最近は様々な病気で治療のガイドラインが発表されています。ガイドラインは病気の段階によって使うべき薬の種類を細かく規定しています。ガイドラインに添って治療が行われれば、治療の標準化がなされ、大きな間違いは起きなくなる事が期待できます。一方、変った治療方はガイドラインの圧力でしにくくなり、治療の多様性は失われていくでしょう。両者はコインの裏表の関係ですから、仕方がないことですが、ここで考えなければいけないのは、ガイドラインも間違う可能性があることです。治療法にも流行があり、また疾患概念も時代とともに変っていきます。頻繁に改定されるガイドラインの世界では、昨日の真実は今日の嘘であり得ます。誤ったガイドラインのために、世界中で誤った治療が行われる危険性はゼロではありません。またガイドラインが誰によって作成されるか知りませんが、ガイドラインを策定する人間に製薬会社が働き掛ける可能性はないでしょうか。製薬会社にすれば自社の薬剤がガイドラインで推奨されるかどうかは、それこそ死活問題です。こうした疑念を抱くのは考え過ぎでしょうか。
以上はこれからシーズンに入るアレルギー性鼻炎の治療ガイドラインを眺めつつ感じた感想です。漢方ですか?漢方こそ恣意的な治療に陥り易い領域ですから、ガイドラインが必要だと思います。しかし、色々な流派がある漢方界では、そもそもガイドラインの作成自体がかなり困難な作業になるでしょう。たとえ、ガイドラインができたとしても、それぞれ一家言ある漢方家がすんなりとガイドラインに従うとは思えません。むしろ、この病気に、普通は使わないあの処方を使って治した、ということにこそ漢方の醍醐味を感じるものです。漢方治療へのガイドラインの導入は、本質的に相容れないところがあるかもしれません。
西洋医学ではこれからますます色々な領域でガイドラインが発表されていくことでしょう。しかし、その功罪を踏まえ、ガイドラインは「無視せず、盲信せず」で行きたいものです。
(雨宮修二)
2006年03月01日
047:ガイドライン
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2006年01月01日
046:新年(平成18年)のご挨拶
謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年もここ慈温堂において、より良い診療を提供できるよう尽力したいと思いますので、よろしくお願い致します。
今年も寒い冬となっています。ヨーロッパの方では大寒波が各所に被害を出しているらしく、大停電になっている地域もあるということです。日本でも新潟での被害を新聞で目にしました。現在のように生活の大部分を文明の利器(多くの電気器具)に依存している状態では、ちょとした停電でもその被害は甚大なものになる可能性があります。平々凡々たる毎日を過ごし、それ程大きな変化もない日にどっぷり浸かっていると、こうしたニュースを目にしても、それはどこか遠いところの自分とは関係ない世界の出来事のように思ってしまいがちです。しかし、実際は、いつ何時でも大変な状況に出くわす可能性の中で生きていることが真実です。「備えあれば、憂いなし」という言葉は多くの人が当然のように知っている言葉ではありますが、果たしてどれだけの人がその備えを怠らずにしているでしょうか。上記のようなニュースを目にしても、同じようなことが自分の身に起こった時、その状況を乗り切れる用意があるかといえば、私としては恥ずかしながら、全くないに等しい状態です。
以前にも書きましたが、「変化すること」が物事の本来の有り様であり、特に大きな変化に遭遇した場合は、普段からの心の持ち方や人生への覚悟に従って、それに応じる以外にないわけですが、自分の身の回りのことで、対処しうることは、どんな小さなことでも、予め用意を怠りなくしておきたいものです。自分一人であれば、ある程度の覚悟は出来ているつもりですが、大切な妻子を抱えている状況では、やはり、気づいたことから備えておくべきである、と新年を迎えるにあたってつくづく思われます。
この新年を機に、まず始めに「心の備え」を再確認し、次に身の回りで気が付くことから一つ一つ地道に片づけていこうと思います。
(遠田弘一)
今年も寒い冬となっています。ヨーロッパの方では大寒波が各所に被害を出しているらしく、大停電になっている地域もあるということです。日本でも新潟での被害を新聞で目にしました。現在のように生活の大部分を文明の利器(多くの電気器具)に依存している状態では、ちょとした停電でもその被害は甚大なものになる可能性があります。平々凡々たる毎日を過ごし、それ程大きな変化もない日にどっぷり浸かっていると、こうしたニュースを目にしても、それはどこか遠いところの自分とは関係ない世界の出来事のように思ってしまいがちです。しかし、実際は、いつ何時でも大変な状況に出くわす可能性の中で生きていることが真実です。「備えあれば、憂いなし」という言葉は多くの人が当然のように知っている言葉ではありますが、果たしてどれだけの人がその備えを怠らずにしているでしょうか。上記のようなニュースを目にしても、同じようなことが自分の身に起こった時、その状況を乗り切れる用意があるかといえば、私としては恥ずかしながら、全くないに等しい状態です。
以前にも書きましたが、「変化すること」が物事の本来の有り様であり、特に大きな変化に遭遇した場合は、普段からの心の持ち方や人生への覚悟に従って、それに応じる以外にないわけですが、自分の身の回りのことで、対処しうることは、どんな小さなことでも、予め用意を怠りなくしておきたいものです。自分一人であれば、ある程度の覚悟は出来ているつもりですが、大切な妻子を抱えている状況では、やはり、気づいたことから備えておくべきである、と新年を迎えるにあたってつくづく思われます。
この新年を機に、まず始めに「心の備え」を再確認し、次に身の回りで気が付くことから一つ一つ地道に片づけていこうと思います。
(遠田弘一)
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2005年11月01日
045:全く同感!
