2013年11月22日

075:天命を信じて人事を尽くす

 トピックの言葉は普通は「人事を尽くして天命を待つ」ということで広く知られています。しかし、私の敬愛するある先生が「人は本来大いなるものにより守られ、生かされている。また、どんな人にもその人それぞれに与えられた天命がある。そのことを信じて、人事を尽くしなさい」といういようなことを言っておられました。だから今回のタイトルのように書かせていただきました。
 さて、何故今回この言葉をトピックにしたかというと、今現在読んでいる本で、少し心に訴えかけてきた内容がありました。その本は海音寺潮五郎さんの書いた西郷隆盛 全3巻(「天命の巻」、「雲竜の巻」、「王道の巻」)です。以前より中古本で手に入れていたのですが、なにしろ少し大きめで分厚いので、簡単に持ち運びができず、なかなか読めなかったのです。最近これが電子書籍となっていることを知り、さっそくipod touchに入れて、暇を見つけては読み進めてきましたが、最後の王道の巻の西南戦争について書いてある部分で、思わず考えさせられ、読書が止まってしまったところがあります。

 西郷隆盛という人は倒幕から明治維新という偉業を成し遂げた中心人物で、そこに到るまでは非常に細やかな神経を配り緻密に事を進めていたのに西南戦争の辿った経緯が西郷隆盛にしてはあまりにもお粗末なやり方だったということが言われていて、様々な解釈があるようです。これに関しては、「まだ時期ではなかったのに自分の作った私学校の一部の生徒達の起こした暴発によって、その勢いを止めることができなくなり、情の深い西郷さんとしては若者達を見捨てることができずに、戦争の進め方も含めてその身を全く若者達に預けてしまった」という解釈があります。確か司馬遼太郎さんもそのような解釈をしていたと記憶しています。
 しかし、海音寺潮五郎さんは少し違う解釈のようです。上記の説も同時代の人で西郷さんをよく知り同情を寄せていた人の残した歌があり、これによって民衆の心理に誤って形成された西郷観の影響もあるだろうとのことを言っています。その歌とは以下のものです。

「唯身ひとつを打ち捨てて、若殿原に報いなん」(勝海舟 作)
「ぬれぎぬを乾そうともせず子どもらの心のままにまかせたる君」(副島種臣 作)

 海舟も副島も西郷の清潔にして純粋な志をよく知り、最も親しい友だったので、本人の意志ではなく、子弟らがことを起こしたのであり、子弟らを愛するあまりに一身をまかせたのであるとその行動を庇うためにこれらの歌を歌った。そのために上記のような西郷観や解釈が生まれた可能性があると説明しています。

 もちろん、始まりは一部の子弟の暴発によることは間違いないので、時期尚早であったことはあるのでしょうが、海音寺潮五郎さんは「西郷さんは天命の我にあることを信じ切っていたためにむしろ油断し、戦わずに東京まで行けると思っていて、本来その戦争に勝つための努力を怠ったのではないか」という解釈をしています。

 海音寺潮五郎さんは西郷隆盛と同郷の人で、西郷さんに対する思い入れがあるようで、様々な箇所で他の人がしている西郷さんに対する批判的な解釈をたくさんの資料から、それらを否定し、かなり心を寄せた解釈をしていることが読んでいてわかりますし、私も西郷さんを敬慕している方なので、どちらかというと前者の解釈に心を寄せていましたので、この箇所を読んだときは少し「んっ…」と思いました。

 最も解釈はどちらでもいいのです。結局の所、歴史や過去の人物の解釈は人それぞれの人生観や考え方によって違ってきますので、真実のところは誰にもわかりません。
それよりも私の心を打ち据えたのは次の内容でした。以下少し長くなりますが、抜粋します。

・・・
 イエスは神をこころみるなと言っていますが、西郷ほどの人も、ここでは天の信仰からはずれて、いつか天命をこころみる心になっていたと思わざるを得ません。天を信じ、天命にまかせるとは、努力をやめることではありません。あらんかぎりの努力をつづけ、あらんかぎりの用心をつづけ、結果を天命にまかせることです。・・・
努力を怠る天命の信仰は神を試みることで、迷蒙−つまり迷信と言ってもよいものです。
・・・

 この部分はむしろ私自身に向けられて指摘されているようでもありました。思わず読書が止まってしまった次第です。そして、心によぎったのが、トピックのタイトルの言葉であり、「私自身が出来ているのか?」という問いです。

 この問いに胸を張って答える心境には正直なところなっていません。しかし、この部分は今現在、毎日毎瞬のように心を占めている問いでもあります。
「人事を尽くす」のは何に向かってなのか?何のためなのか?
「努力」という言葉もよく使われますが、私としてはこの言葉は何やら「無理強い」している感覚があります。人が本当に心からしたいことに向かっている時、それは「努力」なのでしょうか?他の人からどう見えるかは別ですが、その人にとっては「努力」ではなく「夢中」なのではないでしょうか?もっともすぐに実現できない物事に対している場合はそこに向かうまでの努力という感覚も伴うのでしょうが・・・。

 この時、私としては今のその方向に夢中に向かってていいのだろうか?というふとした問いが起こります。つまり、その方向が善なる方向(〜すべき)であるならば、もちろんいいのでしょう。しかし、悪なる方向(〜べきでない)ならどうなのか?
善悪ということが明確になっている人にとっては、それほど問題になることはないでしょう。おそらく、その人にとってその善なる方向に向かって進んでいけばよい。精一杯の努力をしながら・・・。もし、善なる方向へ夢中に進んでいける人は、「幸いなるかなその者は天国の住人」でしょう。
 しかし、私は違うのです。その善(〜すべきである)悪(〜すべきでない)ということが自分の中では非常に曖昧になっています。全くその感覚がなくなっているわけではありませんし、当然好き嫌いもありますので、それらの曖昧なままの感覚に従って自分が取りあえず望ましいと思う方向へ歩みを進めているわけです。

 これから言うことは、別に悟った境地から言うわけではけっしてありません。今まで自分が触れてきた様々な思想や教えに影響され、私の内に形成されつつある考え方から言っているのですが、この存在の有り様というのはちょうど海と波に例えられる気がしています。次のような例えです。
 この世界、この存在様式はそもそも大いなる一つの存在(意識)によって成り立っている。というより、存在のみが唯一のものである。ちょうどこれを海に例えると、存在しているのは海そのものであり、大小様々な波がそれ自身個別に存在しているわけではない。私とかあなたとかいうように一見他者のように見える存在は波のようなものである。大波もあれば、小波もあり、渦になっているところもあれば、さざ波程度の静かな水面もある。この海の表面では様々な現象が立ち現れているが、その有り様は全くもって海に依存している。海そのものでもある。
 つまり私が善なる方向へ向かって動いているために大波となって現れているわけでは全くなく、私が悪なる方向へ向かって動いたために小波や渦になったわけでは決してないというものです。
 善悪というものは人間の小賢しい分別から生じているもので存在の中にあるわけではないのではないか?進むべき道も何もかも、大いなる存在にまったく任せる以外に何があろう?という思いにに到るというか、今現在の私は上記のような考え方に非常に共鳴しているのです。ただし、それを真実と悟ったわけではないこともわかっています。だから、大いなるものに任せている(天命に任せている)つもりになっているのかもしれません。もしかしたら、海音寺さんのいうように迷蒙なのかもしれません。
だから、あの文章に出会ったとき、我が心を射貫かれた気がして、読書が止まってしまった次第です。しかし、それでも今現在は心に自然に起こってくる方向に向かって歩みを進める以外に動きようがありません。

 禅では悟りとは心に生じる様々な問いが、その問いそのものが我とともに落ちてしまった境地を示すようです。というより我(小我)そのものが問い(迷い)のようです。
私はまだまだ「問い」だらけです。そして、問いがあるのは「苦」でもあります。

