2003年06月01日

027:医療:その5

前回(25)は、東洋医学の良い点を幾つか考察して、しかも、それでも、それらが東洋医学の存在価値を主張するものとしては、今一であることを指摘し、終了しました。

当院では、現代医療でどうしても治らなかった「慢性湿疹」の方々がよく来院されますし、「証」にあわせた漢方薬と本人の改善への努力とによって、結構よく治っていくものですが、そういう時、しばしば感じることは、現代医学の治療があまりにも一時的なものでありすぎるという事です。局所の皮疹の一時的な改善はステロイド軟膏を使用して達成されるのですが、その他の部位に次々と皮疹が出てきて、それを抑えるために軟膏を次々に塗っていくだけであり、そういう皮疹が出てくるような「体質」を改善していく治療、すなわち、生体の全体が良くなりながら、その局所の異常状態(皮疹)も改善していくような「全体治療」というものが全くないのです。

ある患者さんは、現代医学の皮膚科のこういう治療を「いたちごっこ」と表現しましたが、まさにその通りだと思います。結局、患者さんは次々と医者を代えて、どこへ行っても同じような治療を受けて治らず、やがて、様々な「代替医療」に望みを託し、時には大金を浪費するようなことにもなるようです。これは一般的に言って、個々の皮膚科の先生が悪いわけではないのです。現代医学の皮膚科学そのものの発展段階がまだそのようなものであるからなのです。

この「いたちごっこ治療」は何も現代医学のみに限りません。東洋医学と称していても、必ずしもすべて「全体治療」が出来るとは限りません。いやむしろ、出来ない人の方が多いのです。東洋医学そのものはまだ学術化され、統一化されていません。そのため、個々の治療者の治療能力の差はまさにピンからキリまであることになり、その治療形式も誠に千差万別です。学術化され、統一化されている現代医学に比べて、その混乱の度合はあまりにも大きくて、心配でもあるのです。

東洋医学が西洋医学に断然と優る点はその「全体治療」にあることを本当に自覚し、実践していく人達こそ、本当の意味での、東洋医学の実践者なのです。

また、ここに目をつけることが、東洋医学関連の良い治療者を見つけ出す「コツ」の一つでもあるのです。

(遠田裕政)
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2003年05月01日

026:白装束集団のこと

連休前位からでしょうか、異様な白装束集団「パナウェーブ研究所」がマスコミで報道され始め、注目を集めています。

危険な電磁波を防ぐためと称して周囲を白ずくめにし、車には奇妙な文様を書き込んだまさに護符のようなお札がいっぱいに貼られています。正面ガラスにも数多の紙が貼られていますので、あれでは電磁波の危険より交通事故に会う危険の方が大きいだろうと私など思いましたが、当人達はそんなことより大事なことがあるのでしょう。

この白装束集団を分類すれば明らかにカルト集団でしょう。どうしてそんな奇妙きてれつな事を信じるのかと外部の人は訝りますが、カルトに所属する人間にとってはその信奉する教義が強烈に奇妙で一般常識からかけ離れていればいるほど魅力があるのだそうです。他人は知らず自分達だけが知っている真実の甘美な味。とりわけ地球の破滅や健康被害などの要素は有効らしく、大抵のカルトの教義には折り込まれています。

馬鹿な人達と笑うのは簡単ですが、人間の心にはともすればカルトに魅かれる暗い部分があるのは確かなようです。整体師に背骨がゆがんでいるからこの病気は起こるのですといわれて信じ込んでしまう人。貴方の子供がこのような病気になるのは悪い霊が付いているからです。除霊の儀式を100万円で行いますといわれて、本当に払ってしまう人。何でも治るという健康食品をどんなに高価でも喜んで買う人。程度の差こそあれ似たような現象です。不確実な人生で何らかの確かな指針が欲しくなることはあるでしょうが、確信を持って語られる奇妙な教義には気をつけたいものです。

それにしても、白装束集団「パナウェーブ研究所」の動向、やはり眼が離せませんね。


(雨宮修二) 

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2003年03月01日

024:親バカのつぶやきー3

また、私事である。去年の暮れ(12月23日)に2人目の子(長女)が誕生した。この日は祭日で、他病院の当直にあったている日でもあったので、どうなることかと思ったが、幸い夜中のことだったので、出産にも立ち会う事ができた。立ち会い出産は、妻とも望んでいたことだったが、1人目の子(長男)の時は、仕事の都合で、15〜20分遅れで、間に合わなかったといういきさつがあった。

出産に立ち会うという経験は、めったにできることではないし、ひとつの生命の誕生というまさにその瞬間にいるわけで、やはりある種の感動がある。それまでは、お腹の動きなどで、「あぁ、ここに小さな命が一生懸命活動しているんだな」と感じることはできるが、まだ、その状態では海のものとも山のものとも知れない。それが、出産の時にはその子がまさに形をともなって目の前に出現してくる。生命の不思議というのは、至る所に満ち満ちてはいるが、普段の日常生活に埋没しているとそれを感じる感受性はだんだん鈍ってくるもので、折りに触れ、それを思い出す事柄に出会ったりして感動を新たにしているのが、自分を含め、多くの人の有りようではないだろうか。しかし、その中でも自分の子の出産に立ち会うということは一際大きい。

先日、何かのテレビ番組で、指揮者の小澤征爾さんとその娘がゲストで出ていて、いろいろなエピソードを紹介しながら、話を聞くという内容であった。

小澤征爾といえば、もちろん多くの人が知っている世界的にも有名な指揮者である。僕自身はクラッシックはまぁ、好きな方だが、月並み程度であり、そんなに事情通でもないため、この人のことはあまり知らなかった。この時の氏の有りようは、実に自然体で、いろいろなエピソードや話す内容から、物事に誠実に真剣に取り組んでいることが伺われた。また、世界的に有名になってきて、超多忙な状況にも関わらず、子供との時間を決して疎かにせず、大事にしてきたようである。いろいろな点で共感し、魅力を感じる人であった。これからは、意識的に小沢征爾さんの指揮する音楽を聞いてみようかなという気になった。

共感を感じる一つのエピソードとしては、世界各国を飛び回る忙しい中で、娘さんが誕生した時、“That's what it's all about”とつぶやいたそうである。もちろん英語の生活をしていたから、思考も英語の思考になっていて、思わずつぶやいたのだろう。どういう意味かというと、「音楽、音楽で忙しくしていて、生まれてくるまで、実感がなかった、というより自分のように忙しくしている者に子供ができるとは夢にも思っていなかったところへ、長女が誕生し、ああ、成るほどすべてはこ〜いうことだったのか、生きているというのは・・・という思いと自分のしていること、つまり音楽なんかほんのちょっぴりとしたことなんだなぁ・・・というような気持ちになった。」そうである。