先月のトピックで、雨宮先生の方から「甘麦大棗湯の不思議」という内容を掲載されていましたが、私もこの処方には全く同じ思いでいる者です。
うちには、2人の子がいて、下の子(長女)が現在2歳、もうすぐ3歳になろうとしています。この子は、生まれつき鳴き声がすごい子で、声量があってドスの効いた声を響かせる上、誰に似たのか頑固で、なだめても、怒鳴っても、「泣くときは泣く」で絶対に妥協しません。だから、泣かれるともう手がつけられない状態で、特に夜に泣かれると親としては本当に弱り果ててしまいます。この子がよりによって、いつの頃からか夜泣きが始まってしまい、それはそれは大変な状況だったのですが、試しに使ってみた「甘麦大棗湯」が著効を示し、服用したその日ぐらいからピタッと夜泣きが無くなってしまいました。始めは偶然かと思っていましたので、しばらく(2〜3週間でしょうか)使ってみて、やめてみたところ、また、にわかに症状が戻ってきました。「あれっ」と思って、再び使い始めると、また治まります。こんなことを数度繰り返して、やはり、「甘麦大棗湯」が効いているんだという印象を強めました。今現在はもう服用していませんが、まぁ、夜はよく寝ていてくれています。他の多くのお子様で試した訳ではないので、まだ何ともいえませんが、自分としては「子供の夜泣き」には第一候補の処方となりました。というより、味からいってみても子供に使えるのはこれぐらいしかありません。
そんな印象をもっていた頃(ちょうど去年の4月頃)に9歳の男の子で、5歳の頃よりチック症(これは、ピクピクっとした素早い動きが、本人の意思とは関係なく、繰り返しおきてしまうものです。一番多い症状は瞬きで、そのほかにも、肩をぴくっと動かす、頭をふる、顔をしかめる、口を曲げる等いろいろとあります)で困っているという子が親と一緒に来院されました。チック症は、精神的なストレスが大きな要因の一つでもあり、本来は短期間(一過性)で治まってしまうもののようですので心配はいらないのですが、この子の場合は5歳の頃より4年間程、同症状があったようですので、ご両親としては心配だったと思います。この子もはじめは目がしょぼしょぼする感じが始まり、特に緊張した時に出やすく、だんだん頻度や長さ、それに症状が増悪してきているというものでした。もちろん、診療内科のカウンセリングや眼科から薬も処方されたがあまり効果がないとのことでした。
とにかく子供でしたので、やはり飲めるかどうかということで、始めに頭に思いついたのが、この「甘麦大棗湯」でした。「どれだけ効くかはわかりませんが、子供が飲みやすいので、まずこれから試してみましょう」ということで、この湯を2週間処方してみました。その約2週間後、電話があり、「少しましになっている」ということでしたので、さらに一ヶ月分の薬を送りました。その後は来院がなかったのですが、6月頃にメールが届きました。その内容は、「2ヶ月前に子供のチック症で来院させていただいた者です。処方されたものを試したところ、とてもひどかった症状がピタっと治まりました。1週間後に一日だけまた症状がひどく出た日があったのですが、その後も治まり、1ヶ月半服用させてから、自己判断でやめてみましたが、3週間程経っても、症状が治まったままです。こんなに即効性もあるのだと驚き感謝しています。もしまた症状が出ることがあっても安心です。ありがとうございました。」という内容でした。その後は、1年程経過し、今年の7月頃に「以前に比べるとひどくはないが、また症状が若干出始めてきていますので、薬がほしい」という内容の電話があり、1ヶ月分送りました。その後はまだ何も連絡がありません。調子がいいのだろうと考えられます。
というわけで、私もこの湯の不思議さを身を持って感じている者です。単純な処方なのに甘くて飲みやすくて、効果も期待できるという重宝なものです。まだまだ、いろいろな症例で使いたくなる処方です。
(遠田弘一)
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2005年10月01日
044:甘麦大棗湯の不思議
甘麦大棗湯は甘草、小麦、大棗の3味からなる非常に単純な漢方薬です。強い鎮静作用があり、不安感の強い場合に大変よく効く処方です。先日も不安感が強く、いてもたってもいられない中年の女性にこの薬を頓服として処方したところ、1週間後には晴れ晴れした顔で来院し「あの薬は大変良く効きました。できれば1日3回飲ませてください。」といわれました。この方に限らず、外れのない薬として私は頻用しています。
この3味からなる単純な漢方薬のどこにそんな力があるのか、誰しも不思議に思います。甘草、大棗は多くの漢方薬に含まれているありふれた生薬ですし、小麦は使われることの少ない生薬ですが、何といっても小麦です。この薬を処方すると皆さん甘くて飲みやすいとおっしゃいます。甘草も大棗も甘味のある生薬ですので、小麦が入ったとてかなり甘味が前面に出た処方です。甘味は人を幸福にする味覚といわれています。この甘味こそ甘麦大棗湯の面目ではないでしょうか。不安で落ち着かない時、人は甘味を求めるのでしょう。
14gも入っている小麦の作用は何なのかわかりませんが、小麦の含まれている厚朴麻黄湯には鎮静作用があまりないことから、小麦に特に鎮静作用がある訳でもなさそうです。しかし甘草と大棗の入った大多数の処方にはもちろん鎮静作用がないことから、甘草と大棗だけではだめで、甘草、小麦、大棗の3味が合わさって初めて鎮静作用が出現するようです。不思議ですね。
西洋薬の安定剤と違って甘麦大棗湯では眠気はおきません。一度使ってみるとその効果の確かさに驚き再び使ってみたくなる薬です。本当に甘麦大棗湯は不思議な薬です。
(雨宮修二)
この3味からなる単純な漢方薬のどこにそんな力があるのか、誰しも不思議に思います。甘草、大棗は多くの漢方薬に含まれているありふれた生薬ですし、小麦は使われることの少ない生薬ですが、何といっても小麦です。この薬を処方すると皆さん甘くて飲みやすいとおっしゃいます。甘草も大棗も甘味のある生薬ですので、小麦が入ったとてかなり甘味が前面に出た処方です。甘味は人を幸福にする味覚といわれています。この甘味こそ甘麦大棗湯の面目ではないでしょうか。不安で落ち着かない時、人は甘味を求めるのでしょう。
14gも入っている小麦の作用は何なのかわかりませんが、小麦の含まれている厚朴麻黄湯には鎮静作用があまりないことから、小麦に特に鎮静作用がある訳でもなさそうです。しかし甘草と大棗の入った大多数の処方にはもちろん鎮静作用がないことから、甘草と大棗だけではだめで、甘草、小麦、大棗の3味が合わさって初めて鎮静作用が出現するようです。不思議ですね。
西洋薬の安定剤と違って甘麦大棗湯では眠気はおきません。一度使ってみるとその効果の確かさに驚き再び使ってみたくなる薬です。本当に甘麦大棗湯は不思議な薬です。
(雨宮修二)
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2005年08月01日
043:親ばかのつぶやき-4