 何やらややこしい文章になってしまったかもしれません。実際このようなことは、わかる人にはわかるだろうし、わからない人にはわからないだろうと思いますし、人それぞれの考え方感じ方もあり、結論がでるわけではないので、この辺にしておきます。
幸いなるかな、問いのない人、その者は悟りの(あるいは無知の)住人なり。

(遠田弘一)
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2013年04月30日

074:再生の年にいい汗を

 日本に大きな傷跡を残し、まだその余韻が続く東日本大震災、あれから2年が経過しました。まだ現地の人たちにとっては、現在進行形であり、過去の出来事としては語れないと思いますが、多くの人が何とか未来に向けて動き出し、日本人の多くの意識も再生に向けて歩んでいる今日この頃かと思います。私も昨年10月に慈温堂を移転し、今年から新たな再出発として歩みを進めてきております。

 慈温堂は自宅の最寄りの駅から2駅ほどになったので、弛んだ身体に渇を入れるいい状況と思い、週2回の慈温堂へは雨の日以外は自宅から歩いて通うようにしています。片道約40分ですので、これからの季節はいい汗をかけそうです。また1日1回はできるだけストレッチングなどもして、身体の柔軟性にも気を配るようにしています。

 私の青春時代(この言葉自体も何やら古くさいひびきがしますが・・・)にリアルタイムでやっていた学園ドラマの主題歌に「涙は心の汗さ・・・」というフレーズがありました。
 身体の汗としては上記の運動習慣で良しとして、“心の汗”としてやっていることは、感動のドラマをみて目を潤ませるようにしています。今でもまだ韓流ドラマに捕まっています。

 種々の韓流の時代劇を見てきましたが、今までで一番気に入ったのは「トンイ」です。すべての作品を見たわけではないので、お気に入り順位は今後変わるかもしれませんが・・・。
 この主演女優さんはハン・ヒョジュさんで、この人はユン・ソクホ監督の四季シリーズ完結編『春のワルツ』で新人から主人公として抜擢された人です。このドラマの時から何となく、この女優さんが気に入っていたことも自分の中の当選順位に影響したかもしれません。そして「トンイ」は今もNHK総合テレビで再放映されています。
 以前、BSで放映されていたときに全てを見終わったのですが、最近また見たくなり、かといって、テレビ放送では週に1回が待ちきれず、DVDで見ています。大筋の流れは覚えていても細かい場面までは忘れているので、また結構楽しめています。

 「トンイ」は17世紀後期から18世紀前期までの李氏朝鮮時代に生きていた人で、実際の歴史はドラマ通りではないにしろ、低い身分から第21代の朝鮮王である英祖(ヨンジョ)の生母になるという経過を辿った人のようです。
 前半は最下層の身分と状況から、生まれ持った才覚と勇気によって危機を乗り越え、宮廷でしっかりした立場を築いていきます。つまりサクセスストーリーの要素と王様とのふれあい(恋愛の要素)も含まれています。
 後半は上記の英祖の子供時代と絡ませて、話が進んでいきます。やはり子供とのふれあいの場面が出てくると、親としては自分の子供にだぶって見えてくるので、目が“うるうる”となることが多いです。

 この歴史ドラマというのは日本にしろ、韓国にしろ、その他の国でも、注意しなければならないのは、実在する人物やその時代背景を再現しているかのようですが、実際の歴史ではないということです(実際の歴史は誰にもわかりません)。名前自体も実名を使っている場合もあれば、フィクションのこともあります。そして、例外もありますが、大抵の場合、主人公は善として描かれ、種々の考えや行動は多くの人が感情移入しやすいように善的な要素がふんだんに盛り込まれていて、仮に悪的な行動を取る場合でもそこに至るまでのやむを得ない状況を描き、主人公の行動に誰もが同情し、うなずくように描かれています。一方、これに敵対する方は、始終悪い考えと行動のみで染まっているように描かれていますし、キャスティングも一見して悪いヤツかやばそうなヤツが選ばれています。メイクや色使いもこの「悪」を示すのに上手に使われています。

 本来、人間は誰しもが善的な要素、悪的な要素が半々くらいにはあるはずです。ある状況で、ある立場からすれば、その行動が善のように見えるが、反対の立場や違った状況からすれば、悪にもなり得るものです。だから、登場人物が、白黒がはっきりしているというのもフィクションだなぁという考えがふと頭をよぎります。しかし、それは置いておいて、この「勧善懲悪」的な構成は日本人の好きな長寿番組「水戸黄門」にも通じるものです。始めは悪人が幅をきかせて大手を振っているのに、黄門様が出てきて、印籠を出せば、立ち所に悪人がバッタバッタと倒されて、目出度し目出度しというあれです。もっとも黄門様は1時間で完結しますが、この「トンイ」は敵対者によって仕組まれた事件で主人公が窮地に陥り(スリルとサスペンスの要素です)、それを主人公が知恵と勇気で謎を究明して解決し、敵に一泡吹かせるというもので、これが数話にまたがってようやく溜飲が下げられる仕組みになっています。一つの場面でも一気に全部を見せるのではなく、細切れにして、あとから回想シーンでフラッシュバックして見せて事件の解決につながるシーンが組み込まれていく作りです。

 現実にはあり得ないような状況設定や仕掛けも盛りだくさんで、冷めて突っ込もうと思えば、いくらでも突っ込む部分もあります。しかし、そんなことをするより、ドラマの流れにすっかり身をまかせ、心の底で感動し、笑い、悲しみ、ほほえみ、目を潤ませた方がよほど心のカタルシスに役立ちそうです。

 まぁ、いずれにしろ、皆さんもいい(心の)汗を流したい場合は様々な要素が盛り込まれたこの「トンイ」がお勧めです。続きがどうしても見たくなり、途中で止められない作りですので、睡眠不足には気をつけましょうね。

(遠田弘一)
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2013年03月06日

073:「カンフーパンダ」(2008年アメリカ映画)

 春3月。この月は私の生まれ月でもあり、「3」という数字は何かと縁がある気がしていて、好きな月です。学生にとっては、最後の学期になり、来月からは新学年あるいは、新入生、新社会人となる月です。季節的にも暖かく穏やかな気候になっていきますので、よけいにワクワクする期待感の膨らむ月ではないでしょうか。最も重度の花粉症を持つ人にとっては、悪戦苦闘の始まる月かもしれません。
花粉症といえば、まず抗原を防ぐことがなによりも重要でしょう。早めにマスクを着用するとか帰宅して家に入る前に衣服についていると思われる花粉を外で払ってから中に入る心がけも必要と思います。
飲み薬としては、よく抗アレルギー剤を使いますが、眠気を催す作用がありますので、車などを運転される場合は注意するか昼間は使用しない方がよいかも知れません。漢方的には鼻水がダラダラと酷く出る症状には「小青竜湯」という薬が効を奏する場合があります。これは風邪の時のひどい鼻水や咳、またはアレルギー性鼻炎でもよく使われる処方です。もしかかりつけの医院や病院で扱っているならば、一度試してみることをお勧めします。少し酸っぱい味で飲みにくいかもしれませんが、眠気を催さないというメリットがあります。

 さて、今回のトピックである「カンフーパンダ」というアニメを皆さんは見ましたか。子供達が最近見ていたので、ついつられて見てしまいましたが、なかなか面白かったです。単なる子供用のアニメというより、いろいろな教訓が示唆されていて、大人でも考えさせられる内容です。ちょっと長くなりますが、内容を紹介しながら、感じたことを書いて見たいと思います。