まさに同感である。生命の誕生という大きな不思議に出会うとやはりもろもろの小さな事柄や、それに捕われている自分に思い当たるのであろう。

大自然の行っていることは、どこまでも奥深く、精妙であり、神秘を含みながら、ごくごくあたりまえに自然と行われていく。どんな活動でも人事を尽くすことや智慧を生かして生きていくことは、もちろん大切なことであるが、あまり、小賢しく成りすぎてせこせこと生きていくのは、大自然の営みからするとほんとにちっぽけな悪あがきに過ぎないと思えることが多い。やはり、折りに触れ、この大自然のありように触れる機会をもつことは、大事であると思う。そしてそれは、注意深くあれば、至る所に現れているものであろう。


(遠田弘一) 
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2003年02月01日

023:食養生について

漢方薬を飲まれている患者さんには、食餌についての指導もしています。食餌指導といってもそう厳しいものではなく、皮膚病の患者さんの場合には甘いものの摂取を控えることが中心で、あとはアトピーならもち米を控えること、乾癬なら肉類を控えることなどです。実際、食餌に無頓着ではいくら身体に合った漢方薬を飲まれていても、効果が十分出てこない場合があります。皮膚病が改善した後でも、つい食餌で不摂生すると皮膚病が増悪することもよく経験します。

一方、患者に非常に厳しい食養生を課す治療者もいます。玄米菜食はいうに及ばず、絶食まで強要している場合もあります。確かに飽食日本では糖類、脂質、総カロリーいずれも過剰になりがちで、これらを制限すれば病気が良くなる場合もありはしますが、これも場合によりけりです。成長期の子供に極端な食餌制限を付せば、取り返しのつかない後遺症を招くでしょう。痩せ細った人に玄米菜食など勧めれば、ますます体重は減り、健康は阻害されるばかりでしょう。

根拠のない食餌療法は容易に宗教に堕します。あまりに厳しい食養生を治療者に課された場合には、その根拠は確かか、今一度確かめてみてください。何といっても食事は人生の大きな楽しみのひとつであることを忘れてはいけません。

温心堂薬局のweb pageでは「ケ」の食事と「ハレ」の食事で、めりはりを付けるのを勧めています。これも食養生の厳しさを軽減させる良い考え方ですね。

「何事も程々に」は食餌療法においても大切な心構えだと思います。


(雨宮修二)
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2003年01月01日

022:医療:その3

前回(20)では、高度の医療技術を存分に持っている現代医学に対して、東洋医学は一体何をもって、その存在価値を主張し得るのでしょうか、という問いを発して終了しました。

当院には様々な病気の方々が来院されますが、その大部分は現代医療で治らなかった人達です。例えば皮膚病では、アトピー性皮膚炎や掌蹠膿疱症や慢性湿疹の人達が来院されるのですが、漢方治療で結構よくなっていくものです。また、現代医学では治癒しないとされている「尋常性乾癬」の患者さん達が、当院のホームページに出ている治験例を見て、かなり遠方からも来院されています。この病気も「証」にあった漢方薬の服用と本人の改善への努力次第で、結構よくなっていくものであることを経験してきまして、今では、この病気は、「ガン」とはちがって、本来治るべき病気であると確信しています。なお、「ガン」の場合は、その種類や程度によって、全く様々な状態がありますので、必ず治るなどとは簡単には言えませんが、「乾癬」は治る病気であると言えます。

この発達した現代医学で、不治と言われている病気であっても、「乾癬」の如く、漢方治療で治るものがあるということは、一体、どうしてなのでしょうか。

それは現代医学が局所の異常を局所の処置で治していく「局所治療」であるのに対して、漢方治療は「体質」を改善して、身体全体の異常を改善しながら、局所の異常も改善していく「全体治療」であるからなのです。これは現代医学が持ちあわせていない、一種高等な医療術なのです。「理屈」から開発され得るような、そんな単純なものではなく、「経験」から得られ、伝承されてきた誠に玄妙な治療術なのです。

「全体治療」というこの特徴こそ、東洋医学が、その存在価値を主張し得る最重要の特徴なのです。

結論から先に言ってしまったことになりましたが、理解しにくい点もあったかも知れませんので、次回から、もう少し説明し、考察していきましょう。


(遠田裕政)
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2002年12月01日

021:思考停止

今年は冬の訪れが早く、11月は寒い日が多かったです。そのせいか紅葉は見事だったという声も聞きます。

現実に目を戻しても寒いニュースが目に付く年の瀬です。いつまでたっても回復しない景気、業績悪化と銀行の貸し渋りによる会社倒産の増加、北朝鮮問題、現実味をおびてきた対イラク戦争。

日本の景気は世界の経済動向に連動した事柄ではありますが、また政治の結果でもあります。改革を旗印に国民の圧倒的支持を得て登場した小泉政権ですが、改革はかけ声ばかりで、目に見える成果は少なく、経済は一向に好転しないばかりか底なしのデフレに陥ってしまったかのようで、こと経済に関しては完全に失政といわざるを得ません。

特殊法人問題など国民が最も是正して欲しい問題は完全に骨抜きにされた形で決着してしまった一方、医療保険に関しては初めての診療報酬マイナス改訂という形で実を結び?ました。また老人医療費患者負担分はかなりの程度までアップさせられました(年金暮らしの父はぼやいています)。医療費を削減するのは改革の一環として良いことと捉えられる方も多いでしょう。確かに健康保険制度は財政的には破たん寸前ですから、何らかの対策は必要です。しかし、現在の日本の医療保険制度を破壊してしまって良いかというと、もう一度よく考えてみる必要があります。

日本のGDPに対する医療支出の割合(7%)は先進国の中では高い方ではありません(下図参照、ピンク線が日本)。米国では13%を超えています。また医療は単なる消費ではなく、産業でもあり雇用促進、産業育成の手段でもある側面を忘れてはいけません。

02_3.gif

日本では優れた国民皆保険制度のおかげで、誰でも自由に医療機関を選び受診(フリーアクセス)することができますが、諸外国では必ずしもそうではありません。米国で高度の医療を受けるにはかなりの所得を必要とします。英国では決められた病院に行かなければならない上、手術が必要になっても半年待ちなどという笑って済ませられない話を聞きます。

比較的低い医療費で世界一の長寿国になっている事実も、国民はもう少し評価すべきではないでしょうか(WHOの評価ではトップです)。もちろん一国の平均寿命を規定する要因は複雑でしょうが、医療制度は大きな要因のはずです。