久々に私事をつぶやかせていただきます。子供が成長してゆくにつれ、手のかかることや心配事が増えていく毎日です。長男が4歳、長女が2歳、そして今、妻のお腹には、3人目の子供がいて、来年2月の出産にむけ、着々と成長しつつあります。今度はどんな個性を持った子が、この世に生まれ、私たちを喜ばせ、そして悩ませてくれるのか、楽しみです。
今我が家では、2人の子が、それはもうしたい放題のことをして、荒らしまくっています。特に上の子は妻と毎日のようにバトルを繰り広げているようで、私が帰宅した時もまだ、続いていることもしばしばです。仕事が休みの土日などは、私も子供の相手をしますが、時々あまりの我が儘さ加減にいらいらして、怒鳴りつけてしまうこともあります。しかし、時々、怒鳴った原因や内容をよくよく考えてみると、子供には子供の言い分があり、親の(あるいは大人としての)勝手な考えを押しつけているようなことに気づかされることもあります。親(大人)は、力が当然あるので、怒鳴りつければ、子供はそれ以上どうしようもありません。黙るか泣くかしかありません。しかし、それは、こちらの言い分がわかったからではなく、力関係上仕方がないからです。だから、なるべく子供の言い分を理解するように努め、子供の立場に立って、わかりやすく諭すように心がけようとは思っているのです。しかし、それが大事なことであると頭でわかっていても、忙しいときなどつい声を荒げてしまい、後になって反省することも多いものです。子育てとは、自分自身を育てていく(成長させていく)ことでもあるとつくづく思わされます。
もちろん、必要があれば、毅然たる態度で、叱ることは大事なことです。しかし、その根底にその子を思いやる気持ちがあるかどうか、大人としての勝手な考えや自分自身の感情のムラをただ押しつけていないかどうか、常に顧みることは大切だと思います。「一寸の虫にも五分の魂」、「八つ子も癇癪」と言うように、子供もある魂を持った尊い存在ですし、それなりの言い分もあります。親の接する態度というものを、子供なりに見ている、そしてそういった態度が、成長していく過程にも影響を与えるということを親として自覚することは大切ではないでしょうか。これは子供に対してだけでなく、あらゆる人間関係にも当てはまることですが、まず、自分自身は人に物を言える程、成長しているのか?という自問は常に持っていなければなりません。人間の内面の成長は何歳であろうと、ここで終わりということはありません。また、これは、年を重ねたから、得られるものでもありません。いかに自分が至らない人間であるかは、日々の生活の中で、瞬々刻々自分自身の有りようをしっかり見つめてみれば明らかだと思います。
少なくとも私はそうです。こういった日々の反省に加え、個人的には祈り心も大切だと思っています。神(あるいは宗教を)を信じている人、いない人、いろいろな考えや信仰は人それぞれ違うでしょうし、祈り心の内容も人それぞれでしょう。私もある祈り心とともにある者です。
自分が独りで、己のみで、生きていると思っているような人には、上記のことは、全くの馬耳東風でしょう。しかし、よくよく自分自身を観て、また周りを見てみれば、様々な人のお陰があり、社会からの恩恵があり、大自然からの恵み(空気、水、太陽…)があり、生かされている事実に気がつくはずです。あらゆるものの働きによって、まさに“生かされている自分”ということに気がつけば、自然と感謝する気持ちにもなり、祈り心にもつながっていくと思います。もっともこれもあまりにも当たり前のことなので、日々の生活でいろいろな忙しさに振り回されていると、こういうことに気づくこともできないまま過ごしている人達が大部分かもしれません。しかし、この気づきに至らない人達は、ただただ偶然のように人生が流れ、成長する機会を知らず知らずのうちに失っていることにもなりかねません。まぁ、人はどうあれ、自分は自分の成長に関わっていくしかありません。
子育てから始まって、えらそーな内容にまで、膨らんでしまいました。しかし、“つぶやき”と題していますので、まぁ、気にしないでいただければよいかと思います。
(遠田弘一)
今我が家では、2人の子が、それはもうしたい放題のことをして、荒らしまくっています。特に上の子は妻と毎日のようにバトルを繰り広げているようで、私が帰宅した時もまだ、続いていることもしばしばです。仕事が休みの土日などは、私も子供の相手をしますが、時々あまりの我が儘さ加減にいらいらして、怒鳴りつけてしまうこともあります。しかし、時々、怒鳴った原因や内容をよくよく考えてみると、子供には子供の言い分があり、親の(あるいは大人としての)勝手な考えを押しつけているようなことに気づかされることもあります。親(大人)は、力が当然あるので、怒鳴りつければ、子供はそれ以上どうしようもありません。黙るか泣くかしかありません。しかし、それは、こちらの言い分がわかったからではなく、力関係上仕方がないからです。だから、なるべく子供の言い分を理解するように努め、子供の立場に立って、わかりやすく諭すように心がけようとは思っているのです。しかし、それが大事なことであると頭でわかっていても、忙しいときなどつい声を荒げてしまい、後になって反省することも多いものです。子育てとは、自分自身を育てていく(成長させていく)ことでもあるとつくづく思わされます。
もちろん、必要があれば、毅然たる態度で、叱ることは大事なことです。しかし、その根底にその子を思いやる気持ちがあるかどうか、大人としての勝手な考えや自分自身の感情のムラをただ押しつけていないかどうか、常に顧みることは大切だと思います。「一寸の虫にも五分の魂」、「八つ子も癇癪」と言うように、子供もある魂を持った尊い存在ですし、それなりの言い分もあります。親の接する態度というものを、子供なりに見ている、そしてそういった態度が、成長していく過程にも影響を与えるということを親として自覚することは大切ではないでしょうか。これは子供に対してだけでなく、あらゆる人間関係にも当てはまることですが、まず、自分自身は人に物を言える程、成長しているのか?という自問は常に持っていなければなりません。人間の内面の成長は何歳であろうと、ここで終わりということはありません。また、これは、年を重ねたから、得られるものでもありません。いかに自分が至らない人間であるかは、日々の生活の中で、瞬々刻々自分自身の有りようをしっかり見つめてみれば明らかだと思います。
少なくとも私はそうです。こういった日々の反省に加え、個人的には祈り心も大切だと思っています。神(あるいは宗教を)を信じている人、いない人、いろいろな考えや信仰は人それぞれ違うでしょうし、祈り心の内容も人それぞれでしょう。私もある祈り心とともにある者です。