 登場人物というより、すべて動物なので、登場動物ですが、主人公はタイトルの通り、パンダ(名前はポー)です。「太っちょのプヨプヨのパンダがカンフーをマスターして悪い敵(タイランという名のユキヒョウ)を倒す」といってしまえばかなり単純なストーリーと思われそうです・・・。しかし、この悪い敵も始めから悪いわけではありません。親に捨てられていたのをカンフーの達人のシーフー老師(レッサーパンダ)に拾われ、カンフーを仕込まれます。夢を吹き込まれ、厳しい修業に励み、自他ともに認める程の実力を身につけますが、最高の栄誉である「龍の戦士」には任命されず、絶望の果てに転落の人生を辿ってしまい、牢屋に閉じ込められてしまいます。
 ここで感じることは子供の教育として自分の好みや自分が最高とする理想を押しつけることは(しばしばやってしまうのですが)下手をするとその子の人生を狂わせかねないということです。親がしてやれることはその子自身の可能性を信頼し、何者になり、何をするかはその子自身が選べるようにただただ成長を促すことに心を砕くことでしょう。
 さて、話を戻します。このポーですが、ラーメン屋をしている(何故か)ガチョウの息子で、ガチョウの親はもちろん最高のラーメン屋になってもらいたいと願っていますが、ポー本人はカンフーの達人になることを夢見ています。ある時、千年間待っていたイベントである「龍の戦士」を決めるという催しを村のみんなで見に行きます。カンフーの始祖であるウーグウェイ導師(ゾウガメ)がまさに「龍の戦士」を指名しようと指を差し向けたところにポーが間違えて飛び込んできてしまいます。するとこの長老は「ほ〜こうなりましたか・・・」というなり、このポーが「龍の戦士」であるとみんなの前で宣言してしまいます。シーフー老師はこの長老に師事し、敬愛して信じているのですが、この決定には納得がいかず、あるとき「ポーは龍の戦士なんかではなく、あれは単なる偶然です」と長老に抗議します。しかし、長老は「偶然ということはないのです。信じてあげることが大切です」というなり、自分の寿命が来たことを悟ると「あとはあなたに任せます」といって空の彼方に消え去ります。
 ここの場面も私個人としては心に響いてしまいました。私の人生も高校を卒業してから10年間というもの道が定まらずにポー太郎(?)をしていました。親はよくも気長に私を信じて見守っていてくれたものだと今更ながら、感心してしまいますが、自分もこうして家庭をもち、自分なりの道を歩んでいる今から振り返るとやはりあの10年間は必要だったと思います。偶然ではなく必然の10年間であり、それを経て今の妻との出会い、子供達との出会い、友達との出会いがあります。
 もし今何か停滞している状況にある人がいたら、私としては自分の経験から「その停滞状況は必ずしも悪いことではなく、あとあと必要な大切な状況かもしれませんよ」と隣でそっとつぶやくことでしょう。

 さて、再びストーリーの続きです。後を託されたシーフー老師はまだ腑に落ちないながらも、このポーを鍛えて行こうと心に決めます。そしてある時ふとこのポーを導くのに適切な方法がみつかります。それは今まで他の修業者にやっていた方法ではなく、このポーに一番合った方法でした。
 これも今ではよく言われることではありますが、その子その子の個性に合わせたやり方というものが必ずある筈ですし、根気よくその子に付き合い、見いだしていくことが指導する側の姿勢でしょう。昨今問題が浮上しているスポーツ界の体罰問題もこの辺の認識の違いがあると思います。
 子供を叱るとき、よくよく話してみて子供の言い分を聞いてみると何かこちらが勘違いしていることも時々ありますし、きちんと話せば何故叱っているのかをきちんと伝えられる感触を得ることもあります。単に手を上げてしまえば、子供は弱い立場なので、反論できずにだまってしまう結果になりますし、必要に応じておしりをたたくときでも1回でもこちらの心が痛みますので、できるだけ体罰は加えたくないというのが正直な思いです。ましてや他人の子供を数十回もたたくようなことはとても私には理解できません。自分の感情を弱い立場の者にぶつけて鬱憤をはらしているようにしか思えません。

 話しがそれてしましました。ストーリーです。新しく見いだした訓練によって、メキメキ上達し、ついにシーフー老師に認められるカンフーの実力を身につけたポーは「龍の戦士」にだけ閲覧が許されている巻物を手にします。それを開いてみるとそこには何も書かれていませんでした。ただ鏡のように光っていて、自分自身が写されています。そこで悟ります。「大事なことは自分を信じること」と・・・。さて、話しは少し遡りますが、ポーが龍の戦士に指名された頃、牢屋に閉じ込められた タイランが脱獄に成功し、自分をこのように貶めた者に復習するため、そして自分が手に入れるはずだった龍の戦士のための巻物を手に入れるために村へと向かいます。そして最後はこのポーとタイランの決戦となります。この戦いの結末は言わなくてもわかるでしょう。

 さて、「自分を信じること」ですが、これはなかなか難しいと思います。少なくとも私には・・・。「自分を信じること」ができる人は素晴らしいことですし、世の中にたくさんおられることでしょう。しかし、私個人としては停滞していた時期に救いとなったのは、むしろ手放すことだったと思います。大きな存在に・・・、生命を生み出している、意識を生み出している源泉に・・・。あらゆる方向を、あらゆる結末を、自我我欲の思いをすべて含めて大きな源泉に委ねてしまうことでした。そして現れてくる目前の状況に対しては自分の感性に従って歩むほかなく、これは「自分を信じること」というならあるいはそうなのかもしれません。

 そんなこんなで、いろいろと考えさせられ、心の琴線にふれてきたアニメでした。自分の感じたことをすべては書き尽くせませんが、長くなるので、この辺にしたいと思います。ストーリーを話してきてしまいましたが、皆さんも一度見てはいかがでしょうか。

(遠田弘一)
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2013年01月12日

072:新たなる挑戦

皆さんは何か新しいことに取り組んでいますか?
私は今電子工作にはまっています。昨年の夏休みに子供の宿題の手伝いでたまたま手がけた工作がきっかけでした。
私はもともと物作りが好きな方でした。思い起こせば、小学生のとき、就寝時に「今日は何か発明してやろう」という意気込みで布団の中にいろいろな部品を持ち込むことがよくありました。しかし、手元にある部品といえば、電池、若干の配線、豆電球、セロテープくらいなものですので、毎回作れるのは簡易懐中電灯でした。しかもセロテープで配線するので、つきっぱなしになるライトでした。それでも、暗い布団の中が明るくなり、一人満足の笑みを浮かべていたものでした。少し、年齢が進み、中学生〜高校生の頃は簡単な電子回路とわかりやすい図が載っている工作雑誌を数冊は持つようになり、工作に必要な部品を秋葉原を歩き回って手に入れてきては慣れない手つきでハンダ付けするようなこともしていました。しかし、電気のしくみをきちんと勉強するわけでもなかったので、出来た製品が動くこともあれば、原因不明で作動しないこともありました。うまく作動できた物も何故そのような現象が起きるのかは理解していないまま過ごしていました。それにその当時は少ないお小遣いの中で部品を購入していたので、思いのままに工作にのめり込めるわけでもなかったのです。そのうち、興味の対象が自然と変わっていったため、ハンダゴテもほとんど触ることがないまま、今に至ったのですが、子供の工作を手伝い、ネット検索などしているうちに面白そうな作品をたくさん目にすることになり、深層意識に眠っていた工作に対する情熱が再び浮上してきてしまいました。

ネットでみつけた永久ゴマ(またの名をリードスイッチゴマ)を皮切りにいろいろな物作りにはまっています。電磁気というように電気と磁石は切っても切れない関係にあるため、今は手元に電気や電子の仕組みの本や磁石に関する本などもそろえて、ボチボチ勉強し始めています。やはりきちんとした知識がないとある程度以上のことができないことがはっきりしているからです。コマといえば、空中浮遊ゴマというのもネットで見つけました。大分以前に流行った物のようですが、私は最近知ったので、早速数種類の磁石を手に入れて作ってみました。バランスよく回せると3分位は空中で浮遊しながらまわり続けています。磁石の釣合で浮きながら回るのですが、実際目の前で物が空中に浮いているのは不思議な感覚になります。