平和、人権、愛、平等、ゆとり教育etc.、聞いたとたんにホワ〜ンと思考停止に陥ってしまう言葉があります。改革もそうした言葉のひとつです。改革が改良でなく改悪になる場合も多いことを頭において、偏向したマスコミの論調に踊らされることなく、もう一度医療保険制度改革について考える必要があると思います。


(雨宮修二)
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2002年11月01日

020:医療:その2

前回のトピックス(17)で、現代医学の外科領域の医療水準の高さについて、身をもって体験したことの一端を報告しておきましたが、今回はそれに関連して、なお感じていることについて、少し触れておくことに致します。

S字状結腸内に出来た癌のため、腸閉塞になったわけですので、その癌を含めて腸管の一部を切除することが必要となり、入院してすぐ、術前の当然の処置として、食物および水分など一切の経口摂取を禁じられ、その代わりに、高カロリー輸液をされることになりました。

この高カロリー輸液は以前、首のあたりの静脈に管を挿入していましたので、その覚悟をしていましたが、有難いことに、左の前腕の静脈でやっていただけることになりました。お陰で、普通の点滴感覚で、術前、術後を過ごすことが出来、大変に嬉しいことでした。首のあたりの挿管では、なんとなく不安感があり、不便でもあるからです。

この輸液のお陰で、水一滴飲まなくても、喉は渇かず、空腹も覚えず、体力も落ちず、しかも胃腸を休ませて、腸閉塞のために浮腫状になった腸管の浮腫を改善し、手術をしやすくすることが出来るのですから、誠に素晴らしいことです。何ヶ月もこれのみで生きていくことが出来るようですので、なんとも有難いことでもあります。これは今や、日常、普通に見られることですので、一見なんでもないことのように思われ勝ちですが、実は、現代でなければ出来ない高度の医療技術の一つです。

漢方治療の専門家としては羨ましいとすら感じたものでした。なぜなら、漢方治療では原則として、すべて経口投与でいかなければならないものだからです。

腹部の奥の腸管の一部を切除することといい、経口投与を一切禁じて、生命を維持していけることといい、誠に現代だからこそ出来る高度の医療技術と言ってよいわけですが、これらは現代医学が持っている高度の医療技術のほんの一端に過ぎません。

そういう高度の医療技術を存分に持っている現代医学に対して、東洋医学は一体、何をもって、その存在価値を主張していけるのでしょうか。これはこの現代における漢方治療の実践者が、よくよく考えておかなければならない大切な問題ですが、どうも一般的には、あまり十分に考えられてはいないような感じです。次回以降、少し考察していくことに致します。


(遠田裕政) 
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2002年10月01日

019:親バカのつぶやきー2

例によってまた、独り言をつぶやかしてもらうこととする。

子供が成長し、様々な行動パターンが現れてくるにつけ、ますます愛おしさも強くなってくる。最近は、何か小さいものは人に限らず、動物でも我が子のイメージに重なって見えてくるから不思議だ。街を歩いている親子連れ、公園で遊ぶ子供達、“おかあさんといっしょ”などの子供番組などで、それぞれ好き勝手なことをしている子供達・・・その子供達の仕草に我が子がだぶってくる。

はたまた、動物番組などで出てくる子犬、子猫、子象、子ライオン、その他・・・その子供が親にジャレつくかわいい仕草に我が子がだぶってくる。

つい先日、ある番組で様々な状況下で生きている生き物について放映していた。たしか、どこかの砂漠で生きているカエルだったが、乾燥地帯なので、時間をかけて、わずかの水を膀胱にいっぱい貯めて、砂の中で厳しい状況をしのいでいるという(無邪気なカエルのアップが映し出される)。とそこへ、現地で暮らす住民がやってくる。住民はその習性を知っていて、手持ちの水がなくなるとそのカエルを掘り出して、おしりの方から水を吸って飲み(カエルをつかまえた住民がごくごく飲む姿が映し出される)、渇きをしのぐという。そして、せっかく集めた水を飲まれてしまったカエルが、また砂の中に戻される。そんな1シーンがあった。“ああ、なんてことを”とちょっとかわいそうな気がした。なされるがままの弱きカエルの姿が我が子にだぶってきて・・・。

また、違う番組では、蘭という花を題材に、進化の不思議をレポートするものがあったが、ある場所に繁殖する蘭は、確実に生き残るため、花びらの一つをある蜂のメスに似せた形態に仕上げ、そのメスと同じような“におい”までだし、オスを誘い、花粉を運ばせるという仕組みを作り上げていた。1種類ではなく、多数の種類があり、形態もまちまちで、その一つ一つが特定の蜂のみをターゲットにしているという。まったく生命には多種多様な存在様式があるものなんだなぁと感心させられた。そしてその方法とは、オスの蜂が、形態を変えた花をメスと思い込んでしがみつき、交尾をするためか、別の場所へ運ぶためか、羽根をバタつかせるが、ビクともしない。そうこうして動いているうち、予め用意されていたスポットにちょこんとはまり込み、たくさんの花粉を背中に付けられてしまうとう巧妙な罠・・・。あわてるのなんのって、やっとの思いで、その場所から抜けだしたももの、いつの間にかメスを見失ってしまったという素振りで、そして背中にいっぱい花粉を付けられて、飛び立つそのオスの蜂の“あわれ”というか、思わず笑いを誘う仕草にも我が子がだぶってくる。(重症である・・・と思いきや)

先日、姉が父親の引っ越しの手伝いのために下の子を連れて、大阪の方へ遊びに来た。遠く離れているので、自分の子が産まれてからは会うのが初めてで、久しぶりだった。いろいろ話しているうち、ふとしたタイミングで、小さい生き物がみんな自分の子供に重なって見えて来るという今の気持を打ち明けると、“そ〜なのよ〜、本当に小さいものに対する愛情が自然とでてくるのよ〜”と心から同意を示していたので、やはり、親になると同じなのかと新ためて思った次第である。(重症ではなく、普通であったわけである・・・)

一人で生きていたときは、確かに、小さい子はかわいいものだという気持はあったものの、今こうして、親になってみるとまた感じ方が違う。なにかこう、生命に対する慈しみというか愛おしさが、ある意味で、深まった気がしている。
“親孝行したいときには、親はなし”ということわざがある一方で、そうではなく、子供は親に上述のような気持ちを抱かせることで、既に乳幼児期に親孝行以上のことをしているという説?もあるということを、この間、父親から聞いたが、確かに得難い人生経験の深みを与えられていることを思うとうなづける説である。ということは、もう既に親孝行をしてもらっているのだから、今後は、子供の成長にとって本当に必要なことをする“子孝行”にせっせと励まなければならない。(決して甘やかすわけではないが・・・)