自分が独りで、己のみで、生きていると思っているような人には、上記のことは、全くの馬耳東風でしょう。しかし、よくよく自分自身を観て、また周りを見てみれば、様々な人のお陰があり、社会からの恩恵があり、大自然からの恵み(空気、水、太陽…)があり、生かされている事実に気がつくはずです。あらゆるものの働きによって、まさに“生かされている自分”ということに気がつけば、自然と感謝する気持ちにもなり、祈り心にもつながっていくと思います。もっともこれもあまりにも当たり前のことなので、日々の生活でいろいろな忙しさに振り回されていると、こういうことに気づくこともできないまま過ごしている人達が大部分かもしれません。しかし、この気づきに至らない人達は、ただただ偶然のように人生が流れ、成長する機会を知らず知らずのうちに失っていることにもなりかねません。まぁ、人はどうあれ、自分は自分の成長に関わっていくしかありません。
子育てから始まって、えらそーな内容にまで、膨らんでしまいました。しかし、“つぶやき”と題していますので、まぁ、気にしないでいただければよいかと思います。
(遠田弘一)
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2005年05月01日
042:医療費を抑制しすぎてごめんなさい
さしもの花粉症もピークを越えたようです。ほとんどの患者さんはもう楽になったとおっしゃいます。かくいう私もアレルギーには縁がないと高をくくっていたのですが、今年はどうやら発症してしまったようです。「先生、眼をこすってますね。」と先日指摘され、気がつくと確かに眼に手がいくことが多いのです。血液検査はしていませんが、抗ヒスタミンの眼薬で改善するところからすると、確かに花粉症のようです。
痒い眼をこすりながら、日本の医療改革をイギリスと比べ検討した本(「医療費抑制の時代」を越えて、近藤克則)を先日読みました。タイトルからわかる通り、これ以上医療費抑制政策を続けると日本の医療は荒廃するといった内容です。以前にこの欄で「思考停止」と題して日本の医療費は決して高くないとグラフを掲げて触れたことがありました。医療の破綻した(癌患者が手術するまで2年待たされた!)イギリスと対比しての検討を読むと、さらにその感を強くしました。医者である私が医療費は抑制するなといっても、我田引水と思われてしまうかもしれませんが、他国の医療事情もよく知って、マスコミの偏った論を鵜のみにしてほしくないものです。
先進国中唯一対GDP比医療費が日本より低いイギリスでは、基本的に医療は国が提供し、費用は無料ですが、必要な医療を必要な時に受けることは誠に難しいようです(待機者名簿には常に100万人前後の待機者)。理由は医師も看護師も不足している上、医療従事者の士気の低下が著しいのだそうです。医師は待遇の良い他国に流出してしまいマンパワーが不足している上、不幸な医師はもう頑張らない。さすがにこれではだめだと悟ったか、ブレア政権になって医療費を上げる政策に切り替え、医療費を1.5倍に引き上げ、まずはヨーロッパの先進国のレベルにまで追いつこうとしているそうです。
さて医療改革というと医療費の抑制しか頭にない日本の為政者はこうしたレポートをどう読むのか。改革と称して一部の財界人に都合の良いように、世界でもっとも効率の良い医療とWHOからもお墨付きを得ている日本の医療制度を壊してよいものか。開業医の集まりに出ると、早く辞めたいという先生も増えてきています。イギリス程ではないにせよ日本でも医療従事者の士気は落ちつつあるのかもしれません。
医療事故が絶えないのはどうしてか。医師や看護師が不注意なせいでしょうか。研修医の厳しい労働条件や看護師の厳しい仕事ぶりや人手不足を改善しない限り、医療事故は減らないでしょう(地域の寿命を決める因子は人口あたりに医師数という報告あり)。効率と安全は両立しがたいのは、JR西の列車事故を見るまでもなく明らかなことです。長期に及ぶ医療費抑制政策の歪みはもう出ているのです。ゆとり教育は誤っていましたと、文部科学大臣は子供に謝りました。医療費を抑制しすぎてごめんなさいと、厚生労働大臣が国民に謝る事態にはならないでしょうか。
(雨宮修二)
痒い眼をこすりながら、日本の医療改革をイギリスと比べ検討した本(「医療費抑制の時代」を越えて、近藤克則)を先日読みました。タイトルからわかる通り、これ以上医療費抑制政策を続けると日本の医療は荒廃するといった内容です。以前にこの欄で「思考停止」と題して日本の医療費は決して高くないとグラフを掲げて触れたことがありました。医療の破綻した(癌患者が手術するまで2年待たされた!)イギリスと対比しての検討を読むと、さらにその感を強くしました。医者である私が医療費は抑制するなといっても、我田引水と思われてしまうかもしれませんが、他国の医療事情もよく知って、マスコミの偏った論を鵜のみにしてほしくないものです。
先進国中唯一対GDP比医療費が日本より低いイギリスでは、基本的に医療は国が提供し、費用は無料ですが、必要な医療を必要な時に受けることは誠に難しいようです(待機者名簿には常に100万人前後の待機者)。理由は医師も看護師も不足している上、医療従事者の士気の低下が著しいのだそうです。医師は待遇の良い他国に流出してしまいマンパワーが不足している上、不幸な医師はもう頑張らない。さすがにこれではだめだと悟ったか、ブレア政権になって医療費を上げる政策に切り替え、医療費を1.5倍に引き上げ、まずはヨーロッパの先進国のレベルにまで追いつこうとしているそうです。
さて医療改革というと医療費の抑制しか頭にない日本の為政者はこうしたレポートをどう読むのか。改革と称して一部の財界人に都合の良いように、世界でもっとも効率の良い医療とWHOからもお墨付きを得ている日本の医療制度を壊してよいものか。開業医の集まりに出ると、早く辞めたいという先生も増えてきています。イギリス程ではないにせよ日本でも医療従事者の士気は落ちつつあるのかもしれません。
医療事故が絶えないのはどうしてか。医師や看護師が不注意なせいでしょうか。研修医の厳しい労働条件や看護師の厳しい仕事ぶりや人手不足を改善しない限り、医療事故は減らないでしょう(地域の寿命を決める因子は人口あたりに医師数という報告あり)。効率と安全は両立しがたいのは、JR西の列車事故を見るまでもなく明らかなことです。長期に及ぶ医療費抑制政策の歪みはもう出ているのです。ゆとり教育は誤っていましたと、文部科学大臣は子供に謝りました。医療費を抑制しすぎてごめんなさいと、厚生労働大臣が国民に謝る事態にはならないでしょうか。
(雨宮修二)
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2005年03月01日
041:冬の風邪とインフルエンザ