現在手がけているのはネットでたまたまみつけたBedini motor(ベジニモーター)というものです。ある電子回路とコイルと磁石の組み合わせで入力電力より大きな出力電力が得られるということでネットでたくさんの人が報告しているのですが、「本当だろうか?」という思いと回路自体がかなり少ない部品で単純なので、検証してみる気になったのです。しかし、いろいろな人がいくつかの回路を示していて、大体は同じような回路なのですが、よく見ると若干違っている部分もありで、この辺は電子工学や電気工学等の知識のない者としては、どれに従ったらよいかが分からず、自分でも作れそうな最も単純な回路を元に制作してみました。一応できたものの、本来回転するはずの回転ローターが回らず、「失敗かぁ〜」と思っていたのですが、何故かイオン球は光るので、念のため入力と出力の電圧を測定したところ、入力電圧に対し、出力電圧が4〜5倍ほどになっていることがわかりました。しかし、単純に電圧だけを比べてもダメであることをネットでも誰かが指摘していましたので、これでは単なる昇圧回路ができただけなのかとも思えますが、何分知識がないため、この現象も説明できません。まだこれからいろいろな方向を探っていくつもりでいますが、今は地道に電子回路の基礎を読み進めています。

この工作を機に家庭で消費するエネルギー削減に役立ちそうな太陽光発電の導入にも興味が出てきてしまい、それらに関する本も数冊購入しました。読みたい本がたまる一方で、読む時間もないためストレスがたまるし、部屋には種々の材料やら小物が増えて散らかってくるし、ネット購入で小物が届くたびに嫁さんの眉がつり上がり、先の見えない苦闘の道に踏み出している今日この頃です。

しかし、新しいことに取り組んでいるのはそれだけでも楽しいことですし、この取り組みが少しでもエコな方向につながりそうですので、しばらくは興味の赴くまま進んでみたいと思います。また、新たな天地が開けてきたらトピックにしたいと思います。

(遠田弘一)
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2012年11月22日

071:風邪とインフルエンザに注意

慈温堂を移転して約1ヶ月が経過しました。そろそろ気候も寒さを増してきましたが、いかがお過ごしでしょうか?
さて、この時期にトピックとして取り上げることはインフルエンザのことでしょうか。まだ、今期はインフルエンザの患者さんを診てはいないのですが、これから流行る時期になりますので、注意を促しておこうと思います。以前のトピックでも書いたことがあり、重複する部分もあると思いますが、始めてトピックを目にする方もいらっしゃるはずですので、一応記載しておきます。

まずインフルエンザや風邪の予防として大切なことは、普段から抵抗力を落とさないようにすることです。つまり、喫煙、アルコールの過剰摂取、夜更かしによる睡眠不足等の悪い生活習慣や好き嫌いによる偏った食生活などを改めることです。あまりにもあたりまえすぎているし、「わかっちゃいるけどやめられない」ということもあり、実行できていない方も多いと思います。しかし、自分の健康を守るにはこの当たり前のことから始めなければなりません。さて、次に大切なことは、皆さんもよくご存じのことですが、手洗い、うがいです。毎日帰宅したら、手を抜かずにきちんとやることです。手や咽喉部についているウイルスや細菌をその感染が起きる前に洗い流してしまうことです。実に当たり前のことです。しかし、私を含めて多くの人が忙しさでつい簡単に済ませてしまい、十分に洗い流してないことが多いのではないでしょうか?
さて、その次に大切なことは、身体を冷やさないこと、季節に応じて服装を変えて寒さの対策をすることです。また、人の多く集まる場所には出来るだけ近づかないことも大事であり、それができない場合で、気管の弱い方はなるべくマスクを着用するなど普段から心がけるべきでしょう。ウイルスや細菌の大きさからするとマスクの穴は大きすぎて予防はできないということも言われますが、ウイルスや細菌が1個で漂っているというよりも実際は、ある塊として漂っていると考えられますので、マスク着用は100%とは言えないまでも第一段階で予防するには有効な方法と考えられます。そして帰宅してからの手洗い・うがいは防ぎきれなかった原因菌の除去に大切な習慣です。

また、毎年今の時期に各医療機関で行われているインフルエンザの予防接種ですが、これは厚生労働省のホームページで詳しく記載がありますので、それを見てもらえばよいのですが、簡単に言うならば、インフルエンザは毎年顔つきを変えるので、今までの統計から推測できるその冬に流行りそうなインフルエンザに効く予防薬を接種して予め抗体を身体に作り出しておこうというものです。抗体の出来方も個人差があるようですが、約2週間くらいはかかるようなので、体調の良いときに早めに接種しておくことが推奨されています。ここで注意しておきたいことは、(特に高齢者の方ですが)たまに勘違いしている人がいて、インフルエンザの予防接種をするともう風邪をひかないと思っている方がいます。しかし、インフルエンザは普通の風邪とは違い、症状がきつく出ることと広範囲に広がるという性質を持っています。「スペイン風邪」「香港風邪」という名で知られるように世界中で大流行して猛威をふるい、多くの死者をだしたことは有名です。それを防ぐ目的で、毎年予防接種がなされるわけですが、これをやっても風邪にはかかります。風邪の原因ウイルスは無数に存在するからです。従って、予防接種をしても既述した普段からの注意が大切となります。
また、高齢者(特に65歳以上)や重篤な基礎疾患を持っている方に接種することが推奨されている肺炎球菌ワクチンというものがあります。高齢者で肺炎となる原因菌の多くの割合を占める肺炎球菌に対する予防接種です。一度接種すると5年間くらいは有効とされていますので、希望の方は行きつけの医療機関で相談するとよいでしょう。若干の注意としてはインフルエンザの予防接種とは1週間程開ける必要があることと、これを接種したら、肺炎にかからないということではないです。他の原因菌もありますので、勘違いしないようお気を付け下さい

さて、それでも風邪やインフルエンザにかかってしまったらどうするか?
「運命と思ってあきらめ、すべて自然の成り行きに任せる」というのも一つの達観した姿勢と思いますが、なかなかこういった人は少ないと思います。

今では風邪あるいはインフルエンザに罹患したら、たいていは西洋医学の医療機関を受診して風邪薬や抗インフルエンザ薬をもらい、感染の原因菌が細菌ということがはっきりしていれば、抗生物質等をもらって治療することが普通のやり方でしょう。
西洋薬は抗インフルエンザ薬にしろ、抗生物質にしろ、その原因菌に直接働きかけて治療するものです。そのため、治療効果も出やすいのですが、それなりにつよい作用をするので、副作用の心配も常につきまといます。またその薬の攻撃をかわして生き残った原因菌はそれらの薬に対抗できる能力を身につけることがあります。いわゆる耐性菌や耐性ウイルス(株)の出現です。これはそういった薬を乱用すればするほど出現の確率も高くなります。

こういう西洋薬の問題を気にする人は漢方薬を見直すと良いかも知れません。ようやく話したい話題にたどり着きました。

人間の身体は本来、その原因菌がウイルスであれ、細菌であれ、これに対抗する抗体を作ってそれらを排除しようとする機構(いわゆる免疫機構)が働きます。一般的に普通の風邪であれば、身体の防衛機構が働き、約1週間くらいで治っていくものです。ただし、高齢者や抵抗力の落ちている人の場合は長引くこともあります。

漢方薬は昔からこのような急性熱性疾患に対応する治療方法がよく考えられているもので、原因菌に直接働きかけるというよりもどちらかというと身体の免疫機構が働きやすい環境を整えていく作用が期待されるものです。

