と先日指摘され、気がつくと確かに眼に手がいくことが多いのです。血液検査はしていませんが、抗ヒスタミンの眼薬で改善するところからすると、確かに花粉症のようです。

痒い眼をこすりながら、日本の医療改革をイギリスと比べ検討した本(「医療費抑制の時代」を越えて、近藤克則)を先日読みました。タイトルからわかる通り、これ以上医療費抑制政策を続けると日本の医療は荒廃するといった内容です。以前にこの欄で「思考停止」と題して日本の医療費は決して高くないとグラフを掲げて触れたことがありました。医療の破綻した(癌患者が手術するまで2年待たされた!)イギリスと対比しての検討を読むと、さらにその感を強くしました。医者である私が医療費は抑制するなといっても、我田引水と思われてしまうかもしれませんが、他国の医療事情もよく知って、マスコミの偏った論を鵜のみにしてほしくないものです。

先進国中唯一対GDP比医療費が日本より低いイギリスでは、基本的に医療は国が提供し、費用は無料ですが、必要な医療を必要な時に受けることは誠に難しいようです(待機者名簿には常に100万人前後の待機者)。理由は医師も看護師も不足している上、医療従事者の士気の低下が著しいのだそうです。医師は待遇の良い他国に流出してしまいマンパワーが不足している上、不幸な医師はもう頑張らない。さすがにこれではだめだと悟ったか、ブレア政権になって医療費を上げる政策に切り替え、医療費を1.5倍に引き上げ、まずはヨーロッパの先進国のレベルにまで追いつこうとしているそうです。

さて医療改革というと医療費の抑制しか頭にない日本の為政者はこうしたレポートをどう読むのか。改革と称して一部の財界人に都合の良いように、世界でもっとも効率の良い医療とWHOからもお墨付きを得ている日本の医療制度を壊してよいものか。開業医の集まりに出ると、早く辞めたいという先生も増えてきています。イギリス程ではないにせよ日本でも医療従事者の士気は落ちつつあるのかもしれません。

医療事故が絶えないのはどうしてか。医師や看護師が不注意なせいでしょうか。研修医の厳しい労働条件や看護師の厳しい仕事ぶりや人手不足を改善しない限り、医療事故は減らないでしょう(地域の寿命を決める因子は人口あたりに医師数という報告あり)。効率と安全は両立しがたいのは、JR西の列車事故を見るまでもなく明らかなことです。長期に及ぶ医療費抑制政策の歪みはもう出ているのです。ゆとり教育は誤っていましたと、文部科学大臣は子供に謝りました。医療費を抑制しすぎてごめんなさいと、厚生労働大臣が国民に謝る事態にはならないでしょうか。

(雨宮修二)
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2005年03月01日

041:冬の風邪とインフルエンザ

3月も終わりに近づき、ようやく暖かくなり、春になってきた感がありますが、まだ、朝方など寒い時もあります。今回の冬は特に感冒性胃腸炎(あるいは感冒性嘔吐下痢症)とインフルエンザが目立ちました。インフルエンザなどはまだちらほら散見されます。私も週に1回、他の病院の内科の外来をしていますが、2月に入った頃から3月半ばまで毎回1人〜7人程度のインフルエンザの患者さんを診ました。「急に38℃〜40℃の熱が出てきました」という典型的な訴えでやってくるので、迅速診断キットで調べると、本当によくヒットしました。通常の風邪とインフルエンザでは、もちろん症状とその程度あるいは流行性に関して違いがありますが、基本的にはウイルス(場合によっては細菌)が原因であり、そのもっとも重要な予防法としては共通しています。私は内科外来で診る風邪(あるいはインフルエンザ)の患者さんにはなるべく、下記に記すようなことを話すようにしています。ただし、受診する患者さんは既に症状に罹患しており、中には高熱で頭がふらふらしている人や、お腹のむかつきで、それどころではない人もいますので、どれだけ記憶に残っているかはわかりませんが、この場を借りて、もう一度話しておこうと思います。次回の冬の風邪やインフルエンザに備えて・・・。

一般的に言って、風邪あるいはインフルエンザは飛沫感染あるいは手や指先を介することによる感染によって罹患するとされています。つまり、口や鼻から病原体(ウイルスや細菌)が入り、のど(咽頭)から肺に達するまでの空気の通り道(気道)付着して炎症を引き起こすわけです。特に上の方(鼻腔・咽頭・喉頭のあたり)に炎症が起こると、咽や鼻の症状としてよく見られる風邪(急性上気道炎)ということになります。もちろん、それより奥の下気道にまで炎症が及ぶこともあります。このようなことを踏まえると予防法として重要なことも自ずと明らかになってきます。それは外出時は、特に風邪やインフルエンザが流行っている時期は、人混みの中ではマスクをし、帰ってからの手洗い・うがいです。顔などに病原体が付着していることもありますので、外から帰ってきたら、顔と手を洗い、よくうがいをすることが大切です。まったく単純なことですが、実は一番重要な予防法であるわけです。次に大事なこととしては、部屋の乾燥を防ぐことです。冬は特に乾燥しやすい時期であるので、部屋の中も乾燥しやすくなり、病原体は軽いので、空気中を漂いやすくなる上、鼻粘膜なども乾燥して病原体が入り込みやすくなるのです。部屋の湿度は50〜60%以上には保った方がよいとされています。昔は自然の知恵で、ストーブの上にヤカンをのせてお湯を沸かし、いつでもお茶を飲める状態とともに自然な蒸気で部屋の湿度を保っていたのですが、今はエアコンで暖房している場合がほとんどですので、さらに乾燥しやすい状況を作り上げています。現状に即した対策としてはやはり加湿器を使うのが一番いいと思います。また空気が淀むのもよくないので、冬でも昼間は適度に窓などを開けて換気をすることも大切です。以上のことが一番重要な予防法です。わかってはいても以外に見過ごされていることだと思います。