3月も終わりに近づき、ようやく暖かくなり、春になってきた感がありますが、まだ、朝方など寒い時もあります。今回の冬は特に感冒性胃腸炎(あるいは感冒性嘔吐下痢症)とインフルエンザが目立ちました。インフルエンザなどはまだちらほら散見されます。私も週に1回、他の病院の内科の外来をしていますが、2月に入った頃から3月半ばまで毎回1人〜7人程度のインフルエンザの患者さんを診ました。「急に38℃〜40℃の熱が出てきました」という典型的な訴えでやってくるので、迅速診断キットで調べると、本当によくヒットしました。通常の風邪とインフルエンザでは、もちろん症状とその程度あるいは流行性に関して違いがありますが、基本的にはウイルス(場合によっては細菌)が原因であり、そのもっとも重要な予防法としては共通しています。私は内科外来で診る風邪(あるいはインフルエンザ)の患者さんにはなるべく、下記に記すようなことを話すようにしています。ただし、受診する患者さんは既に症状に罹患しており、中には高熱で頭がふらふらしている人や、お腹のむかつきで、それどころではない人もいますので、どれだけ記憶に残っているかはわかりませんが、この場を借りて、もう一度話しておこうと思います。次回の冬の風邪やインフルエンザに備えて・・・。
一般的に言って、風邪あるいはインフルエンザは飛沫感染あるいは手や指先を介することによる感染によって罹患するとされています。つまり、口や鼻から病原体(ウイルスや細菌)が入り、のど(咽頭)から肺に達するまでの空気の通り道(気道)付着して炎症を引き起こすわけです。特に上の方(鼻腔・咽頭・喉頭のあたり)に炎症が起こると、咽や鼻の症状としてよく見られる風邪(急性上気道炎)ということになります。もちろん、それより奥の下気道にまで炎症が及ぶこともあります。このようなことを踏まえると予防法として重要なことも自ずと明らかになってきます。それは外出時は、特に風邪やインフルエンザが流行っている時期は、人混みの中ではマスクをし、帰ってからの手洗い・うがいです。顔などに病原体が付着していることもありますので、外から帰ってきたら、顔と手を洗い、よくうがいをすることが大切です。まったく単純なことですが、実は一番重要な予防法であるわけです。次に大事なこととしては、部屋の乾燥を防ぐことです。冬は特に乾燥しやすい時期であるので、部屋の中も乾燥しやすくなり、病原体は軽いので、空気中を漂いやすくなる上、鼻粘膜なども乾燥して病原体が入り込みやすくなるのです。部屋の湿度は50〜60%以上には保った方がよいとされています。昔は自然の知恵で、ストーブの上にヤカンをのせてお湯を沸かし、いつでもお茶を飲める状態とともに自然な蒸気で部屋の湿度を保っていたのですが、今はエアコンで暖房している場合がほとんどですので、さらに乾燥しやすい状況を作り上げています。現状に即した対策としてはやはり加湿器を使うのが一番いいと思います。また空気が淀むのもよくないので、冬でも昼間は適度に窓などを開けて換気をすることも大切です。以上のことが一番重要な予防法です。わかってはいても以外に見過ごされていることだと思います。
さて、次に罹ってしまった場合の対処です。簡単に言うならば、水分補給、身体を暖かめに保つ、ゆっくり休むということにつきます。あまり簡単なので、気が抜けるかもしれませんが、一つずつ話します。
ゆっくり休むということですが、これは実は多くの人がしたいけれどもできないことの一つではないでしょうか。日本では風邪ぐらいで仕事を休むことは許されないという風潮というか社会的背景があります。私は留学の経験はないので、これはその経験をした人から聞いた話、あるいは本などで体験談を読んだことからの引用ですが、米国では風邪を引いて出勤するといやがられるそうです。つまり風邪をうつされる可能性があるからです。「風邪は万病のもと」と言われるように、侮ってこじらせると様々な病気を併発するものなので、やはり風邪の時は気兼ねなく、ゆっくり休める社会のあり方が望ましいとは思います。しかし、現状では人それぞれの事情に合わせて、なるべく休養をとるようにするしかないようです。ゆっくり休むことで、落ちている抵抗力を回復させることができ、風邪を風邪のまま(万病に至らせずに)治す環境を整えることができます。
普段から抵抗力を落とさないためにも、あまり無理をし過ぎるような生活状況も要注意です。すなわち、睡眠不足、喫煙、暴飲暴食、過労働あるいは遊びすぎ・・・と多くの人が「わかっちゃいるけど、やめられない」生活習慣等です。
次に身体を暖かく保つということですが、実は、人間の身体は精妙にできていて、風邪などを引くと体温調節機構の働きで、自然に発熱する方向に促されます。これは高体温下では病原体の増殖が抑制されるそうで、遙かな昔から自然に備わった生体の防御反応の一つなのです。こうして増殖を抑制している間に抗体などを作って、病原体を体外へ排除し、病気が治るという経過をたどります。従って、風邪は人にもよりますが、大体1週間前後で、上記のような経過を辿り自然に(薬を服用せずとも)治るものなのです。ところが、誤解をしている人が多く、何か薬を飲まないと治らないか、点滴あるいは注射をすると早く治ると思っているようです。薬は治しているというより、症状をやや軽減して過ごしやすくしていると思ってください。その間に上記のような経過を辿り、本来は身体自体が治しているのです。また、点滴などが意味を持つのは、その方法でしか、水分を補えないような病態のとき、すなわち、発熱によって、頭がモウロウとしている、あるいは吐き下しが激しく、口からの飲水が困難である場合などです。あまりにひどい脱水傾向に陥ると生命の危険にもつながりますので、そのような時は点滴が非常に有効でありますし、必要に応じて解熱剤や場合によっては抗生物質を投与することもできるのです。今ではたいていどこの医院でも手軽にできますので、昔に比べれば、この恩恵は計り知れないものがあります。しかし、それ以外の場合は一時的に気分がよくなることはあっても点滴が病気そのものを治すわけではありません。必要もないのに点滴をするのは、痛い思いをして時間をかけて、スポーツドリンクを1本飲む程度のことをしていると思った方がよいでしょう。またいま出てきた抗生物質ですが、抗生物質とは細菌に対して使用する薬ですので、肺炎その他で、細菌による感染症が明らかな場合は必要となってきますが、風邪の多くはウイルスが原因ですので不要なものです。
さて、ここで重要なことに発熱の対処ということがあります。今まで述べたとおり、発熱は重要な生体防御反応の一つでありますので、ただ闇雲に熱がでたら、解熱剤を使って下げるということは、身体がせっかく治そうとしていることを阻害して、病気を返って長引かせることをしていることになります。確かに、熱が有るときはしんどいでしょうし、解熱剤を使えば、おそらく楽になるのでしょう。しかし、やたらに使う習慣をつけてしまうのは、上記の理由で良くないことなのです。多くの患者さんはすぐに熱を下げて楽になろうとし(これも社会的要因がからんでいるようですが)、すぐに解熱剤をほしがる、医者は上記のことを説明しても一文の得にもならない、薬を処方すれば、それだけ儲かるということで、簡単に処方しているのが現状ではないでしょうか。今は健康ブームですので、自分の健康については、ただ医者任せにするのではなく、自分で管理していく人達も増えてきていると思いますが、上記のような人間の身体の精妙な機序について、十分留意する人達が多くなればなるほど、不要な医療がまかり通ることも少なくなっていくのではないでしょうか。