風邪やインフルエンザの時期ですので、これらについて少し話しておきたいとおもいます。

身体の抵抗力によっても違いはありますが、一般的に風邪などの感染症の初期には身体は温かくして発汗を促す方向に働きかけるとよいことが知られています。実際に身体も対抗している状態として熱を出してきます。上手に汗をかくと自然な解熱を促し、風邪でしばしば伴う節々の痛みも一晩でかなり緩和されます。もちろん体温が上がり、発汗を促すので脱水傾向になりますから水分補給も大事です。

「風邪の初期には葛根湯を使う」というのを聞いた人もいるかもしれません。葛根湯は近代漢方的には強汗方湯の部類に属し、身体を温め、発汗を促す作用があります。この強汗方湯の中には麻黄湯というものもあり、以前これがインフルエンザに有効であるという記事をどこかで見た人もいるかもしれません。麻黄湯はどちらかというと葛根湯よりも発汗作用が強力にでるものです。麻黄湯と葛根湯に共通に含まれる生薬に麻黄と桂枝があります。近代漢方的には麻黄は心臓の拍動を強め、全身への血流の増大作用で、桂枝は皮膚へのの血流の吸引作用が推定されます。この2つの組み合わせによって、汗を出しやすくする効果が出てくると考えています。西洋医学的にも麻黄の成分のエフェドリンが心臓の拍動を強める作用があることや桂枝の末梢血管の拡張作用が知られています。風邪などの初期にこれらの漢方薬を上手に使うとよいでしょう。

但し気をつけて起きたいことは、麻黄という生薬は子供には比較的相性がよいのですが、人によってはこの心臓の拍動作用が強くでて、眠れなくなるなどの副作用や、胃部の不快感を感じる人もいます。また血圧の高めな高齢者にも注意する必要がありますので、全員にお勧めという訳ではありません。強汗方湯という名前からもわかるように比較的体力のしっかりした実証タイプに用いる薬です。心臓疾患や高血圧症のあるお年寄りや胃部の不快感がでる人にはより優しい働きをする桂枝湯などにしたり、咽の痛みや鼻水がひどい場合などには麻黄附子細辛湯や小青竜湯などを考慮することもあります。

また身体を暖かくするのによい工夫として、寝る時に乾いたタオルを首に巻くということをお勧めします。
私が小さいとき、祖母が風邪などを引くとよく布団の他にタオルを鼻までかぶって寝ている姿を見ました。何故あんな苦しそうなことをするのだろうと不思議に思っていましたが、ある日私も風邪を引いて寒気を感じる時にまねをしてタオルを鼻までかぶったら、身体の温かさがずいぶん違うことがわかりました。それ以来、風邪を引く度にタオルを使うようになりましたが、何分鼻にまでかけると息苦しくなるのが難点でした。
親譲りの体質か、ある年齢を過ぎてからは、「気管が弱くなってきたなぁ」という自覚が出てきましたので、首にタオルを巻くように変更してみたら、暖かさは維持されて、息苦しくもないので、非常によいことがわかりました。以前咳喘息と思われる症状に見舞われたことがあり、時間がかかってようやく治ってからは、首回りを暖かくした方がよいと考え、私は今では毎日寝る時にはタオルを必ず首にまいています。これが気管をかなり守っている感じがあります。皆さんも風邪に罹患して寒さを感じる場合や気管に自信がない方は是非実行してみてください。

これから、ますます寒さの厳しくなる時期に突入していきますので、上記のことを参考にこの冬も乗り切っていかれますようお祈り申し上げます。


(遠田弘一)
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2012年09月12日

070:慈温堂移転─新たな再出発─

ご無沙汰しております。前回のトピックから既に1年以上が経過してしまいました。この1年の間に千と一つの物事が起こり、過ぎ去って行きました。それを話題に取り上げれば、いくらでもトピックは書けたのかもしれません。しかし、私自身のモードがそれを外側に表現するような状況ではなかったため、沈黙のまま経過していました。
しかし、慈温堂移転という大きな変化が訪れましたので、これを契機に少し状況説明をしたいと思います。

テレビでも放送されましたのでご存じの方も多いと思いますが、昨今の中国情勢の影響もあり、生薬の値上がりが続いていてます。今後もこの状況は変わらないという予想があるため、ますます漢方診療という形態が難しくなっていく状況です。
慈温堂も同様で、生薬を使った漢方の自由診療という形態ですので、保健診療に比べ、費用が高くなることが、まず患者さんへの負担の最たるものです。また煎じ薬という手間のかかる方法も治療継続にとっては二の足を踏む原因となります。そのため、経営において一番の問題点は患者さんの絶対数の減少ということになります。診療費に関しては、出来るだけ安くするように心がけてきてはいますが、生薬が値上がりすれば、それに応じて対応せざるを得ませんし、実際に診療費変更を数回行ってきました。しかし、患者さんの減少していく中で慈温堂の経営自体が徐々に難しくなってきて、実はこの5〜6年ほどは当院の経営は赤字すれすれという状況です。

他に出来ることとしては、慈温堂の諸経費のいろいろな無駄を省き、ビルの賃貸料の高いことも原因の一つでしたので、2年前にビル側に交渉して、賃貸料を少し下げていただき、今年までなんとか頑張ってみました。しかし、経営を立て直すまでには至りませんでした。
今年一杯が限界か?という予想も見えてきましたが、まだ漢方を気に入って長年続けてくださっている患者さんもかなりいらっしゃるし、ホームページをみて遠方から来院する方もたまにおられます。こういった方々をばっさりと切ってしまうわけにもいかずに経過していましたが、6月を過ぎたころにふと移転ということが頭に浮かびました。これは、2年前にも考えたことです。現在の難波周辺でも、月々の賃貸料が安くなる場所もいくつかあったのですが、駅からかなり遠くなるため、患者さんにもスタッフにも不便になることがはっきりして、ただちに却下してしまいました。現在の場所にこだわっていたため、それ以上に考えることはなかったのです。

この地で慈温堂が始まった経緯というのは、そもそも近畿大学病院の東洋医学研究所を受診する患者さんで、かなり遠方からの患者さんが利用するのに都合のいい窓口的な場所ということで始まりました。始めは、大学とのつながりで開始したものの、途中からは独立採算でいくということになったようです。当初は東洋医学研究所の先生方が交代で診療していましたが、独立してからは、私の父が中心となり、大学に勤める傍ら慈温堂で午後のみ診療する形をとっていました。2002年に父が大学を停年退職となってから、医院の名称も『慈温堂遠田医院』として、昼間の時間帯も診療するようになりました。その後、父が他界したため、そのまま私が引き継いで今に至っています。

先程も述べたように患者さん自体が少なくなってきていて、遠方からの患者さんになると今は1年に2〜3人程度です。また私も含めスタッフ全員がこの度移転する大阪狭山市近辺が地元です。この難波の地も何らかの縁があり、今まで診療をさせていただいてきたのですが、この場所では地元に根付くという感じではなく、全く一時的な通りすがりの人達のいる空間で診療しているという感じでした。

「今現在の患者さんもこのままfollowしつつ、今後は地元に根付いて漢方診療に興味のある方々を対象にしていくことも大切ではないか」という考えがまさに上からふってきたように感じられたのです。そこで、地元周辺をいろいろと探し回り、結果として金剛駅の近くの場所を見いだしました。もちろん、移転して経費が多少安くなっても問題が解決するわけではありません。生薬が今後も値上がりする現状は変わりませんし、どれだけの人達が漢方診療に目を向けてくれるかも全く不明だからです。しかし、自分としては、とにかくやれるだけのことはやってみようと思い、移転に向けて動き始めたわけですし、場所も気持ちも新たにして出来るだけ継続していく決心でおりますので、今後も慈温堂をよろしくお願いいたします。このような大きな変化を前に、一つの区切りとしてホームページの新たなトピックとさせていただきます。