さて、次に罹ってしまった場合の対処です。簡単に言うならば、水分補給、身体を暖かめに保つ、ゆっくり休むということにつきます。あまり簡単なので、気が抜けるかもしれませんが、一つずつ話します。

ゆっくり休むということですが、これは実は多くの人がしたいけれどもできないことの一つではないでしょうか。日本では風邪ぐらいで仕事を休むことは許されないという風潮というか社会的背景があります。私は留学の経験はないので、これはその経験をした人から聞いた話、あるいは本などで体験談を読んだことからの引用ですが、米国では風邪を引いて出勤するといやがられるそうです。つまり風邪をうつされる可能性があるからです。「風邪は万病のもと」と言われるように、侮ってこじらせると様々な病気を併発するものなので、やはり風邪の時は気兼ねなく、ゆっくり休める社会のあり方が望ましいとは思います。しかし、現状では人それぞれの事情に合わせて、なるべく休養をとるようにするしかないようです。ゆっくり休むことで、落ちている抵抗力を回復させることができ、風邪を風邪のまま(万病に至らせずに)治す環境を整えることができます。
普段から抵抗力を落とさないためにも、あまり無理をし過ぎるような生活状況も要注意です。すなわち、睡眠不足、喫煙、暴飲暴食、過労働あるいは遊びすぎ・・・と多くの人が「わかっちゃいるけど、やめられない」生活習慣等です。

次に身体を暖かく保つということですが、実は、人間の身体は精妙にできていて、風邪などを引くと体温調節機構の働きで、自然に発熱する方向に促されます。これは高体温下では病原体の増殖が抑制されるそうで、遙かな昔から自然に備わった生体の防御反応の一つなのです。こうして増殖を抑制している間に抗体などを作って、病原体を体外へ排除し、病気が治るという経過をたどります。従って、風邪は人にもよりますが、大体1週間前後で、上記のような経過を辿り自然に(薬を服用せずとも)治るものなのです。ところが、誤解をしている人が多く、何か薬を飲まないと治らないか、点滴あるいは注射をすると早く治ると思っているようです。薬は治しているというより、症状をやや軽減して過ごしやすくしていると思ってください。その間に上記のような経過を辿り、本来は身体自体が治しているのです。また、点滴などが意味を持つのは、その方法でしか、水分を補えないような病態のとき、すなわち、発熱によって、頭がモウロウとしている、あるいは吐き下しが激しく、口からの飲水が困難である場合などです。あまりにひどい脱水傾向に陥ると生命の危険にもつながりますので、そのような時は点滴が非常に有効でありますし、必要に応じて解熱剤や場合によっては抗生物質を投与することもできるのです。今ではたいていどこの医院でも手軽にできますので、昔に比べれば、この恩恵は計り知れないものがあります。しかし、それ以外の場合は一時的に気分がよくなることはあっても点滴が病気そのものを治すわけではありません。必要もないのに点滴をするのは、痛い思いをして時間をかけて、スポーツドリンクを1本飲む程度のことをしていると思った方がよいでしょう。またいま出てきた抗生物質ですが、抗生物質とは細菌に対して使用する薬ですので、肺炎その他で、細菌による感染症が明らかな場合は必要となってきますが、風邪の多くはウイルスが原因ですので不要なものです。

さて、ここで重要なことに発熱の対処ということがあります。今まで述べたとおり、発熱は重要な生体防御反応の一つでありますので、ただ闇雲に熱がでたら、解熱剤を使って下げるということは、身体がせっかく治そうとしていることを阻害して、病気を返って長引かせることをしていることになります。確かに、熱が有るときはしんどいでしょうし、解熱剤を使えば、おそらく楽になるのでしょう。しかし、やたらに使う習慣をつけてしまうのは、上記の理由で良くないことなのです。多くの患者さんはすぐに熱を下げて楽になろうとし(これも社会的要因がからんでいるようですが)、すぐに解熱剤をほしがる、医者は上記のことを説明しても一文の得にもならない、薬を処方すれば、それだけ儲かるということで、簡単に処方しているのが現状ではないでしょうか。今は健康ブームですので、自分の健康については、ただ医者任せにするのではなく、自分で管理していく人達も増えてきていると思いますが、上記のような人間の身体の精妙な機序について、十分留意する人達が多くなればなるほど、不要な医療がまかり通ることも少なくなっていくのではないでしょうか。

さて、最後に水分補給ですが、人間は生まれた時の身体の水分の占める割合は約80%と言われています。年齢が進むに従って、だんだんひからびてくるのか60〜70%ぐらいになるそうですが、やはり、水分が大部分を占め、重要な役割を演じています。また、成人では人によりその量は前後しますが、排尿その他で一日平均約2リットル近くの水分を失うと言われます。尿として不要なものを体外へ排出し、また様々な物質代謝の場としても、水分はなくてはならないものであり、従って、普段から水分を十分補給することは大切なわけです。特に風邪などに罹患した際は発熱したり、下痢したりとさらに水分を失う状態になるので、こういう場合は特に意識的に水分補給が大事なことになります。

漢方では、昔から、風邪のような病態のときは、よく発汗を促す働きのある湯を処方してきました。もちろん、その人の証(人それぞれの病態の特徴を漢方的にとらえた理学所見)によって、強力に作用させる処方にするか弱く作用させる処方にするかという違いはあります。発汗を促すというのは、上記に述べた生体防御反応の発熱を促しやすい環境を整えるということになります。特に夜寝るときにじわ〜っと汗をかくように持っていくと汗をかいた後に自然に解熱を促すことになります。また、風邪に伴う、身体の節々の痛みも上手に汗をかければ、1日で軽快することもあります。汗をかくと体内水分が減少し、脱水傾向になります。従って、水分補給が重要となるのです。

まだまだ、言いたいことがたくさんあるのですが、かなり長くなってしまったので、これで筆を置きます。毎冬必ず、注意しなければならない風邪予防です。以上のことを心にとめて、これからの冬を元気に乗り切っていってほしいと切望いたします。