さて、最後に水分補給ですが、人間は生まれた時の身体の水分の占める割合は約80%と言われています。年齢が進むに従って、だんだんひからびてくるのか60〜70%ぐらいになるそうですが、やはり、水分が大部分を占め、重要な役割を演じています。また、成人では人によりその量は前後しますが、排尿その他で一日平均約2リットル近くの水分を失うと言われます。尿として不要なものを体外へ排出し、また様々な物質代謝の場としても、水分はなくてはならないものであり、従って、普段から水分を十分補給することは大切なわけです。特に風邪などに罹患した際は発熱したり、下痢したりとさらに水分を失う状態になるので、こういう場合は特に意識的に水分補給が大事なことになります。
漢方では、昔から、風邪のような病態のときは、よく発汗を促す働きのある湯を処方してきました。もちろん、その人の証(人それぞれの病態の特徴を漢方的にとらえた理学所見)によって、強力に作用させる処方にするか弱く作用させる処方にするかという違いはあります。発汗を促すというのは、上記に述べた生体防御反応の発熱を促しやすい環境を整えるということになります。特に夜寝るときにじわ〜っと汗をかくように持っていくと汗をかいた後に自然に解熱を促すことになります。また、風邪に伴う、身体の節々の痛みも上手に汗をかければ、1日で軽快することもあります。汗をかくと体内水分が減少し、脱水傾向になります。従って、水分補給が重要となるのです。
まだまだ、言いたいことがたくさんあるのですが、かなり長くなってしまったので、これで筆を置きます。毎冬必ず、注意しなければならない風邪予防です。以上のことを心にとめて、これからの冬を元気に乗り切っていってほしいと切望いたします。
(遠田弘一)
一般的に言って、風邪あるいはインフルエンザは飛沫感染あるいは手や指先を介することによる感染によって罹患するとされています。つまり、口や鼻から病原体(ウイルスや細菌)が入り、のど(咽頭)から肺に達するまでの空気の通り道(気道)付着して炎症を引き起こすわけです。特に上の方(鼻腔・咽頭・喉頭のあたり)に炎症が起こると、咽や鼻の症状としてよく見られる風邪(急性上気道炎)ということになります。もちろん、それより奥の下気道にまで炎症が及ぶこともあります。このようなことを踏まえると予防法として重要なことも自ずと明らかになってきます。それは外出時は、特に風邪やインフルエンザが流行っている時期は、人混みの中ではマスクをし、帰ってからの手洗い・うがいです。顔などに病原体が付着していることもありますので、外から帰ってきたら、顔と手を洗い、よくうがいをすることが大切です。まったく単純なことですが、実は一番重要な予防法であるわけです。次に大事なこととしては、部屋の乾燥を防ぐことです。冬は特に乾燥しやすい時期であるので、部屋の中も乾燥しやすくなり、病原体は軽いので、空気中を漂いやすくなる上、鼻粘膜なども乾燥して病原体が入り込みやすくなるのです。部屋の湿度は50〜60%以上には保った方がよいとされています。昔は自然の知恵で、ストーブの上にヤカンをのせてお湯を沸かし、いつでもお茶を飲める状態とともに自然な蒸気で部屋の湿度を保っていたのですが、今はエアコンで暖房している場合がほとんどですので、さらに乾燥しやすい状況を作り上げています。現状に即した対策としてはやはり加湿器を使うのが一番いいと思います。また空気が淀むのもよくないので、冬でも昼間は適度に窓などを開けて換気をすることも大切です。以上のことが一番重要な予防法です。わかってはいても以外に見過ごされていることだと思います。
さて、次に罹ってしまった場合の対処です。簡単に言うならば、水分補給、身体を暖かめに保つ、ゆっくり休むということにつきます。あまり簡単なので、気が抜けるかもしれませんが、一つずつ話します。
ゆっくり休むということですが、これは実は多くの人がしたいけれどもできないことの一つではないでしょうか。日本では風邪ぐらいで仕事を休むことは許されないという風潮というか社会的背景があります。私は留学の経験はないので、これはその経験をした人から聞いた話、あるいは本などで体験談を読んだことからの引用ですが、米国では風邪を引いて出勤するといやがられるそうです。つまり風邪をうつされる可能性があるからです。「風邪は万病のもと」と言われるように、侮ってこじらせると様々な病気を併発するものなので、やはり風邪の時は気兼ねなく、ゆっくり休める社会のあり方が望ましいとは思います。しかし、現状では人それぞれの事情に合わせて、なるべく休養をとるようにするしかないようです。ゆっくり休むことで、落ちている抵抗力を回復させることができ、風邪を風邪のまま(万病に至らせずに)治す環境を整えることができます。
普段から抵抗力を落とさないためにも、あまり無理をし過ぎるような生活状況も要注意です。すなわち、睡眠不足、喫煙、暴飲暴食、過労働あるいは遊びすぎ・・・と多くの人が「わかっちゃいるけど、やめられない」生活習慣等です。
次に身体を暖かく保つということですが、実は、人間の身体は精妙にできていて、風邪などを引くと体温調節機構の働きで、自然に発熱する方向に促されます。これは高体温下では病原体の増殖が抑制されるそうで、遙かな昔から自然に備わった生体の防御反応の一つなのです。こうして増殖を抑制している間に抗体などを作って、病原体を体外へ排除し、病気が治るという経過をたどります。従って、風邪は人にもよりますが、大体1週間前後で、上記のような経過を辿り自然に(薬を服用せずとも)治るものなのです。ところが、誤解をしている人が多く、何か薬を飲まないと治らないか、点滴あるいは注射をすると早く治ると思っているようです。薬は治しているというより、症状をやや軽減して過ごしやすくしていると思ってください。その間に上記のような経過を辿り、本来は身体自体が治しているのです。また、点滴などが意味を持つのは、その方法でしか、水分を補えないような病態のとき、すなわち、発熱によって、頭がモウロウとしている、あるいは吐き下しが激しく、口からの飲水が困難である場合などです。あまりにひどい脱水傾向に陥ると生命の危険にもつながりますので、そのような時は点滴が非常に有効でありますし、必要に応じて解熱剤や場合によっては抗生物質を投与することもできるのです。今ではたいていどこの医院でも手軽にできますので、昔に比べれば、この恩恵は計り知れないものがあります。しかし、それ以外の場合は一時的に気分がよくなることはあっても点滴が病気そのものを治すわけではありません。必要もないのに点滴をするのは、痛い思いをして時間をかけて、スポーツドリンクを1本飲む程度のことをしていると思った方がよいでしょう。またいま出てきた抗生物質ですが、抗生物質とは細菌に対して使用する薬ですので、肺炎その他で、細菌による感染症が明らかな場合は必要となってきますが、風邪の多くはウイルスが原因ですので不要なものです。