(遠田弘一)
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2011年02月02日

069:「邂逅(かいこう)」

 2月に入ってしまった今頃になって恐縮ですが、ご挨拶を忘れていました。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 年末から年始にかけて大変あわただしく過ごしておりました。年末にいつもの友達家族とスキーに行き、12月31日に帰ってくる途中の高速が雪で通行止めになりました。京都のあたりで数年ぶりの大雪だったそうです。途中で下道を走り、また京都南から高速に乗り、帰宅したのですが、下道を走っているときもあちこちで渋滞に巻き込まれ、大津のコンビニで新年を迎え、帰宅したのは午前1時半という状態でした。また、次の週の連休もちょっとした用事があり、熱海まで車にて2泊3日の旅行に出ていましたので、何やらいつもとは違う忙しい新年で幕を開けました。

 私の読書は、気の向くままに数冊の本を平行して読んでいるようなやり方です。家にいるとき、電車の中、仕事場での休憩の時など、それぞれの状況に合わせて、何冊かを読んでいます。最近、書斎にあった古い文庫本「人生論・幸福論」(亀井勝一朗著、新潮社版)に目がとまり、何気なく開いて見ました。これは、もう30年以上前に購入したものなので、色もそれなりについていて、字も小さめで、内容は全く覚えていないのですが、私の記憶ではもう読み終わったものと思っていました。ところが、しおり用のヒモがほんの数十頁のところで挟まっていましたので、まだ読み終わっていない状態でした。途中で飽きたのか、別の本に目移りしてそのままになったのか今となってはわかりませんが、また最初から読み始めてみました。するとなかなか奥深い内容で、いくつかの言葉が心の琴線にふれてきました。今だからこそ、そのように受け取れたのですが、もし昔だったら、おそらく何やらわけのわからない内容だったろうと思いました。実際、分けがわからないので、そのままになっていたのかもしれません。まだこの本と「邂逅」する時期ではなかったのでしょう。読んでいる途中ではありますが、たくさんの共感できる文章のうち、最近読んだ一部をそのまま抜粋してみます。
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・・・(中略)・・・
「遇いがたくして今遇うことを得たり。聞き難くして既に聞くことを得たり」(親鸞「教行信証」)
・・・(中略)・・・
 論語の中に「朝(あした)に道を聞けば夕べに死すとも可なり」という有名な言葉がある。この場合、「死すとも可なり」の「可なり」に重点があるのではなく、「道を聞けば」といったときの、喜びの端的な表現として「可なり」に意味があるので、この言葉は孔子の幸福論と言っていいだろう。
 「幸福とは邂逅の喜びだ。同時にそれは感謝の念の起こるところである。邂逅と謝念とは不可分のもので、そのときの喜びの言葉が、さきの親鸞の言葉に端的にあらわれている。そしてこれは彼の全生涯を貫く基調となる。彼の生涯を決定する。
・・・(中略)・・・
 邂逅と謝念と、更にそこに生ずるのは信従ということである。この邂逅と謝念と信従という関係は、あらゆる宗教の根本を貫くものではあるが、しかし宗教だけでなく、人間関係の最も深い基本であることは言うまでもない。そしてここで、開眼ということが起こる。それまで見えなかったものが明らかに見えてくるということだ。同時にここに人間の転身ということが起る。人間は生涯の中に、幾度か転身を迫られて始めて人間として形成されて行くことはさきにもふれたが、この転身の動機となるものが邂逅である。そしていままで見えなかったものが明確に見えてくるということは、言葉を換えて言えば、人間としての苦悩が更に深まるということだ。多くの社会悪や自己の内面の醜悪さなどがはっきり見えてくるために、苦しみは倍加するかもしれない。だから邂逅と謝念と信従と転身は、そのまま必ずしも人間の心の安らかさを意味するものではない。むしろ逆に一層多くの不安を我々にもたらすかもしれない。しかし、幸福とはそういう不安に耐え抜く勇気だ。不安が大きければ大きいほど、苦悩が深ければ深いほど、そうある状態の中で邂逅の喜びを抱き感謝の念をもつということだ。幸福という言葉を用いるとき、まず何よりも心の安定を欲するし、たとい安定したようにみえても、常に不安定なものが前方にあらわれてくる。その不安定のものに耐えて、それを切り抜けて行く勇気そのものが幸福だと感ずるためには邂逅の謝念が前提となっていなければなるまい。・・・(中略)・・・」(「人生論・幸福論」(亀井勝一朗著、新潮社版)より)
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 著者の示したかった内容とは異なるかもしれませんが、私がこの文章で自分の心に生じた考えは以下のことです。

 「幸福」という言葉は人により様々な捉えかたがあると思います。咽がからからに渇いているときに出会う一杯の水や、空腹のときに出会う一杯のご飯に幸福を感じる場合もあるでしょう。ちょっとした迷いがあるときに人から助言を受けたり、本などからヒントを得たり、こういった小さな出会いや幸福感ももちろん大切ですし、たくさんの出来事の中に含まれています。しかし、上記のように「邂逅」という言葉にふさわしい出来事は少し次元を異にするような感じがします。これは、やはり精神的にかなり行き詰まっていて、まるで先が見えないような状況のときに、その打開に導かれるような人との出会いや、書物などを通しての全く新しい考え方や生き方との出会いなどです。状況は同じなのに、それを受け止める心の有り様がすっかり変わるために「苦」と感じていた感覚が軽くなり、何やら世界が輝いて見える瞬間です。そして、新たな方向性が見えてきて、また歩もうとする気力がもどっている。そんな感じでしょうか。私にも経験があります。
 しかし、そのようにすべてを肯定できるように感じる心の安定も、やはり時が経過すれば、また前方に新たに不安定なものがやってくる。安定というのはある意味幻想であって、固定したものは何一つありません。必ず訪れる変化の中では、常にバランスを取りつつ歩んでいくという微妙な動きがあるのです。微妙な動きを伴いつつバランスを取っている姿が安定という状態に見えるのでしょう。そういったバランス感覚を得ているのが「幸福」な状態と言えるかもしれません。
 安定していると思える状態から、また種々の変化に出会い、それに翻弄されて迷い、時には心の閉塞状態に陥っている時、見失ってしまったそのバランス感覚に再度気づかせてくれるような何らかの小さな出会いや、あるいは人生そのものに大きく影響を及ぼすような、まさに「邂逅」という瞬間があるのです。そして取り戻せたバランス状態で生じる謝念、そこから見えてくる新たな方向(開眼)と転身。人生、生きている限りはこの繰り返しを続けるのでしょうか。
 いずれにしてもその時々を、いかに意識的に感応していくかが大切だと感じます。変化は常に起こっているわけで、それに対して無意識に対応していれば、何の変わり映えもない停滞した出来事として捉えてしまうかもしれません。逆にしっかりした意識をもって相対すれば、何でもない出来事の中にも人生をガラッと変えてしまうような機縁に出会うことになるかもしれません。以前、禅を行ずる人が一瞬で大悟したといういくつかの話しを読んだことがあります。そのきっかけとなるのが、師の一喝であったり、鳥の鳴き声であったり、どこかで誰かが歌う一節のフレーズであったり、様々な瞬間があるようです。それらの出来事の特殊性という訳ではなく、行ずる人の機が熟しているからかも知れませんが、やはり常に意識的に今現在を生きようとする姿勢が、その機を熟させるのに大事なのではないかと思います。
 「言うは易く行うは難し」ですが、「私もかくありたい!」(どこかで聞いたセリフ…)と願っています。