(遠田弘一)
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2005年02月01日

040:花粉症の漢方薬

今年はスギ花粉の飛散量が例年の30倍に達するとさかんにメディアで報道されています。実際いつもの年より花粉症の発症は早いようです。敏感な方はすでに昨年の12月頃から花粉症の症状を訴えていらっしゃいます。

花粉症の治療薬としては最近多くの西洋薬が開発されています。抗ヒスタミン薬は最近のものではほとんど眠気がおこりません。新しい機序の抗アレルギー薬もあります。またステロイドの点鼻薬は全身への影響が少なく、特に鼻閉の強い時には適応です。

花粉症の漢方薬としては、やはり小青竜湯がよく使われます。この薬は即効性があり、漢方薬は時間がかかるとの思い込みを気持ち良く打ち破ってくれます。花粉症にかぎっていえば、むしろ西洋薬の方に効果発現までに時間のかかる薬が多いのです。麻黄附子細辛湯も花粉症に使われる漢方薬です。この薬にはカプセル剤もあり、煎じ薬やエキス剤(粉)は飲めないという患者さんには朗報です。

花粉症はもはや国民病といえるくらい多くの方が罹患しています。鼻がつまって頭までぼーっとしてきては、仕事の効率にも影響します。スギ花粉の飛散は残念ながら当分続く現象です。ぜひ自分にあった薬を見つけて、このつらいシーズンを少しでも快適に過ごして欲しいものです。

(雨宮修二)
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2005年01月01日

039:新年(平成17年)のご挨拶

謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。

今世の中では様々な事件が続けざまに起こっていますので、心から新春を喜び迎える気持ちになれない方々も大勢いることと思います。しかし、いつの時代でも、どこの場所でも、変化は常に起こっています。宇宙の最新情報に詳しいわけではありませんが、まだ、宇宙は膨張しているといわれています。つまり、瞬々刻々宇宙は変化していますので、その中で存在しているあらゆるものは、この変化から逃れることはできません。別に、新年を迎えたから変わるわけではなく、一瞬一瞬が変化の連続であるのが、物事の真実です。しかし、私を含め、ほとんどの人々が、日々の生活に埋没し、そういうことをあまり意識せずに生活しているため、何か大きなことが起こって初めて、すべてが変化していることに気づかされるようです。いずれにしろ、新しい年を一つの区切りとし、新たな気持ちで、生きていきたいと思います。また、慈温堂も去年移転し、新しい場所になりましたので、気持ちも新たに、より多くの人に少しでも役に立つ漢方医療を提供していきたいと思っています。

さて、個人的には、2人の手のかかる子供を抱えていますので、年末も年始もあまりこれといった変わりもなく、相変わらず忙しく毎日が過ぎていきます。ところで、世間では、韓流ブームです。私も、去年から始まった韓国のTVドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」に妻と一緒にハマり、その勢いで、以前から話題だった「冬のソナタ」のDVDを借りて、年末から年始にかけて一緒に見ました。そして初めて、「ヨンさまブーム」が起こっていることを「なるほど」と納得できました。細部を見るといろいろな疑問点や出来過ぎている部分もありますが、やはり、美しい場所、絶妙のタイミングで流れてくる曲、心に残る言葉の3拍子揃って展開していくので、元々涙腺の緩い私としては、流れる涙を止めることができませんでした。だからといって「ヨンさまグッズ」を買おうとは思いませんが、韓国語を含め韓国に以前より興味を持ち始めています。しばらくこのブームは私の家庭でも続きそうです。

(遠田弘一)
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2004年10月01日

038:幼稚園の運動会

慈温堂移転に伴い、9月の後半から10月初旬にかけ、忙しくしていたため、皆様にはいろいろとご迷惑をおかけしたことと思います。申し訳ありませんでした。10月に入って、移転も無事に終わり、既に新しい場所にて診療も開始しています。前に比べて不便な点(トイレや水回りなど)もありますが、駅に近くなり、場所もにぎやかで、夜遅くなっても安心であり、窓も広く、昼は明るい場所なので、私としては、思い切って移転して良かったと思っています。また、新たな気持ちで、漢方でよりよい医療を提供していきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願い致します。

さて、トピックと言えば、この移転が今のところ最大のトピックですが、詳しく移転に至る経過をお話してもあまり面白くないと思いますので、最近のいくつかの出来事を取り上げたいと思います。

先ず、この間通過したばかりの台風23号ですが、超特大というだけあってかなりの被害を出していることが新聞やテレビで報道されています。確かに、最近までの台風でこれほどの死傷者をだしたというのは、私の記憶にありませんので、かなりの大きさだったのだと思いますが、私の住居近辺に限って言えば、それ程大きな台風だったという印象はありませんでした。しかし、被害に遭われた方々は大変なことだろうと思います。私自身は台風による直接の被害を体験したことがないため、台風の怖さを実感としては持てないのですが、父から以前聞いた話では、父も若い頃、東京の古い家に住んでいたときに台風による床上浸水を経験し、しばらく不自由な生活を余儀なくされて大変だったようです。畳などは変形して使えなくなるし、その他のさまざまなものも水浸しになり、台風が過ぎ去った後々まで、被害が続くようです。最も、自然災害は地震にしろ、台風にしろ、後々まで、その爪痕を残しますので、普段からそうなった際の心構えが必要だと思います。いつも台風が来ると、必ずどこかで、屋根にのぼって補修をしているときに突風に飛ばされたということをよく耳にします。こういう惨事を耳にするたびに、普段の平穏な時にやるべきことをやっておくということが重要であるとつくづく思います。自分もそうですが、やらなければならないとわかっていてもなかなかすぐにできなかったり、しばしば先に延ばしてしまったりしまいがちです。しかし、こういう惨事を教訓として今やるべきことは、今やるという姿勢を新たにすることは大切だと思います。