今でこそ、朝出かけるときに、泣きながら手を伸ばす子供に後ろ髪を引かれつつ仕事に赴く毎日だが、そのうち、必ずくるであろう反抗期・・・これは、親から精神的に自立するためには、どうしても避けられない大切な時期(?)・・・たぶん・・・その時がきたら、今の気持を忘れずにいたいものである。


(遠田弘一)
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2002年09月01日

018:e-mail作法(2)

■少し考えればわかる失礼

1. 引用
大抵のメーラーでは返事した場合、前の文章が引用できるようになっています。全文を引用してそのまま送信してしまう人が多いのですが、これは通信量がいたずらに増えるだけでなく、相手にも何かぞんざいな印象を与えます。引用は必ずしも必要ありませんし、するとしても最低限にしたいものです。
また、意外に気がつかない重要な点は、全文引用していちいちそれに答えていくスタイルは文章のまとまりをなくし、論点も枝葉末節に拘泥することになりがちなことです。言葉の揚げ足取りからけんか(フレーム)にまで発展するBBSやChatがこの悪い典型です。
細かなことでは、送信時全角38文字での改行が自動的に入れられるメーラーの場合、引用すると38文字+1文字が続く不細工なメールになってしまいます。引用符が1文字分増えたためです。引用した場合には自動改行を入れない方が良いでしょう。

2. Subject
内容を表す適切で簡潔な題名(Subject)をつけましょう。返信時には相手のメールSubjectにRe:(Reply)が自動的につきますが、相手のメールSubjectにRe:を付けただけのSubjectは、やはり何か手抜きな感じがします。特殊な場合を除いて新しいSubjectをつけるのが好ましいです。Subjectが空欄などはもってのほかです。受信者におかしなメールと思われて、ごみ箱直行の可能性さえあります。

3. CcとBcc
メールを複数のアドレスに同時に送るのが、CcとBccです。Ccではアドレスが明示されるのに対し、Bccではアドレスが現れません。Bcc (Blind carbon copy) の所以です。Ccに何気なくアドレスを書き込むと多くの方にアドレスが丸見えになってしまいます。アドレスを他の人に見られては問題がある場合にはBccを使うべきです。一方、Bccではアドレスが表示されていないため、誤送信かと疑われる場合もありますので、その旨本文に書いておくのが良いかもしれません。

4. 返信のタイミング
基本的にe-mailの命はスピードですから、なるべく早く返信すべきです。確かに相手に届いているかどうか、読んでくれたかどうかの不安が常にe-mailにはありますので、すぐに返事できない時でも、とにかくメールがついた旨だけでも返信したら最高です。
しかし、逆にすぐに返信しない方が良い場合もあります。一つは携帯メールです。こいつはメール着信を即座に知らせる場合が多く、変な時間帯に返信したら迷惑になります。e-mailの大きなメリットは電話やFAXのように突然闖入することのない、押しつけがましくないことなのに、携帯メールのこのずうずうしさはいったい何なのでしょう?私が携帯メール嫌いな大きな理由のひとつです。
もうひとつ返信を遅らせた方が良い場合があります。それは相手のメールに憤慨、激高している場合です。激高した勢いで返事を書いて送信してしまったら後の祭り、送ったメールはもう取り消せません。損なわれた人間関係を修復するのは大変です。自分が興奮していると思ったら送信ボタンをクリックする前に、しばし、考えましょう。一晩寝てから返事を書く(あるいは書かない)、これがこの種の条件反射的激高メールを出さない最良の方法です。

5. フッター
長いフッターは嫌ですね。特にわけのわからんメッセージなど付いていたら最悪です。フッターは短く品よく付けたいものです。

■よく考えないとわからない失礼

1. mailing list
Reply-To:は設定しないこと。その他いろいろありますが、詳しいことは専門家にまかせます。

2. 添付書類のencodingなど
WindowsではBase64、MacintoshではApple Double、UNIXではUuencodeでしょうか。
テキストは多少長くとも、添付ファイルとしてではなく、本文で送るのが間違いのない方法です。
添付ファイルはウイルスの温床です。いくら魅力的な名前が付いていても、わからないファイルは開けないこと。特にWindows用の.exeの付いた実行ファイルを開けるのは、知らなかったでは済まされないほど危険なことです。

■e-mailの未来

e-mailは便利でも、手書きの手紙のよさはまた格別です。皆さん、たまには手紙を書きましょう。


(雨宮修二)
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2002年08月01日

017:医療:その1

一般的にはトピックスとは言えませんが、私にとりましては最大のトピックスとなるものですので、以下に触れておきます。

平成14年7月4日、私は樫本病院(072-366-1818)に腸閉塞の診断で入院し、その原因であるS字状結腸の癌を7月12日に手術にて剔除していただきました。一時的には人工肛門も必要かもしれないと思われましたが、それを作る必要もなく、手術は成功のうちに終了しました。入院がもう少し遅れたら確実に死に至る病でしたので、まさに九死に一生を得たわけであり、その幸運を深く感謝している次第です。

そしてはからずもこの時、現代医学の外科領域の医療水準の高さを身をもって体験することとなり、その高さについて賛嘆せざるを得ませんでした。

術前、もし癌がほかにも転移していたら、それについては私が漢方治療でやりますので、私のために遺しておいてほしいと主治医の先生にお願いしておきました。先生には腸閉塞の原因になっている癌の部分の剔除に全力を集中していただきたかったし、日頃から、もし自分の身に癌が生じたら、外科的に処置すべきは外科的に処置していただき、癌の再発予防や転移巣の進展阻止など一般に抗ガン剤治療をするような所は漢方治療でやっていきたいと思っていましたので、上述のようなお願いをしたわけです。術中の所見では、リンパ節の腫大もなく、一見したところ転移巣もなかったようでしたが、癌は何日、何処に出てくるかわかりませんので、これからはこの癌術後の状態に対して、私独自の漢方治療を始めていこうと楽しみにしています。

この結果がどうなるかまだわかりませんが、もし良い結果が得られたならば、癌術後の同様な患者さんにとって一つの朗報となるかもしれません。大いに頑張ってみるのみです。なお、私は8月3日に無事退院いたしました。


(遠田裕政)
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2002年07月01日

016:e-mail作法(1)

このHPを開設して1年5ヶ月が過ぎ、先日Top pageのヒット数がついに1万に達しました。このページを訪れてくださった皆様方、本当にありがとうございます。HPを見られて来院される方も随分増えました。e-mailでのお問い合わせもかなりの数になります。今回は、e-mailのやりとりで普段感じている事柄について述べてみます。題してe-mail作法。