(遠田弘一)
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2010年11月03日

068:「人生のフィジカルパンチ」

 大分、ご無沙汰しておりました。個人的にいろいろ忙しくしていたことと、自分の心がこの数年はかなり求心的な方向へ傾きつつあり、特に今年に入ってからはますますその傾向に拍車がかかっていたため、外側への表現が億劫になっていたこともあります。具体的には、いつの頃からか、おそらく20数年前に取り付かれた一大疑問「生とは?」
「死とは?」「人生とは?」ということへの考究です。これに対しての明確な回答を得たわけではありませんが、その問いに捕まって、10年弱を経てようやくある方向への落ち着きを得て、地に足のついた生活ができるようになりましたが、それでもこの問いは常に念頭を離れることはなかったように思います。もちろん何かに熱中しているときは一時的に忘れています。しかし、それが過ぎ去り、落ちついてくると常に考えることはそういったことです。実は、今年の夏にもこの話題について書き始めたのです。個人的には、6月、7月は父、母の命日が続くため、「死」ということに自然と心が向き合ってしまう季節でありましたし、今年はちょうど韓国俳優のパク・ヨンハさんの自殺のニュース流れました。嫁さんと一緒に韓流ブームに乗ったのはやはり「冬ソナ」でした。この名作は数回見ました。主人公の恋敵を熱演するパク・ヨンハさんは私の中でも馴染みの俳優さんになっていましたので、そのニュースを聞いたときは少なからず衝撃でした。「自殺」ということについての是非をここで論じるつもりはありません。その選択に至るまでの過程は結局その人の人生を歩んでみなければわからないことだからです。しかし、少なくとも私の今までの人生経験からは「簡単に結論を急ぐことはないかもしれないな」とは言えます。「死」と呼ばれる現象は誰にでも必ずやってきます。それまでに「生」ある限りは生きて何かを経験するというのも貴重な選択だと思えるからです。このような考えに至った経過や「生」「死」という問いについてどのように考えているかということは、夏に書き始めた時もそうですが、結局これらを語ろうとすればするほど内容がプライベートな方向に入ってしまい、分かち合えるような内容にならないことに気付いて止めた経緯があり、今もそれは同じですので、深入りはしません。個人個人がそれぞれに考え、それぞれの答えに従って生きていく他はないからです。

 さて、相変わらず長い前置きから開始した今回のトピックは以下のことです。
 人生経験とはまさに変化の連続であり、上記の如く、求心的な方向に心が彷徨っていたとたんにガツンと現実に引き戻されるような出来事が起こりました。先週の土曜日(10/30)の夜の出来事でした。1階で騒がしくしている子供達にそろそろ歯磨きを促して、寝かせようと思っていた矢先に何やら泣き声と妻の「折れた〜っ!!」という声が耳に飛び込んできました。急いで下へ行ってみると長男の左前腕部の一部があらぬ方向で曲がり、妻がそれを両手で支えていて、余程痛いのか、苦悶様表情で泣いているといった状況でした。骨折は明らかでした。詳しいことは解りませんが、何やらふざけているうちにつまずいて床に手をついた際にやってしまったようでした。さぁ、こうなると「生」「死」どころではありません。現実に行動しなければならない状況へ投げ込まれ、一連のやるべき行動に従いました。つまり、患部を冷やす必要があったので、買い置きしていた冷えピタを貼り、添え木を探してきて、腕に添えタオルで固定し、夜に診てもらえる病院を探し、連絡をつけてもらい、車で直行しました。私と負傷した子どもだけでは何かあったときに動きがとれなくなるので、妻にも同行してもらいました。すると下の子ども二人では留守番はできませんので、当然一緒に連れていきました。一番下の子はすでに寝ていたのですが、起こして車に乗せ、家族総出で出発しました。診てもらった病院でのレントゲンにて判明したことですが、左前腕部で手首からすこし離れた場所の骨折、しかも橈骨および尺骨ともにきれいに折れていました。きちんと治療するにはやはり手術が必要だとのことでした。その時は臨時なのでそのまま固定してもらい、家から近くの病院を紹介してもらって帰りました。固定されてからは、痛みも若干落ちついてきて、時々痛み止めを服用するだけで、なんとか過ごしていました。日曜日もそのままの状態で過ごし、月曜日に受診し、翌日の火曜日に手術と決まりました。当日の手術前には痛みはそれなりに落ちついていましたが、手術は整復およびワイヤーを挿入して固定するというものでしたので、術後に麻酔が切れてきた時には痛みで苦しがっていました。これも坐薬でやり過ごし、翌日には痛みも軽快していました。結局2日間の入院と手術自体も病室から出て、戻ってくるまでに約1時間程度でした。負傷してからは約5日間でしたが、嵐にでもあったような出来事でした。

 今は、子どもも退院してきて、三角巾をしていますが、笑顔も戻っています。
人生何が嫌かといって、親としては、子どもが何らかのことで苦しんでいる姿を見るのは本当につらいものです。子どもの経験を親が代わることはできません。いきなりの変化として訪れた事態でしたが、なんとか大事にならずに過ぎ去った感があります。
不幸中の幸いという言葉がありますが、この場合も骨折は足ではなく手だったので、動き回ることができますし、利き手ではない方の左腕でしたし、骨折部位も関節部分ではなかったので、後遺症の心配もそれほど気にしなくていいようです。また、日曜日に妻の両親が来てくれて、下の子供達の世話をしてもらいました。子供達も思わず、おじいちゃんとおばあちゃんと過ごすことができ、楽しかったようです。

 というわけで、「生」というものは、こちらの思惑はどうあれ、いつの間にか流れ来たりて、流れ去っていきます。今現在の境涯にてそれを受け止め、必要と思われることを淡々と処していくのみです。

(遠田弘一)
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2010年04月03日

067:「昔は物を思はざりけり」

春4月・・・。皆さんはこの時期をどのように捉えているのでしょう。季節的には寒い冬から温かい春へ移り変わっていきます。少し我慢し、じっと縮こまっていた状態から、ようやく身体を伸ばし、活動できるような状態へ変化していく季節です。年度末として様々な物事のけじめがつけられ、次の新しい年度に入る時期です。「親しい人々や慣れ親しんだ環境との別れ」と「新しい出会いや人生が開かれてくることへの期待」などが入り交じったような独特な心境になる時期でもあります。

私も個人的には、今年の3月が誕生日であり、ついこの間、「50の大台に乗ってしまったぁ〜」というわけで、なんとも言えない心境にあります。さらに個人的なことですが、私の妻のご両親が山口県の下関に住んでおりますが、種々の事情により、長年住み慣れた家から引っ越すこととなり、つい先日なんとか無事に引っ越したという連絡を受けていました。まだ、荷物の整理がついていなく、高齢のご両親だけでは心配なため、妻が手伝いに行きたいというので、今日4/3(土曜日)から向こうへ向かいました。子供達も丁度春休みでもあり、おじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くということで、ついて行きました。私は土曜日は隔週で仕事があり、今日も仕事のある日だったので、一人で留守番ということになりました。仕事から帰ってきて、「ああ〜、行ったんだなぁ」という空気に包まれて独り物思いにふけっています。

・・・とちょうどこのことを書いているときに妻からの電話があり、「無事に着いた]
とのこと。言うことを聞かない子供3人を連れての旅はどうなることかと気をもんでいたので、まずは一安心。しかし、なんとも知れない寂しさをひしひしと感じています。
両親や兄弟とも離れて、まだ結婚もしていない独り暮らしの学生時代は、別になんとも思わなかったのに、家族を持ち、妻や子供と暮らす一種の喧騒状態が普通の状況からいきなり、独り自由の境涯に投げ出されることのなんと侘しいことか。

私の家は、どちらかというと部屋をきっちりと区切ってはいないので、家全体が一つの部屋のような作りとなっています。そのため、書斎にいても、常に家族の気配を感じています。自分のしたいことをやっていても必ずといっていいほど、中断しなければならなくなる状況が訪れます。それは妻からや子供達からの用事のためです。特に子供などは、自分達の遊びをしているうちはよいのですが、それに飽きると、なんとなくやってきて、まとわりついてきたり、一緒に遊ぼうという要求をしてきたり、兄弟げんかのいきさつを支離滅裂な話ぶりで泣いて訴えてくることもあります。今はその気配も途絶え、独りパソコンに向かって作業しています。このような状況に置かれて、初めてあの喧騒の状態がなんと心地良かったのだろうと思わざるを得ません。2日後の月曜日に帰ってくることはわかっているのに、もうすでに長く感じています。