さて、話題は変わって、先日(10/17)の日曜日に上の息子(3歳10ヶ月)の幼稚園の運動会に行ってきました。私は、無精な方ですので、世のお父さん達のように場所取りのために前日からとか朝早くから行くというようなことはしませんでした。家族で一緒に出かけ、開始時刻の数分前に到着という、いたってのんきな関わり方でした。うちの子もそうですが、年少さんでは、かけっこなどではコースを外れる子もいれば、ころんで泣く子もいるというどこでも見られそうなほほえましい様子で、みんなあまり競争という意識はなく、遊びの感覚で、じゃれあっているような印象でした。しかし、さすがに年中さんから年長さんになるとそれなりに目的意識を持っているような動きで、身体能力の差もかなりはっきりしてきている印象がありました。

我が子はといえば、かけっこなど、みんなが走るからそれなりに走るという感じでしたし、お遊戯でも他の子が両手を羽ばたいて、走っている時にも、疲れているのかやる気がないのか、羽ばたきもせずに歩いている・・・。年長さんのかけっこで、まわりが白熱しているときに、遠くに認める姿を観察すると、座ったところの目の前の砂で山を作っている始末・・・。「う〜ん・・・、さすがB型」とある種感心しつつ、自分も運動会は苦手な方だったので、自分の小さい頃を見ているような、これから成長して世の中に出て行くようになると、多かれ少なかれ、他人と競争するような場面に出くわすであろうことを思って少し心配になる一方で、自分の人生を振り返ってみると、小・中学生の頃の運動会以外あまり競争ということを強く意識したことがないまま自分自身の道を歩いてきた気もするので、「この子にはこの子の人生がある。自分の道を見つけられれば、それが一番いいことだ。」とある種、達観できるような気持ちも同時にあり、なにやら複雑な気持ちになりました。「結局は自分が満足できる自分の道を歩むことが一番大事であり、そのために何か親として手助けが出来れば、それをすればよい。何もなければ、最終的にはその子を信じて、見守っていくことしかないな。」と、幼稚園の運動会ごときで、いろいろ考えさせられました。

(遠田弘一)
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2004年09月01日

037:慈温堂移転のお知らせ

慈温堂の診療は、当地(新日本難波ビル2階)にて既に15年の長きになりますが、駅からの道のりや周りの環境および、診療空間等、さまざまなことを考慮いたしますと、いろいろ不都合な点が多く見いだされていました。

「駅からさらに近くて、夜診の時間帯でも人通りがにぎやかで安心でき、昼間は部屋にもっと明るさを取り入れられる場所があればなおよい」と常々思っておりましたが、この度、ちょうど条件に適う場所を見つけました。今後のことを考え、新しい環境で診療するには、今がちょうど良い時期でもありますので、思い切って移転することに致しました。

今年の10月から新しい場所にて診療を開始する予定です。診療時間や薬の電話受付などは、今まで通りです。9月までは、従来通りです。

尚、10月2日(土)に引っ越しを致しますので、前日1日(金)はその準備のため、お薬の注文は休ませて頂きます。お薬を電話注文する場合は、9月中にお早めにご注文くださいますようお願い致します。10月4日(月)は従来通り投薬のみ午後3時より受付いたします。

移転先住所:〒556-0011
大阪市浪速区難波中3丁目4番40号 南大阪ビル2階(大阪府立体育館隣り)
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2004年04月01日

036:坂の上クリニックの開業

4月8日に故郷の山梨にて内科医院を開業いたしました。慈温堂遠田医院では、今まで週2日診察を行っていましたが、5月からは月1回第二水曜日の午後(15:00〜18:00)のみとなります。診察時間が大幅に減ってしまいますが、どうかご勘弁お願い申し上げます。

医院の開業はいわれている通り時間とエネルギーのいる大仕事でした。しかし、似たような開業の苦労話を聞かされてもおもしろくもないでしょうから、ここでは逆に楽しかったことを書いてみたいと思います。

まず、医院はビルの一室ではなく、戸建てでしたので、その設計と建築が大変楽しい作業でした。いわゆる医院によくある、機能的だが冷たい感じを避けたかったので、建物は木や珪藻土、土といった自然素材を多く使ってもらいました。設計士さんもそうした嗜好の方でしたので、希望通りの建物に仕上がりました。特に待合室は中庭に面していて、明るく緑も目に入り、大変快適と患者さんにも好評です。実際その建物で診察を始めてみて、何より私自身が快適です。多くの時間を過ごす所ですので、気持ちよい空間にしたかったのです。

次に、開院前に内覧会といって、一般の方に自由に医院内を見てもらう日を設けました。内覧会には雨にもかかわらず関係の方も多く来てくださり、祝福の言葉を頂戴し、何だか昔の結婚式の事を思い出しました。

最後に、漢方薬の煎じ薬を出す日は土曜日なのですが、初めての漢方煎じ薬の日、はるばる神奈川や静岡から患者さんが来られたのにも感激でした。ホームページを見られていて、初めての漢方煎じ薬の日に合わせて来院されたのだと思います。遠方から来られたその努力に何とかお応えしたいと、診察に一段と気合いが入ったのはいうまでもありません。

何だか宣伝めいた文章になってしまい恐縮ですが、坂の上クリニックは慈温堂遠田医院の山梨分院と捉えてくだされば幸いです。慈温堂のように患者にもスタッフにも優しい医院になることを目指しています。慈温堂ともども、どうかよろしくお願い申し上げます。

(雨宮修二)
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2004年03月01日

035:三国志に夢中

前回も歴史が面白いということで、トピックを書きましたが、今もまだ、頭は“三国志漬け”であるので、三国志について再び付け足します。

北方謙三氏、および吉川英治氏の「三国志」を読み終わり、その他、三国志に関する読み物に目を通して、新たに陳舜臣氏の「秘本三国志」も読む必要を感じ、読み始めている。何故必要を感じたかというと、バランスをとるためである。