さて、ここで重要なことに発熱の対処ということがあります。今まで述べたとおり、発熱は重要な生体防御反応の一つでありますので、ただ闇雲に熱がでたら、解熱剤を使って下げるということは、身体がせっかく治そうとしていることを阻害して、病気を返って長引かせることをしていることになります。確かに、熱が有るときはしんどいでしょうし、解熱剤を使えば、おそらく楽になるのでしょう。しかし、やたらに使う習慣をつけてしまうのは、上記の理由で良くないことなのです。多くの患者さんはすぐに熱を下げて楽になろうとし(これも社会的要因がからんでいるようですが)、すぐに解熱剤をほしがる、医者は上記のことを説明しても一文の得にもならない、薬を処方すれば、それだけ儲かるということで、簡単に処方しているのが現状ではないでしょうか。今は健康ブームですので、自分の健康については、ただ医者任せにするのではなく、自分で管理していく人達も増えてきていると思いますが、上記のような人間の身体の精妙な機序について、十分留意する人達が多くなればなるほど、不要な医療がまかり通ることも少なくなっていくのではないでしょうか。
さて、最後に水分補給ですが、人間は生まれた時の身体の水分の占める割合は約80%と言われています。年齢が進むに従って、だんだんひからびてくるのか60〜70%ぐらいになるそうですが、やはり、水分が大部分を占め、重要な役割を演じています。また、成人では人によりその量は前後しますが、排尿その他で一日平均約2リットル近くの水分を失うと言われます。尿として不要なものを体外へ排出し、また様々な物質代謝の場としても、水分はなくてはならないものであり、従って、普段から水分を十分補給することは大切なわけです。特に風邪などに罹患した際は発熱したり、下痢したりとさらに水分を失う状態になるので、こういう場合は特に意識的に水分補給が大事なことになります。
漢方では、昔から、風邪のような病態のときは、よく発汗を促す働きのある湯を処方してきました。もちろん、その人の証(人それぞれの病態の特徴を漢方的にとらえた理学所見)によって、強力に作用させる処方にするか弱く作用させる処方にするかという違いはあります。発汗を促すというのは、上記に述べた生体防御反応の発熱を促しやすい環境を整えるということになります。特に夜寝るときにじわ〜っと汗をかくように持っていくと汗をかいた後に自然に解熱を促すことになります。また、風邪に伴う、身体の節々の痛みも上手に汗をかければ、1日で軽快することもあります。汗をかくと体内水分が減少し、脱水傾向になります。従って、水分補給が重要となるのです。
まだまだ、言いたいことがたくさんあるのですが、かなり長くなってしまったので、これで筆を置きます。毎冬必ず、注意しなければならない風邪予防です。以上のことを心にとめて、これからの冬を元気に乗り切っていってほしいと切望いたします。
(遠田弘一)
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2005年02月01日
040:花粉症の漢方薬
今年はスギ花粉の飛散量が例年の30倍に達するとさかんにメディアで報道されています。実際いつもの年より花粉症の発症は早いようです。敏感な方はすでに昨年の12月頃から花粉症の症状を訴えていらっしゃいます。
花粉症の治療薬としては最近多くの西洋薬が開発されています。抗ヒスタミン薬は最近のものではほとんど眠気がおこりません。新しい機序の抗アレルギー薬もあります。またステロイドの点鼻薬は全身への影響が少なく、特に鼻閉の強い時には適応です。
花粉症の漢方薬としては、やはり小青竜湯がよく使われます。この薬は即効性があり、漢方薬は時間がかかるとの思い込みを気持ち良く打ち破ってくれます。花粉症にかぎっていえば、むしろ西洋薬の方に効果発現までに時間のかかる薬が多いのです。麻黄附子細辛湯も花粉症に使われる漢方薬です。この薬にはカプセル剤もあり、煎じ薬やエキス剤(粉)は飲めないという患者さんには朗報です。
花粉症はもはや国民病といえるくらい多くの方が罹患しています。鼻がつまって頭までぼーっとしてきては、仕事の効率にも影響します。スギ花粉の飛散は残念ながら当分続く現象です。ぜひ自分にあった薬を見つけて、このつらいシーズンを少しでも快適に過ごして欲しいものです。
(雨宮修二)
花粉症の治療薬としては最近多くの西洋薬が開発されています。抗ヒスタミン薬は最近のものではほとんど眠気がおこりません。新しい機序の抗アレルギー薬もあります。またステロイドの点鼻薬は全身への影響が少なく、特に鼻閉の強い時には適応です。
花粉症の漢方薬としては、やはり小青竜湯がよく使われます。この薬は即効性があり、漢方薬は時間がかかるとの思い込みを気持ち良く打ち破ってくれます。花粉症にかぎっていえば、むしろ西洋薬の方に効果発現までに時間のかかる薬が多いのです。麻黄附子細辛湯も花粉症に使われる漢方薬です。この薬にはカプセル剤もあり、煎じ薬やエキス剤(粉)は飲めないという患者さんには朗報です。
花粉症はもはや国民病といえるくらい多くの方が罹患しています。鼻がつまって頭までぼーっとしてきては、仕事の効率にも影響します。スギ花粉の飛散は残念ながら当分続く現象です。ぜひ自分にあった薬を見つけて、このつらいシーズンを少しでも快適に過ごして欲しいものです。
(雨宮修二)
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2005年01月01日
039:新年(平成17年)のご挨拶
謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。
今世の中では様々な事件が続けざまに起こっていますので、心から新春を喜び迎える気持ちになれない方々も大勢いることと思います。しかし、いつの時代でも、どこの場所でも、変化は常に起こっています。宇宙の最新情報に詳しいわけではありませんが、まだ、宇宙は膨張しているといわれています。つまり、瞬々刻々宇宙は変化していますので、その中で存在しているあらゆるものは、この変化から逃れることはできません。別に、新年を迎えたから変わるわけではなく、一瞬一瞬が変化の連続であるのが、物事の真実です。しかし、私を含め、ほとんどの人々が、日々の生活に埋没し、そういうことをあまり意識せずに生活しているため、何か大きなことが起こって初めて、すべてが変化していることに気づかされるようです。いずれにしろ、新しい年を一つの区切りとし、新たな気持ちで、生きていきたいと思います。また、慈温堂も去年移転し、新しい場所になりましたので、気持ちも新たに、より多くの人に少しでも役に立つ漢方医療を提供していきたいと思っています。
さて、個人的には、2人の手のかかる子供を抱えていますので、年末も年始もあまりこれといった変わりもなく、相変わらず忙しく毎日が過ぎていきます。ところで、世間では、韓流ブームです。私も、去年から始まった韓国のTVドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」に妻と一緒にハマり、その勢いで、以前から話題だった「冬のソナタ」のDVDを借りて、年末から年始にかけて一緒に見ました。そして初めて、「ヨンさまブーム」が起こっていることを「なるほど」と納得できました。細部を見るといろいろな疑問点や出来過ぎている部分もありますが、やはり、美しい場所、絶妙のタイミングで流れてくる曲、心に残る言葉の3拍子揃って展開していくので、元々涙腺の緩い私としては、流れる涙を止めることができませんでした。だからといって「ヨンさまグッズ」を買おうとは思いませんが、韓国語を含め韓国に以前より興味を持ち始めています。しばらくこのブームは私の家庭でも続きそうです。