普段の付き合いでは失礼のない方なのに、e-mailではなぜか不愉快にさせられる方がいます。それは恐らく、e-mailやインターネットに関する簡単な知識が欠けているためだと思われます。この種の本も出まわっていますが、ここではよくわかっている方には当たり前なことだけど、そうでない方には意外にも新鮮な、e-mailにまつわるあれこれを、私なりの視点で述べてみます。

■知らずに犯してしまう失礼

1. Microsoft Outlook Expressの困った仕様(HTMLメール)
Microsoft Outlook Expressというメールソフトがあります。Windowsに否応なく付いてくるメーラーなので、世界で最も使われているメーラーでしょう。しかし、このソフトの少し古いヴァージョンは、e-mailをHPを記述する言語HTMLで送るという、大変困った仕様になっています。何故困った仕様かといいますと、そもそもインターネットの取り決めではメールはplain textで送ることになっています。一部のメーラーはHTMLに対応していないためHTMLでメールを送信されても、白紙が表示されて読めません。HTMLにしなければならないデータならともかく、普通のテキストをなぜ通信量を増やしてまでHTMLで送らねばならないか、まったく馬鹿げたことです。困ったことに、このメーラーを使っている本人は指摘されるまで、自分がそんな馬鹿なことをしているのに気が付かないのです。古いヴァージョンのMicrosoft Outlook Expressをお使いのあなた、一度設定を見直して、HTMLで送ることになっていないか御確認ください。さらに良い方法は、Microsoft Outlook Expressは捨てることです。何故ならこのメールソフトはコンピューターウイルスの温床なのです。ウイルス作者はMicrosoft Outlook Expressのアドレス帳をターゲットにウイルスを作っています。Microsoft Outlook Expressを使わなくなったとたん、ウイルス感染の危険は90%なくなるでしょう。世の中にはEdMaxBecky!Al-Mailなど優れたメールソフトはたくさんあります。知識と心配りのある方はMicrosoft Outlook Expressなど使わず、こうしたメーラーを使っています。

2. 機種依存文字
機種依存文字とはWindowsやMacintosh、UNIXなどプラットフォーム間で文字コードが異なる文字のことです。こうした文字をメールに使うと、他の機種で見ると文字化けしてしまいます。一番よく見かける機種依存文字はローマ数字です。すなわちI, II, III, IV, V, VI, VII, VIII, IX, Xなどです。ローマ数字を使いたい場合は英数大文字のI, V Xを組み合わせて代用します。次によく使ってしまうのは丸付き数字です。それから電話番号マーク、株式会社マークでしょうか。これらはメール・フッターについ使ってしまいますね。気を付けたいものです。機種依存文字はHPにも使えません。

3. 大きな添付ファイル
最近の高性能デジカメで撮った写真は、1枚でメガバイトの単位になるほど巨大です。こんな巨大なファイルを何枚も添付されたら、いくらブロードバンドの時代でもメールをダウンロードするだけで数分かかってしまいます。さらに、サーバーの設定では拒否される場合もありますし、相手のメールボックスがパンクしてしまう場合もあります。デジカメ写真を貼付して送る前にファイルサイズを確認しましょう。大きな場合は写真を再加工して小さくするか、圧縮ソフトにかけるなどファイルサイズを小さくする工夫をしてから送りましょう。メール以外の方法で渡せないかも考えましょう。
 もうだいぶ長文になってしまいました。続きはまた次回。


(雨宮修二)
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2002年06月01日

015:漢方復興の大恩人(5)

前回に紹介した奥田謙蔵先生の一番弟子として、和田正系(まさつぐ)先生がおられます。先生はまた、漢方復興の大恩人である和田啓十郎先生のご長男でもあった方です。

和田啓十郎先生は45才でその尊い生涯を閉じられましたが、その当時まだ17才であった和田正系先生を毎朝枕頭に呼ばれて、没後の心得注意を与え、また、自ら経験された一生の漢方治療の核心を口述筆記せしめ、平生の信念に基き自ら自己の病を治療し、死に至るまで変らなかったそうです。誠に見事な最後のお姿が目に見えるようです。

和田正系先生は千葉大学医学部を卒業されて、奥田謙蔵先生に師事されましたが、奥田先生は和田先生を弟子というより、真に信頼し得る弟として対応されていたように感じられます。

和田正系先生は奥田謙蔵先生の『皇漢医学要方解説』を主軸にして、更に自己の経験と多くの先輩の経験を参照して、先生独自の新しい工夫を加えて、『漢方治療提要』という、正統的な格調の高い漢方の近代的な教科書を作られました。この本があったればこそ、筆者(遠田)は「漢方近代化」の道を開拓していくことが出来ましたので、「近代漢方」にとっては、この本は根本的に重要な本ということになります。

和田正系先生は千葉大学生理学教室で講師を務められましたが、千葉大学での漢方の発展のみならず、日本全体の漢方の発展にも尽力されました。特別なお弟子さんは持たず、晩年は縁ある方々のみを診療されて、昭和54年7月15日、館山市の某病院において永眠されました。享年は79才でした。御葬儀も生前のご主張通り、一切の香典も供え物も断られ、極めて質素に執り行われました。なんとさわやかな、清らかなことでしょう。

和田正系先生は、まさしくお名前通り、漢方復興の大恩人、和田啓十郎先生の御遺志を正しく受けつぐ生涯をおくられた方でした。

その他の様々な事柄について、より深く知りたい方々は、どうぞ拙著『近代漢方:総論』(医道の日本社、1998年)をご参照下さい。


(遠田裕政) 
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2002年05月01日

014:近代漢方

2002年に入り、大きな変化─父、遠田裕政が3月で近畿大学東洋医学研究所の教授職を停年退職し、自分も同研究所を依願退職した─を経て、ここ慈温堂も名称を慈温堂 遠田医院(大阪近代漢方研究所)と改め、午前診も開設し、診療がはじまっている。この2〜3ヶ月は、生活状況も大きく変わったため、とても忙しい毎日であった。ホームページにも写真を掲載され、4月から正式に慈温堂のメンバーの仲間入りをしたので、近代漢方についての簡単な解説を交えて、今の思いを述べてみたい。

さて、近代漢方とは何か?

このホームページでも説明されているし、父の著した書籍(近代漢方・総論および各論 医道の日本社)にも詳しく記載されているので、あえて言うまでもないが、簡単に言えば、近代的なものの見方、考え方をもとに漢方薬方の成り立ち、使い方を体系化した漢方である。

そもそも漢方とは、何なのか?