三国志とは、舞台は中国、時代は2世紀頃(日本では“卑弥呼”のいた時代)、黄巾の乱の起こった184年から280年に晋が天下を統一するまでの間に群雄が現れて天下を競う時代の物語である。もっとも様々な英雄が亡くなり、諸葛亮孔明が没して(234年)後は、ぐっと色彩に欠けるというか魅力が薄れるため、上記の作家もそれ以降を書く活力が見出されないのか、詳述していない。したがって、多くの人の認識としては、184年〜234年までかもしれない。いずれにしろ、そのたかだか100年程度の間の物語である。最終的に魏・呉・蜀の三国が鼎立したことより“三国志”呼ばれる。結局のところ、魏が蜀を滅ぼし、魏の中の司馬一族の司馬炎が晋を建国し、魏、呉を滅ぼし、天下を統一することになる。

三国が鼎立し、それぞれの歴史書や伝承が生まれ、晋が天下を統一してからは、晋に仕えた史官陳寿が「三国志」(演義と区別するため正史「三国志」ともいう)を編纂した。一方で蜀が魏によって滅ぼされ、民衆の中に生まれた判官びいき的なムードを基盤にして羅貫中が「三国志演義」(以下演義)を著わす。

この演義とは、どちらかと言えば、蜀の劉備を正義とする見方に立っていて、魏の曹操を悪者に仕立てている傾向が強いものだそうである。中国などで、演劇や舞台で演じられる三国志はこの演義をもとにして、極端に劉備を正義、曹操を悪として描いていることが多いとのこと。確かに、勧善懲悪の方がはっきりしていて、日本人としてもそちらの方が好みであるかもしれないが、もともと、正義といってもそれはその立場でのものの見方であり、反対の者にはそれなりの主張も正義もあるのだろう。絶対善や絶対悪といううのは、物語には作りやすいが、あまり現実的ではない。

北方謙三氏は、正史を題材に自分なりの「三国志」を描いている。これは、どちら寄りということもなく、登場人物それぞれが魅力的に描かれている。吉川英治氏は演義を題材にしているため、やはり、どちらかというと、劉備(蜀)寄りに書かれているようである。それに対し、陳舜臣氏の場合は、はっきり曹操(魏)の立場で書いているということなので、ある意味で楽しみである。

曹操という人は、合理的な姿勢で物事を処理していった人のようである。人材を愛し、幅広く、有用な人物を(場合によっては、敵方の武将でも)取り入れていったことが、魏という国の底力となったのであろう。また、淫祠邪教を嫌い、そのような傾向を持った勢力(太平道、五斗米道など)は認めなかったが、浮屠(ふと)(仏教)は認めた(もちろん、武力を持って政治的活動をしない限りにおいてであろうが・・・)ため、中国に仏教が広く広がり、根づいていき、結局は日本にも比較的早い時期に伝来することになったのではないだろうか。日本の歴史の流れや文化なども仏教がかなり影響を及ぼしていることを思う時、曹操という人は日本にとってもかなり重要な存在なのではないだろうか。また、詩人としても評価が高く、単純に悪者と決めつけることが、いかに的外れであることかと思われる。最もかなり前から中国ではいろいろな歴史的人物の再評価がなされて、見直されてきているらしい。

私の場合、北方氏の「三国志」から読み始めているため、幸いにしてどちら寄りという姿勢も生まれていなかったし、人物それぞれに対する魅力を感じてもいたので、様々な立場での三国志を知ることに非常に興味がある。幸い、今書店にいけば、三国志やその時代に登場する人物に関する読み物は豊富にあるので、しばらくは楽しめそうである。

(遠田弘一)
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2004年02月01日

034:痩せられる漢方薬

巷では痩身願望は強く、漢方薬で痩せられないかとよくメール相談も受けます。

痩せるための漢方薬としては、防風通聖散や大柴胡湯などがよく使われますが、顕著な効果が上がったためしがありません。意図せざる結果として麻黄湯や防已黄耆湯などで余計な水分がとれ、痩せたと喜ばれた事がありますが、これは例外的なことです。やはり痩身に王道なし、食餌制限と適度な運動が最高の方法です。残念ながら飲むだけで痩せられる夢の薬はないと心得るべきでしょう。私の元同僚は痩せたいといって漢方薬を求めて来られる患者さんに、まず「痩せるのは癌を治すのより難しいですよ」と宣言していました。ムンテラと称する医者の患者さんに対する防衛的表明というだけでなく、半分の真実を含んでいる言葉だと思います。

世界には飢えに苦しんでいる人の方が多いことに思いを至して、たまには食を慎んでみるのも良いことだと思います。

(雨宮修二)
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2004年01月01日

033:最近面白いこと

最近、歴史が面白い。今から、20年以上前に吉川英治著「三国志」を読み出したことがある。でも、何が原因かわからないが、途中で挫折してしまった。何かで忙しくなったのか、興味がそれてしまったのか、今となっては思い出せないが、その後、再び読む事もなく、現在に至っている。歴史が嫌いなわけではなかった。今まで、歴史の裏話的な本も何冊か読んできているし、NHKの大河ドラマもほぼかかさずに見てきていたので、日本史の断片的な知識はそれなりにたまってきたと思う。でも、特に興味をもてる時代としては、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などが活躍する戦国時代や明治維新あたりで、その他はそれ程関心が無かった。しかし、数ヶ月前より、井沢元彦氏の書かれている「逆説の日本史」という本を読み始めているが、これが非常に面白い。はじめは、氏の書かれている「言霊(ことだま)」に関する数冊の本がきっかけである。