数十年前のことになりますが、今は亡き私の父も長く東京で家族と暮らしていて、この大阪で仕事をすることに決まり、単身赴任してきたわけですが、正月などに東京に帰ってくると「寂しいよ〜」ということをよく言っていました。この場合は単身赴任ですから、その寂しさはいかばかりか? 私も今頃、その寂しさのほんの一端が理解できました。「50にして知る」です。

ふと百人一首の「逢ひ見ての後の心に比ぶれば 昔は物を思はざりけり」という歌が思い出されました。この歌は、本来男女の恋に関する歌であり、意味は若干違いますが、「昔は物を思はざりけり」という部分がやけに共感を呼び起こします。
妻や子供という存在は魂としての何らかの深い縁があり、今このように家族として出会っているわけです。出会う以前の心と出会ってからの心とは自ずからたいへんな違いが生まれています。少しの期間でも離れてみるとその存在のいかに有難いものであるかを息苦しいような痛みとともに感じている一時です。

(遠田弘一)
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2010年01月09日

066:「フェルマーの最終定理」

明けましておめでとうございます。
悠久なる時の流れは、刻一刻と過ぎ去り、同じような日々の生活が繰り返されているようで、実は様々な物事が変化し、移り変わっていきます。私の家での変化としては、Wii(ウィー)というゲーム機が仲間入りしたことです。

昨年の秋ごろからか、長男(9歳)が友達の家でWiiのゲームをするようになり、相前後して、長女(7歳)もまた友達の家で同様のWiiのゲームを覚え、さかんに2人で話題にするようになってきました。クリスマスのプレゼントもWiiがいいということで、意見が一致し、サンタクロースにお願いすることになりました。私も妻も基本的にはゲームは乗り気ではなかったのですが、友達の家でやっている以上、もうしょうがないので、クリスマスプレゼントはWiiということになりました。もちろん、時間を決めてやるという条件で・・・。当初の予定では1日1〜2時間くらいのはずが、冬休みの期間は、それだけで収まるはずがありません。3人の子ども達が交代しながら2人ずつやるということになるため、結局は1時間やったら1時間休憩を入れるというようなことにいつの間にか変わってしまいました。
驚くことには、次男(今月末で4歳)はそれまで、そのようなゲームのコントローラーをいじったことがないはずなのに、兄弟に混じってやるうちにいつの間にか使いこなせているようで、それなりに楽しんでいます。

また、朝が早いこと、早いこと。平日は小学校や幼稚園があるため、子どもを夜の9時頃には寝かせ、朝は7時には起こすようにしています。長男と次男は比較的すぐに起きる方ですが、長女はなかなかしぶとく、何度も声をかけ、7時半頃になって、ようやく起きてくることがしばしばです。そんな子が、長男に促されて、ほぼ毎朝6時か6時半頃に起きてきて、ゲームをしようとします。動機が強いと、生活習慣もこうも変わるものかといういい例です。もちろん、朝っぱらからいきなりゲームを始める習慣はよくないので、まずは冬休みの宿題をやらせるか、宿題が終わってからは、こちらが課題を与えて、勉強をきちんと終わらせてから、ゲームをさせるようにしていました。しかし、買ったばかりなので、ほぼ1日の大半はゲームをしているような感じです。時々友達も来ては、みんなでしているとのこと。今、お気に入りでよくやっているのは、「大乱闘スマッシュブラザーズ(略して、スマブラ)」で、「たーたらら〜、たらららら〜」という知る人ぞ知る、そのテーマ曲がほぼ1日中リビングで鳴り続けています。私の頭の中にもインプットされ、時々その曲が頭の中を駆けめぐります。この間の新聞で任天堂のWiiがクリスマス商品として善戦したという記事をちらりと見かけました。わが家と同じような状況があちこちで生じているのでしょう。ゲームにのめり込んでいる姿を少々苦々しく思いながらも、朝の課題はそれなりに終わらせていることだし、買ったばかりなので、ある程度飽きがくるまではしようがないかという気持ちもあり、複雑な心境で新年を迎えています。

さて、長い前置きになりましたが、話しが全く変わって、今回の話題をお話したいと思います。タイトルにもあるように年末にふとしたことから読んだ、「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン著)です。
この定理とは、「3以上の自然数nについて、(xのn乗)+(yのn乗)=(zのn乗) となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない」というものです。この数式は見覚えがあると思います。中学校で習ったピュタゴラス(ピタゴラス)の定理(三平方の定理)です。この場合は、直角三角形において、斜辺の2乗は他の二辺の2乗の和に等しいというものです。つまり、(xの2乗)+(yの2乗)=(zの2乗)という数式です。nが2の場合は、その式を満たす(x, y, z)の組み合わせとしては、無数にあります。例えば、(3, 4, 5)(5, 12, 13)など。しかし、これがnが3以上になると上記の式を満たす自然数の組み合わせがないというものです。そして、一見その問題は読んですぐに理解できるのですが、その証明となると実にやっかいな代物で、フェルマーが「ある謎かけ」をしてから、実に360年の長きにわたって、数々の数学者達を悩ましてきたそうなのです。

ピエール・ド・フェルマーは17世紀のフランスの数学者で、同時代に交流した有名人としては、デカルトやパスカルがいます。このフェルマーが古代ギリシャの数学者でディオファントスという人が著した『算術』の注釈本に有名な48の書き込みをしたそうで、その内の一つが上記の「フェルマーの最終定理」と呼ばれるものです。フェルマーという人は性格が変わった人だったらしく、上記の書き込みは、いずれも答えはあえて書かずに何らかの問いかけをしているもので、多くの人をいらつかせるのを楽しんでいた人だったそうです。上記の定理に関しては、次のような書き込みがされていました。「私は、この命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」というものだったそうです。この問いかけの為に起こった、数々の数学者達の挑戦と挫折や人生に起こった不幸な出来事などを取り上げて紹介しているものです。

彼の他の書き込みに関しては、後の数学者達によって、すべて証明されていたのに、この問題だけは長い間、誰にも解くことが出来ずに残っていたというものです。そして、この本の出だしは、そもそもの発端となったピュタゴラスの定理で有名なピュタゴラス自身やこの人を取りまくピュタゴラス教団という秘密結社のことから始まり、この問題に関わった数々の数学者達のことや数学の発展の歴史などについても書かれています。 最終的にこれを証明した人は1953年生まれのイギリスの数学者、アンドリュー・ワイルズですが、これを解くカギとなる重要な発見を提示した2人の日本人の数学者についても記載されています。証明に至る数々の課程も面白いのですが、ワイルズが学会でこれを証明する際にもちょっとした波乱があり、どうなるのかと思わずやめられなくなる面白さに満ちた本です。題名からすると数学が得意でないとわからない内容のような印象がありますが、そんなことはありません。確かにいくつかの数式や証明やなにやら聞いたこともない解法の名称などが出てきますが、「あぁ、そんんなものが数学の世界ではあるのかぁ」ぐらいにかるく読み飛ばしていっても十分に流れについて行けます。

思えば、数学には中学、高校、予備校(?)、大学(で少々)接した程度で、今の生活では買い物の際の四則演算以外はほとんど関係ないものとなっていますが、また時間があれば数学の世界に親しんでみたいようなあこがれを生み出されてしまった本です。そう、あこがれです。おそらくこの数学の世界の深みに行くには数学的なセンスとどこまでも取り組んでいける性質というか体質のようなものが必要と思われます。
 今現在、Wiiのゲームにのめり込んでいる子供達を見て、この「フェルマーの最終定理」のような内容の本に興味を示すようになるのはいったいいつになることやら?とちょっとした感慨にふけってしまっています。

(遠田弘一)
posted by ..... at 09:57| Topics