それは、中国で生まれ、日本に伝えられて、独自に発達してきた湯液療法を主体とした治療法である。はじめは、生薬─主に草根木皮からなる─の単品を用いた民間薬的な使い方であったものが、数千年の歳月をかけ、まさに人体実験による試行錯誤の末に、複数の生薬が組み合わされるまでに洗練され、伝承されてきた貴重な人類の遺産である。しかし、伝承されていく過程で、中国においては陰陽五行説という観念論によって薬の働きや使用法が考えられるようになり、また日本では気・血・水説という独自の観念論によって説明されるようになってしまった。このような考え方の漢方は、現在でも東洋医学会や巷の解説本などでまかり通っているのが現状である。しかし、これらは、近代的な考え方の裏打ちのないものであり、今のままでは、漢方は西洋医学に飲み込まれていってしまう危機的な状況にある。“西洋医学によって漢方が取り込まれるならばいいではないか”と思われるかも知れないが、実は西洋医学の考え方と漢方の考え方はその根本からして大きく異なるものである。西洋医学は、細胞を単位とした考え方(細胞病理学)が主体であるが、漢方は個体そのものを単位とした考え方(いわば個体病理学)をする。西洋医学的な考え方で漢方を使うならば、ある症状だけに対処するような使い方(=局所治療)に陥り易く、漢方薬の本来の働き─身体全体に働きかけ、その体質から改善していくことによって局所の異常を治してゆく(=全体治療)─を十分に生かしきれない、すなわち、人類の貴重な遺産が知らず知らずのうちにその中身が風化してしまう可能性がある。

では、従来の漢方と近代漢方では、どのように違うのか?

これも上記の書籍に詳しく解説されているが、従来の漢方では、生薬構成という考え方を意識していない使い方が一般的と思われる。すなわち、ある病気に対処する場合、“〜湯”と名付けられた無数にある薬の中から、行き当たりばったり使ってみて、たまたま合えば、それでよし。合わなければ他を試す、というような使い方が大部分と思われる。漢方をろくに知らない人であれば、症状ごとに違う漢方薬を出す、つまり西洋薬の代わりに漢方薬を用いる(=西洋医学的使い方)ということになりかねない。

一方、近代漢方では、漢方で大事な全体像をまずとらえるという土台があり、その上で、生薬構成という考え方を大事にする。それぞれの生薬の働きについて、上記の観念論的考え方を退け、近代的な考え方によって、生薬を分類したため、“湯”の基本構造が明らかとなった。そのため、この考え方による使用法では、より少ない生薬構成で、よりよい効力を発揮する“湯”を自由に使いこなせる漢方として体系づけられている(詳しくは上記の書籍参照)。もちろん、合方という用い方で、複数の漢方薬を出すこともあるが、これは、その湯を構成する生薬およびその期待される働きを把握した上で、使用しているのであり、症状毎に処方しているのとは意味合いが違う。

いくつかの疾患に対して有効な生薬構成の“湯”は近代漢方の考え方で、すでに実証されてきてはいる(「近代漢方・治療編」医道の日本社 参照)が、まだまだ、世の中には様々な疾病があり、今後の臨床実践による近代漢方の広がりの可能性も無限に残されている。

なんの縁かは知らないが、自分は生まれたころから、漢方に慣れ親しんできたものであり、現在、医学の世界に身を置き、漢方を志すものである。漢方の現状を知ってしまった以上、とにかく当院において地道に臨床実践に励み、近代漢方の可能性をさらに広げていくことが、自分の今進むべき道と考えている。


(遠田弘一)
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2002年03月01日

013:デジタル疲れ

膨大な量のカルテと患者の患部のスライドを整理しつつ、これが初めからデジタル化してあればいかに便利だろうと思わずにはいられませんでした。検索も簡単だし、何よりデータの保存場所に悩む必要もなくなります。

しかし一方、デジタル・データにもまた問題は山積しています。まず、デジタル・データはそれを取り扱うソフトウェアのインターフェースによっては非常に使い勝ってが悪くなります。電子カルテのデモなど見ても、まだどうも使う気になれません。また、デジタル・データを保存する現在のフォーマットは果たして、10年後、20年後にも使われているでしょうか。コンピューター・ソフトウェア・ベンダーは新製品を買わせるために定期的にフォーマットを変更している節さえあります。さらに、根本的にデジタル・データはそのままでは人間の脳の情報処理と相容れないところがありますまいか。Pixarがいくら実物に近いCGを作り出しても、どうもしっくり来ないのです。私などはNHK教育の朝の子供番組で放送している、実物の野菜や果実を使って風景や動物を作り出す5分間ドラマ「果実の森の物語」の大ファンです。何ともいえない暖かみとユーモアが感じられるのです。

先日ある先進病院に通院されている患者さんが不満そうに「あの病院では、最後に『お大事に』の一言もないんですよ、だって最後の支払いも機械でするんですから‥‥」というのを聞いて、唖然としました。この病院の設計者は根本で間違っている。機械化すべき部分と人間の手を残す部分をどう配分したら良いか何も考えてないのではないかと。人間はやはり最終的には人間にケアをしてもらわないと安らげない存在なのではないでしょうか。この点を押さえてなければ、どんな最新医療設備も虚しい機械の山になり果てます。

最近、いわば「デジタル疲れ」とでもいう症状に陥っている人がちらほら出ていませんかね。古い機械式銀塩カメラを手にとったり、腕時計も古い手巻きがいいと思ったり。デジタルの便利さは十分わかっているつもりですが、アナクロニズムに陥ることなきアナログの復権を願います。それにしても心配なのは、将来の伝記作家です。くだんの人物がやりとりしたe-mailを50年後にどうしたら発掘できるのでしょう?

(雨宮修二)
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2002年02月01日

012:変化

「万物は流転する」とはヘラクレイトスの言葉である。鴨長明も「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」といっている。

この宇宙のすべてのものは常に一瞬も休むことなく変化し続けている。何一つ変わらぬものはない。変化こそが普遍の真理。宇宙自体が変化しているのだから・・・。

自分の身近で起こっていることから、世界で日々起こっていることまで・・・。

快いと感じる変化から、不安や苦しみを思わせる不快な変化まで・・・。

川は常に流れているから清く、流れが停滞すると淀んでしまう。生命の流れも同じ。新陳代謝が常に行われているから、細胞は常に新しい生命力を得て、活気にあふれる。人生のながれもまた似ている。変化があるから、人は様々なことを経験し、成長する。