この「言霊」というのは、氏の言に基づくならば、日本人に独特の宗教感情というか無意識のうちに影響を受けている感覚というようなもので、簡単に言うならば、口に出して言ったことは、そのまま現実を創る、もしくは、そのような現実を引き寄せるということ。信じる信じないに関わらず、あるいは、それを意識しているいないに関わらず、この感覚に少なからず影響を受けて、個人あるいは集団が活動し、結局は日本史の流れを大きく左右してきたものであり、今現在の人達(日本人)もその影響のもとに暮らしているというような主旨であったと思う。その真偽はともかく、「成るほど」と思えることもあったため、それに関する数冊の本を読んでみたが、その成り行きで、「逆説の日本史」も読み始めてしまった。インターネットを覗くと、氏の言説に対しては、賛否両論いろいろあるようではあるが、自分としては、非常に面白く読ませてもらっている。今現在で7巻目までの出版であり、時代としては、中世王権編(太平記と南北朝の謎)であるため、まだ自分の好きないわゆる戦国時代には入ってきていない。しかし、7巻目まで読んできて、その時代の登場人物や時代背景に今まで以上の興味を持てたし、その人物の息吹までが、身近に感じられるようになった気がしてわくわくしている。

歴史というものが、ある時代毎に分断しているものではなく、いろいろ複雑に絡み合って流れているものであるとあらためて思わされる。同8巻目の出版を待ち遠しく思う気持ちと歴史への興味に新たに火がついた勢いで、それまで、遠ざかっていた三国志を再び読む気になった。しかし、吉川英治氏の三国志は以前挫折していたため、書店で見かけた北方謙三氏の三国志(全13巻)に何気なく手をつけてしまったのであるが、これがまた面白い。さまざまな登場人物に焦点が移り変わりながら、進行する。その人物の喜び、高揚感、悩み、悲しみ、苦しみなど独白を交えながら、まるで、その人物と一緒になったような錯覚を覚えながら、話が展開していく。ふっと冷静に考えると、いろいろ資料は調べ尽くしているのだろうが、この著者はその時代に生きていたわけでもないだろうに、何でそこまで言えるのか・・・。などとつぶやきながらも、思わず、自分の気持ちまでもが、高揚したり、苛立ったり、ほっとしたり、涙したりしている。小説家というのは、本当にうまいものだと関心してしまう。

歴史というのは、結局、真実は誰もわからないものだろう。伝えられている事が本当にそのまま真実が伝えられているのか否か、またその解釈も人によって様々なものになる。しかし、歴史というのは、その内容が本当かどうかということも大事ではあるが、それを知って、自分が生きている事とは何なのか、より良く生きるために自分はどうするのかということへの内観を持てれば、その方がさらに重要なことだろうと思う。歴史小説においては、内容の真偽よりも、それを読んで、自分が楽しめ、また色々な事に興味を見いだせれば、それでよいのだと思う。少なくとも、自分としては、この二人によって日本史やその遺跡のみならず、世界史にも新たな興味を持たせてもらい、楽しませてもらい、また少しく内観させていただいたことに感謝している。今、三国志12巻目の後半にさしかかっている。これをすべて読み終えたら、再び、吉川英治氏の三国志に再チャレンジしようと思っている。新たな視点から楽しめるのではないかと期待している今日この頃である。

(遠田弘一) 
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2003年12月01日

032:医療ドラマ

お茶の間ではリメイクされた「白い巨塔」が話題のようです。医療に関係のない方には、財前に感情移入するだけでなく、たぶん大学の医局の実態を覗き見るような楽しみもあって人気なのでしょうが、いわゆる大名行列をはじめ医療関係者には、それは違うという人が多いのではないでしょうか。

そもそもこの小説が発表された1965年と今では医療をとりまく環境がガラリと変わっています。教授を頂点とする医局制ヒエラルキーも、その弊害が強く批判され、今や医局制を解体した大学さえあります。来年度から導入される新医師臨床研修制度では、卒後すぐに医局に所属するのではなく、最低2年間は、広くプライマリーケアを学ぶことが義務づけられました(以前の卒後研修は努力目標でした)。インターン制度が廃止されてから38年振りの大変革です。山崎豊子の小説がちょうど同じ頃に発表されているのは偶然ではないでしょう。学生運動は当時の医学部の医局のあり方を強く批判し、インターン制度廃止につながりました。山崎豊子の小説もこうした時代背景の元で読まれるべきものだと思います。いや、名作とは時代を越えて読み継がれるものならば、「白い巨塔」は名作なのかもしれませんが、ドラマにリメイクするならば、もう少し現代の視点を入れて欲しかったと思うのは欲張りでしょうか。

新医師臨床研修制度では、研修医の処遇改善も大きな眼目です。日本の優れた皆保険制度は、研修医の無休無給に近い過酷なハードワークに依存していた部分が多いことは、意外に気づかれていない事実です。この大きな変革に、十分な予算措置がとられることを願って止みません。

「ER」「救急病棟24時」「Dr.コトー診療所」、そして「白い巨塔」、医療ドラマは視聴率の高いジャンルなのでしょうが、時には眉に唾する事も忘れずに!

(雨宮修二)
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2003年11月01日

031: 医療:その8

前回(その7)は、「全体治療」という特徴を持っている東洋医学の学術的基礎が「個体病理学」という「ものの見方・考え方」の上にあるということを説明しました。

大昔、人は病気になった時、その異和状態を治そうとして、様々な草木を、試行錯誤を繰り返しながら、服用していったことでしょう。これらの草木が現在の「民間薬」の源泉です。そのうち、甘草を加えると甘味がついたり、生姜と大棗の組合せと一緒にすると服用しやすくなるというような体験を通じて、生薬複合物を利用することの良さを徐々に知っていったことでしょう。そしてそれらの体験の集積が「条文」となり、その「条文群」がやがて一冊の本となって、結局、「傷寒論」という誠に貴重な、有難い「生薬治療」の本が約2千年前に誕生したのです。これが現代の漢方治療の根元にある本なのです。

その後、同様な体験を通じて、様々な生薬複合物(薬方あるいは湯)が更に追加されていきましたが、あくまでも経験を集めた本でしたので、その薬方の作用メカニズムについては、あまり書かれていませんでした。そしてそれ故に、人体の持つ異和改善反応とそれに対する生薬複合物との対応関係が、理屈による歪みを受けずに、ありのままの姿で、この現代にまで残されてきたのであり、「全体治療」という高度な治療手段を可能にしてくれたのです。なんと貴重な、人類の叡智の遺産であることでしょうが、これを大いに活用しなければ、誠に勿体ないことです。

人間というものは誠に「理屈」の好きな生物です。後の時代になると、様々な「空論」や「臆説」が隆盛となり、医療も「空論・臆説」に満ちたものが流行し、折角の経験則の書である「傷寒論」の薬方も使用されなくなってしまいました。約200年前、日本では医学の革命がおこり、「傷寒論」の薬方が再び使われるようになり、これが基本にある医術となりましたので、そういう医術革命の起きなかった中国の医術とはかなり異なったものになっています。

この「空論・臆説」の代表的な観念論が中国では「陰陽五行説」であり、日本では「気血水説」です。こういう観念論に支配されている限り、医学としての正しい発展は不可能であるとして、それらからの脱却を目指して、近代的な基礎理論の上に伝統的な生薬治療術を再構築したものが「近代漢方」であり、当院で現在、実践されている漢方治療です。最も新しい近代的な生薬治療法と言ってもよいでしょう。その有効性の一端は、ホームページの治験例を見ていただければ、わかる筈です。

(遠田裕政・最後の遺稿)
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2003年10月01日

030: 医療:その7

前回(医療:その6)は、「全体治療」の大切さとそれが東洋医学には有るのに、どうして現代医学(西洋医学)には無いのかを考察しました。

現代医学の学術的基礎は1885年にルドルフ・ウィルヒョウが提出した「細胞病理学」という「ものの見方・考え方」にあります。これは生命の基本単位は細胞であり、どのような細胞がどのような存在状態にあるかということで、「病気」が説明され、細胞がどのような状態になれば「健康状態」になるかと考え、追求していくわけです。病人を診察して治療をする時、病人の身体の中の細胞群の状態を常に推定し、その正常化を考えて様々な治療手段を追求していくわけですので、これはそれ以前の医療に比べて、はるかに高等な医療であり、生物学の進歩、現代技術の進歩と共に進展していく長所を持っているわけです。まさに、日進月歩の状態にあるものであり、本当に素晴らしいものです。

これに対して、東洋医学の学術的基礎は一体どんなものなのでしょうか。「細胞病理学」でないことは確かです。なぜなら、2千年以上も前に形成されてしまったものですので、当時の人達は「細胞」などというものは見ることも出来なかったし、想像することすら出来なかったからです。そこで病気を治す時、個々の病人の全体像の変化を、五感で知り得る範囲ですが、出来るだけ綿密に見て、それぞれの状態に応じて、どのような生薬の結合物が有効に働くかを研究していったわけです。すなわち、「細胞」のかわりに「個体」のあり方を基礎に、治療の仕方を開発していったわけです。

そこで私は、このような治療における根本的な「ものの見方・考え方」を「細胞病理学」に対比して「個体病理学」と名付けたのです(1972年、日本東洋医学会誌第23巻2号49頁)。このような見方に立てば、東洋医学の特徴に関する様々なことが、その長所も短所も含めて、一目瞭然になってくるのです。医療に関する「ものの見方」が一段と深くなることでしょう。

今後の東洋医学がいかにあるべきか、これは本当に大切な問題ですが、その最重要の特徴である「全体治療」の能力を更に発展させていく方向に進めていくべきであるということは間違いのないことでしょう。

(遠田裕政・遺稿その2)
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2003年09月01日

029: 医療:その6

前回(医療:その5)は、東洋医学が西洋医学に断然と優る点がその「全体治療」という特徴にあることを述べて終了しました。

高度の医療技術を存分に持っている現代医学(西洋医学)に対して、東洋医学がその存在価値を主張し得るのは、この「全体治療」という特徴を持っているからであるということも、既に述べてきました。

それだけではその西洋医学がこの「全体治療」という医療技術を開発してしまったら、どうなるでしょうか。当然、東洋医学は、その存在価値を主張する特徴を失ってしまうことになるわけです。それではやがて、東洋医学の実践者は困ることになる運命なのでしょうか。いいえ、決してそんなことはないのです。

西洋医学は治療技術の開発において、今後とも、あくまで「理論的」に進んでいく筈です。そうしなければ倫理的にも許されない筈です。理論的に何か治療技術の開発を目指すとすれば、局所の異常を局所の処置で治していくという治療主義、すなわち「局所治療」でいくしか方法はありません。生体全体のあり方を改善して、局所の異常も改善していくというような高等な治療手段は、「理論的」に開発出来るような、そんな単純なものではないのです。「理論的」に進んで行く限り、開発され得る治療はあくまでも「局所治療」であって、「全体治療」ではないのです。

では、一体どうして、東洋医学は「全体治療」という高等な治療手段を持っているのでしょうか。それは中国の古代において、あくまでも「経験的」に開発された治療手段があり、正しく伝承され、更に正しく洗練されてきたその治療手段を、正しく受け継ぎ、正しく活用しているからこそ、あり得る治療手段だからなのです。すなわち、「経験的」に得られた治療手段を上手に利用して、はじめて可能となっている高等な治療手段が「全体治療」なのです。

東洋医学が持っている「全体治療」といういこの独特な治療手段は今後まだまだ、発展させられて、更に高度の治療能力を持つ医療手段に発展していく可能性があります。

将来の理想的な医学、すなわち「世界医学」あるいは「人類医学」は、更に高度に発展した「全体治療医学」と更に高度に発展した「局所治療医学」の両方を、ほど良い協調関係のもとに、合わせ持つものとなるでしょう。そのためにも、東洋医学の存在価値は絶大なものなのです。