平成14年になり、大きな変化が再び自分の人生に訪れようとしている。再びというのは今までの自分の人生を振り返ってみていくつかの変化を経験してきているからだ。ただ、今にしてよくよく思うとその時にはめんどうくさかったり、不快に感じたりしていたこともあるが、結果的にその変化の度にそれより良い状況になっている気がする。だから、これから来る変化も不安よりもむしろ“わくわくする感じ”の方が大きい。変化をこのように感じているのは私だけだろうか。最も今にして思うと、古いこと―あるいは慣れ親しんだ物事というべきか―それにしがみつこうとする思いが強いと変化を不快に感じる度合いも大きかった気がする。しかし、結局“後で良くなっていたことがわかる”という事実を見ると、人生とはやはり、近視眼的に見ているだけでは何もわからないし、執着心が少ない程、苦しく感じる度合いも少ないのかもしれない。当たり前のようだが、この大きな変化を目の前にして、今新たにこのように感じている次第である。

何か大きな変化が訪れたとき、あるいは、不安や心配を感じる状況にあるとき、よくよく思いを沈めて観てみることだ。これは身動きがとれないと感じる状況でも同じだ。その時、何かにしがみつこうとしていないかどうか。宇宙の凡てが変化しているのに、こうあるべきだとか、こうありたいとか、自分勝手な考えや欲望に執着して動くのをためらっていないかどうか。多くの人は安定を求めるが、この自然の摂理に照らすと、実は安定とは幻想に過ぎない。大きな変化としてはっきりしてくるのに時間の長短はあるかもしれないが、物事は常に少しずつ変化している。もちろん、劇的に変わることもある。だから、安定を考えるよりむしろ、必ず変化するものであることをつねに心にとめておくほうがよい。常にこの姿勢で、目前の事柄に対処していくことが大切なのではないだろうか。その時初めて、一瞬一瞬の事柄がいかに貴重であるかということに気づき、もう二度とやってこないこの一瞬を最大限どうやって生かすべきかに全力を注げるようになるのではないだろうか。

「この一瞬にトータルな意識で臨むことそのものが“禅”であり、“瞑想”だ」といっていた人がいた。これは常日頃、自分に言い聞かせていることでもある。

あぁ、また自分勝手なたわごとになってしまった・・・。

(遠田弘一)
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2002年01月01日

011:癌と漢方薬

e-mailによる漢方相談コーナーには多くの相談が寄せられていますが、なかでもひときわ多いのが癌の方やその家族の方からの相談です。特に症例コーナーに癌性腹膜炎の腹水の症例を提示しているせいか、癌による腹水についての相談が目立ちます。こうした相談に対して五苓散を多めに服用することをe-mailで勧めたところ、腹水が軽減したとの報告も数人の方から受け取っています。

西洋医学の常識では癌による腹水は最も治しにくい病態とされていて、漢方薬などで軽減するはずもありません。私自身も入院患者で腹水が軽快したのを経験したときには大変驚きました。主治医が驚く位ですから、他の医療従事者が驚いても無理はありません。

しかし、よく考えてみれば癌といえども生物の法則に従って活動している細胞群ですから、漢方薬によってその活動が修飾されてもまったく不思議ではありません。幸運な場合には治癒することさえあると思います。

一方、癌に効くと称する健康食品や民間薬も世にはあふれています。これらの中には本物もあるでしょうが、多くはインチキだと思います。特に法外に高価なものほどその可能性が高いと思います。何故なら、もうけのためには原価がいくらであろうと、法外な値段をつけて、利幅を大きくした方が良いからです。また購買者にも高いものは良いものだろうという思いこみがある上、命が助かるといわれれば大きな出費にも目をつぶるでしょう。

漢方薬は保険では薬価がかなり安く決められていますので、よほど変な薬局で購入しないかぎり、法外な値段をふっかけられることはありません。副作用もほとんどなく、癌が治らないまでもQOLの改善は確実に保証できます。癌になってしまい、西洋医学から見放されてしまった時には、漢方薬は非常に良い選択肢だと思います。

(雨宮修二) 
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2001年12月01日

010:漢方復興の大恩人(4)

前回に紹介した湯本求真先生と並んで、漢方古方の復興に尽力し、後世に大きな影響を与えた人に奥田謙蔵先生がおられます。湯本先生とは非常に仲がよろしく、親友として、また、同じく古道を歩む同志として交際され、お互いにそれぞれの持ち味を認め合い、尊敬し合っていたようです。お二人とも漢方の復興に対しては、深い「祈り」を持って生きられ、漢方の為に「生命を捧げられ」た先生でした。その先生の書かれました第1の書が、『皇漢医学要方開設』(春陽堂、昭和9年)という本です。

奥田謙蔵先生という人は納得のいくまで学問し、研究し、最も公正な見解を、そっと静かに出しておかれる、博学にして謙虚な、底の深い人なのです。そういう人が日本の漢方古方の伝統に沿って、「観念論」を離れ、「独断」を排し、長年の臨床実践の成果に基づいて、古方の薬方を解説された本です。古方の解説書としては、まさに、絶品中の絶品とされたのも当然の事です。これに触れることの出来た多くの人が、これを教科書として、臨床実践の基本に据えていき、それぞれ大いなる成果をあげていったのは勿論の事です。

「産経時事」という新聞の「歩みよる東西医学」という学藝欄の昭和31年5月15日の部分に72才の奥田謙蔵先生についての紹介記事がありましたが、「草根木皮が病気をなおすと思ったら大間違い。体自身がなおろうとするのを助けるだけですよ。」という先生のお言葉と思われる部分がありますが、これは先生の漢方に対する根本的な見方であるのですが、筆者の漢方に対する根本的な見方でもあるのです。

先生は一切の雑事を避けて、一生を『傷寒論』研究一筋に打ち込まれた、志操堅固にして、高潔清廉な方でした。昭和36年3月9日未明、先生は77才の生涯を閉じられましたが、その間際まで、身には心疾患という重篤な病を持っておりながら、後進の育成指導と漢方の復興に尽力され、誠に大往生であったと存じます。

その他の様々な事柄について、より深く知りたい方々は、どうぞ拙著『近代漢方:総論』(医道の日本社、1998年)をお読み下さい。


(遠田裕政)
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2001年11月01日

009:親バカのつぶやき

人の興味をそそるほどのトピックはなにもないので、今回も私事をつらつら述べてみたいと思う。

今、現在自分の生活状況は10ヶ月の愛児を中心にして動いている。

夕方の風呂入れ係は毎日の日課で、時々おむつ替えや離乳食を食べさせたり、ボールや独楽やぬいぐるみなどでご機嫌を取る等々・・・。こんな他愛もない触れ合いが、今は一番の楽しみでもある。月に2〜3回ある当直の時には、携帯している写真を見たりして気持を紛らわしている。はじめての子供でもあるので、特にそう感じるのかもしれないが、本当に我が子とはかわいいものである。ぐずられたり、夜泣きをされたりするとちょっとまいることもあるが、かわいさに比べたら何でもないことだ。ところが、最近はよく幼児虐待の話を新聞やテレビで目にすることが多い。どうしてこんなかわいい子にそんな仕打ちができるのか、全く理解出来ない内容が多い。新聞やテレビで報道されることは、実際に起こっていることのほんの一部に過ぎないということも耳にすると、いったい世の中はどうなっているのかと思わざるを得ない。

ところで先日、買い物から帰った際、家の玄関先で、自転車の幼児用の椅子に子供をすわらせた状態で倒れてしまい頭をぶつけたかもしれないと、妻から電話があった。丁度、大学からの帰宅途中であったので、急いで帰ると、大声で泣いている。まぁ、泣いているし、ほっぺたを擦りむいている程度で、目立った外傷はないので、まず一安心した。打っていると思われる左頭部に傷はなく、そのうち泣きつかれたのか、うとうとし始めるので、内出血していてはいけないと思い、一応脳外科を受診した。頭部レントゲンおよび頭部CT上は異常なし。“あとから症状が、出てくることもあるので、しばらく安静にして様子をみるように”という注意のみで、帰宅出来た。帰宅してからは、安静どころか、いつものように高這いで元気に動き回るし、お気に入りのビデオをつかまり立ちで見て、腰を振って踊るので、これまた、一安心という次第であった。現在まで、特に異常なく経過している。その後、友達や知人からの話によると、結構みんな似たような経験をしているという。多くの場合、傷の大小に差はあるにしてもだいたい問題なく経過しているようである。しかし、中には同じように自転車で転倒し、1〜2日後に脳内出血(硬膜外・下血腫?)で不幸な転帰をとったということもあることを耳にした時はさすがにぞっとした。不思議なもので、昔は自分に子供がいて、親になることなどは想像もできなかったが、今となっては子供のいない人生など想像もできない。だから、その親御さんの気持ちを思うと何ともいいようがない。

自分の子も今後ますます動きが多くなってくるので、心配が絶えない。なお、現在我が子は、ふらふらしながらも自主的に3〜4歩の歩行練習に乗り出している。月齢にしては早い方なので、足腰は丈夫なのだろうといううれしさもある反面、危険度さらにupで内心くわばら、くわばら・・・。

一人で生きている時は、世の中で起こる様々な事件も“ああ、いやだなぁ”というぐらいであったが、今では“もし同じようなことが自分の子に起こったら・・・”と思うと、とても人ごとではない。幼児虐待から現在進行形のアフガニスタンでの戦争まで、弱者とくに幼児が被害にあうような事件にはとても敏感になっている今日この頃である。祈らずにはいられない。


(遠田弘一)
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2001年10月01日

008:漢方薬と健康食品

アガリスクは漢方薬でしょうか?
答え:違います。
プロポリスは漢方薬でしょうか?
答え:違います。
鮫軟骨は漢方薬でしょうか?
答え:違います。

以上はいずれも健康食品です。漢方薬とは法律的には薬局方に記載された生薬のことですが、簡単にわかる方法があります。

条件1.複数の生薬の組み合わせであること。
条件2.古典に記載されていること。

この2つを満たさないものは、漢方薬ではありません。そうです、あなたが漢方薬と思っているものの大多数が健康食品なのです。条件2は簡単にはわかりませんが、条件1は簡単にわかることです。漢方薬で単一の生薬で出来ているのは甘草湯くらいのものです。漢方薬は長い年月かけた経験の結果、基本的に複数の生薬の組み合わせでできており、どのような状態の時に使えるか古典に詳しく記載されています。一方、大多数の健康食品は単一のものでできており、大抵何にでも効くようなことを謳っています。

漢方薬は薬事法により規制されますが、健康食品はずっと緩い規制しかありません。だって食品なのですから。しかし、あたかも薬品であるかのように、効能を宣伝されているのが健康食品なのです。正直なところ、効能の疑わしいものが殆どです。特に難治性の病気-癌などが治ると称して宣伝しているものにその傾向が強いようです。癌がそんなに簡単に治ったら誰も苦労しません。しかし、治ると言われれば癌患者も家族もそれにすがりたくなります。そこに、売る方にとってはおいしいビジネスが成立してしまうのです。

赤ワインが虚血性心疾患に効くと言われれば、好きでもない赤ワインを飲む、ココアが良いとTVでいえば即スーパーでココア売り切れ。嗚呼、健康も生命も大事だけれど、もう少し常識を働かせてといいたくなります。怪しげな健康食品ビジネス花盛り、どうぞ気を付けてください。

その他の様々な事柄について、より深く知りたい方々は、どうぞ拙著『近代漢方総論』(医道の日本社)をお読み下さい。

(雨宮修二) 
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2001年09月01日

007:漢方復興の大恩人 (湯本求真先生)

前回に紹介した和田啓十郎先生の書かれた『医界の鉄椎』という本を読んで「古医道」に興味を持ち、質問をしてきた人達は数十名いたそうですが、本当に真面目に勉強し、その道を得ようとした人はたった一人しかいなかったようです。その唯一の人が湯本四郎右衛門氏(後の湯本求真先生)でした。
先生は金沢医学専門学校(現在の金沢大学医学部)を首席で卒業された駿才でしたが、長女を疫痢で失い、修得した医学(西洋医学)の頼み少ないことを痛感し、精神が殆ど錯乱しそうになっていた頃、『医界の鉄椎』に触れ、「感奮興起」して、その後の一生涯を漢方医学の復興に打ち込まれた方でした。

早速、手紙で何度も様々な質問を和田先生にしています。これに対して和田先生は懇切丁寧に手紙を書き、必要に応じて本を貸したりして、指導していかれました。お互いに顔を見ないままでの出来事であり、そして遂に一生、この世で会うことはなかったのです。誠に稀有なる感動的な「道」の上の師弟関係でした。

湯本先生は指導を受けて約3年後には、幾つもの立派な治験例を和田先生に報告するようになり、これらは『医界の鉄椎』の増補改訂版(大正版)に掲載されています。その後、約15年間、あらゆる艱難辛苦を乗り越え、文字通り生命を賭けた実践研究の末に創造されたもの、それが『皇漢医学』であったわけです。 従って、この本が昭和漢方界の代表的な名著と言われるようになったのも当然のことでした。また、多くの真摯な人達がこの本に触れて、漢方医学を研究するようになり、更に、そういう人達の影響で、一度は絶滅に瀕した日本の漢方が再び今日の如く、開花していくことになりました。この本は中国での「漢方医絶滅運動」に対しても有力な防禦の砦になったようです。

その他の様々な事柄について、より深く知りたい方々は、どうぞ拙著『近代漢方総論』(医道の日本社)をお読み下さい。

(遠田裕政) 
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