(遠田裕政・遺稿)
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2003年08月01日

028:父のこと

2003年6月13日は、私にとって忘れられない日となってしまいました。この日に、人生の大先輩であり、漢方の恩師でもある父が、もう再びこの目で見ることのできない存在となってしまったからです。既に自分の家庭を持ち、もう何年も違う屋根の下で生活をしてきたので、普段は、同じように時間が過ぎていきますが、ふとした時に、しばらく会っていないなという思いと、あぁ、もう会うことは出来ないんだという思いが同時に浮かんできて、ため息がこぼれることがよくあります。

物心ついた時から、今日まで、色々な思い出がありますが、父がよく言っていたことは、「この世に生まれたからには、人類のために何かを捧げたい」ということでした。また、本当によく勉強していた姿が目に浮かびます。「習熟の喜びと創造の喜び」ということもよく言っていました。

確かに、父は「習熟の喜びと創造の喜び」を知り、それを実践しながら、西洋医学的にも東洋医学的にも本当に重要なことを成し遂げ、人類に捧げ、成すべきことを成した後で、静かに去っていったと思います。

西洋医学的に成したことに関しては、今現在の医学・生物学でも「正常細胞の分裂と分化を制御する機序について」はいまだに正確なことがよくわかっていないのですが、父はもう40年以上も前に、東大第一内科に所属している時にマウスの肝臓細胞について、その生体そのものを用いて研究し、とても重要な実験結果を得て、その機序を推定し、しかるべき学術誌に発表していることです。この実験を正しく追試し、その結果が証明され、この仮説が認められれば、正常細胞のみならず、癌細胞の分裂増殖の機序についても、一元的に説明でき、さらに生物学の根本的なことにまで言及できる可能性のある仮説であるのに、このことはまだ、正しく世の中に評価されていません。というのも、その後、この問題は、棚上げになったまま、というより世の中の流れは、それまでとは違うアプローチが主流となってしまったようなのです。つまり、生体から細胞のみを取り出して、あるいは、そのなかの遺伝子レベルまで掘り下げていって研究するというアプローチに変わっていってしまったとのこと。しかし、父の得たこの結果は、生体を丸ごと用いて調べなければ、見いだされないような事柄なのです。父が近畿大学を停年退職する1〜2年前に、再びこの分野の現状について勉強する機会があったようですが、父が言うには、未だにこのことについては、医学界、生物学界では、正しいアプローチがなされていないため、様々な現象を一元的に説明できずに、混乱した状態であるようです。おそらく、医学あるいは、生物学が、今までの停滞した状況から抜け出す正しいアプローチに再び戻ることがあるならば、父の発見したこの事実についてもその価値が見直されてくるのではないかと思われます。

東洋医学的に成したことに関しては、『近代漢方総論』・『近代漢方各論』(医道の日本社)と題して、既に書籍に著して近代的な見方・考え方を基に漢方を体系づけたことです。しかし、東洋医学界の現状はまだまだ、前近代的な考え方が主流のようですし、そのために漢方が形骸化していきつつある状態のようですので、父のような見方・考え方も多くの人の認識には至っていません。これから漢方医学がまともな方向に進まないことには、父の近代漢方の価値も本当には、わからないままのようです。

しかし、父としては、自分の成したことを信じていましたし、世の中も正しい認識に向かって進むであろうことを信じていたようです。しかし、自分の成したことが、正しく認識されるには、時間がかかり、とても生きているうちには、それは適わないであろうことも感じていたようです。

私は小さい頃より、父を見て育ってきた者として、あの父が成したことならば、まず間違いのないことを信じています。いずれにしろ、自分の天職に出会い、成すべきことを成して、人生を全うした1人の存在を我が父に持てたことは、息子として誇りに思い、また父から受けた多大なる恩恵に感謝しています。

(遠田弘一)
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2003年06月01日

027:医療:その5

前回(25)は、東洋医学の良い点を幾つか考察して、しかも、それでも、それらが東洋医学の存在価値を主張するものとしては、今一であることを指摘し、終了しました。

当院では、現代医療でどうしても治らなかった「慢性湿疹」の方々がよく来院されますし、「証」にあわせた漢方薬と本人の改善への努力とによって、結構よく治っていくものですが、そういう時、しばしば感じることは、現代医学の治療があまりにも一時的なものでありすぎるという事です。局所の皮疹の一時的な改善はステロイド軟膏を使用して達成されるのですが、その他の部位に次々と皮疹が出てきて、それを抑えるために軟膏を次々に塗っていくだけであり、そういう皮疹が出てくるような「体質」を改善していく治療、すなわち、生体の全体が良くなりながら、その局所の異常状態(皮疹)も改善していくような「全体治療」というものが全くないのです。

ある患者さんは、現代医学の皮膚科のこういう治療を「いたちごっこ」と表現しましたが、まさにその通りだと思います。結局、患者さんは次々と医者を代えて、どこへ行っても同じような治療を受けて治らず、やがて、様々な「代替医療」に望みを託し、時には大金を浪費するようなことにもなるようです。これは一般的に言って、個々の皮膚科の先生が悪いわけではないのです。現代医学の皮膚科学そのものの発展段階がまだそのようなものであるからなのです。

この「いたちごっこ治療」は何も現代医学のみに限りません。東洋医学と称していても、必ずしもすべて「全体治療」が出来るとは限りません。いやむしろ、出来ない人の方が多いのです。東洋医学そのものはまだ学術化され、統一化されていません。そのため、個々の治療者の治療能力の差はまさにピンからキリまであることになり、その治療形式も誠に千差万別です。学術化され、統一化されている現代医学に比べて、その混乱の度合はあまりにも大きくて、心配でもあるのです。

東洋医学が西洋医学に断然と優る点はその「全体治療」にあることを本当に自覚し、実践していく人達こそ、本当の意味での、東洋医学の実践者なのです。

また、ここに目をつけることが、東洋医学関連の良い治療者を見つけ出す「コツ」の一つでもあるのです。


(遠田裕政)
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