(遠田弘一)
今世の中では様々な事件が続けざまに起こっていますので、心から新春を喜び迎える気持ちになれない方々も大勢いることと思います。しかし、いつの時代でも、どこの場所でも、変化は常に起こっています。宇宙の最新情報に詳しいわけではありませんが、まだ、宇宙は膨張しているといわれています。つまり、瞬々刻々宇宙は変化していますので、その中で存在しているあらゆるものは、この変化から逃れることはできません。別に、新年を迎えたから変わるわけではなく、一瞬一瞬が変化の連続であるのが、物事の真実です。しかし、私を含め、ほとんどの人々が、日々の生活に埋没し、そういうことをあまり意識せずに生活しているため、何か大きなことが起こって初めて、すべてが変化していることに気づかされるようです。いずれにしろ、新しい年を一つの区切りとし、新たな気持ちで、生きていきたいと思います。また、慈温堂も去年移転し、新しい場所になりましたので、気持ちも新たに、より多くの人に少しでも役に立つ漢方医療を提供していきたいと思っています。
さて、個人的には、2人の手のかかる子供を抱えていますので、年末も年始もあまりこれといった変わりもなく、相変わらず忙しく毎日が過ぎていきます。ところで、世間では、韓流ブームです。私も、去年から始まった韓国のTVドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」に妻と一緒にハマり、その勢いで、以前から話題だった「冬のソナタ」のDVDを借りて、年末から年始にかけて一緒に見ました。そして初めて、「ヨンさまブーム」が起こっていることを「なるほど」と納得できました。細部を見るといろいろな疑問点や出来過ぎている部分もありますが、やはり、美しい場所、絶妙のタイミングで流れてくる曲、心に残る言葉の3拍子揃って展開していくので、元々涙腺の緩い私としては、流れる涙を止めることができませんでした。だからといって「ヨンさまグッズ」を買おうとは思いませんが、韓国語を含め韓国に以前より興味を持ち始めています。しばらくこのブームは私の家庭でも続きそうです。
(遠田弘一)
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2004年10月01日
038:幼稚園の運動会
慈温堂移転に伴い、9月の後半から10月初旬にかけ、忙しくしていたため、皆様にはいろいろとご迷惑をおかけしたことと思います。申し訳ありませんでした。10月に入って、移転も無事に終わり、既に新しい場所にて診療も開始しています。前に比べて不便な点(トイレや水回りなど)もありますが、駅に近くなり、場所もにぎやかで、夜遅くなっても安心であり、窓も広く、昼は明るい場所なので、私としては、思い切って移転して良かったと思っています。また、新たな気持ちで、漢方でよりよい医療を提供していきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願い致します。
さて、トピックと言えば、この移転が今のところ最大のトピックですが、詳しく移転に至る経過をお話してもあまり面白くないと思いますので、最近のいくつかの出来事を取り上げたいと思います。
先ず、この間通過したばかりの台風23号ですが、超特大というだけあってかなりの被害を出していることが新聞やテレビで報道されています。確かに、最近までの台風でこれほどの死傷者をだしたというのは、私の記憶にありませんので、かなりの大きさだったのだと思いますが、私の住居近辺に限って言えば、それ程大きな台風だったという印象はありませんでした。しかし、被害に遭われた方々は大変なことだろうと思います。私自身は台風による直接の被害を体験したことがないため、台風の怖さを実感としては持てないのですが、父から以前聞いた話では、父も若い頃、東京の古い家に住んでいたときに台風による床上浸水を経験し、しばらく不自由な生活を余儀なくされて大変だったようです。畳などは変形して使えなくなるし、その他のさまざまなものも水浸しになり、台風が過ぎ去った後々まで、被害が続くようです。最も、自然災害は地震にしろ、台風にしろ、後々まで、その爪痕を残しますので、普段からそうなった際の心構えが必要だと思います。いつも台風が来ると、必ずどこかで、屋根にのぼって補修をしているときに突風に飛ばされたということをよく耳にします。こういう惨事を耳にするたびに、普段の平穏な時にやるべきことをやっておくということが重要であるとつくづく思います。自分もそうですが、やらなければならないとわかっていてもなかなかすぐにできなかったり、しばしば先に延ばしてしまったりしまいがちです。しかし、こういう惨事を教訓として今やるべきことは、今やるという姿勢を新たにすることは大切だと思います。
さて、話題は変わって、先日(10/17)の日曜日に上の息子(3歳10ヶ月)の幼稚園の運動会に行ってきました。私は、無精な方ですので、世のお父さん達のように場所取りのために前日からとか朝早くから行くというようなことはしませんでした。家族で一緒に出かけ、開始時刻の数分前に到着という、いたってのんきな関わり方でした。うちの子もそうですが、年少さんでは、かけっこなどではコースを外れる子もいれば、ころんで泣く子もいるというどこでも見られそうなほほえましい様子で、みんなあまり競争という意識はなく、遊びの感覚で、じゃれあっているような印象でした。しかし、さすがに年中さんから年長さんになるとそれなりに目的意識を持っているような動きで、身体能力の差もかなりはっきりしてきている印象がありました。
我が子はといえば、かけっこなど、みんなが走るからそれなりに走るという感じでしたし、お遊戯でも他の子が両手を羽ばたいて、走っている時にも、疲れているのかやる気がないのか、羽ばたきもせずに歩いている・・・。年長さんのかけっこで、まわりが白熱しているときに、遠くに認める姿を観察すると、座ったところの目の前の砂で山を作っている始末・・・。「う〜ん・・・、さすがB型」とある種感心しつつ、自分も運動会は苦手な方だったので、自分の小さい頃を見ているような、これから成長して世の中に出て行くようになると、多かれ少なかれ、他人と競争するような場面に出くわすであろうことを思って少し心配になる一方で、自分の人生を振り返ってみると、小・中学生の頃の運動会以外あまり競争ということを強く意識したことがないまま自分自身の道を歩いてきた気もするので、「この子にはこの子の人生がある。自分の道を見つけられれば、それが一番いいことだ。」とある種、達観できるような気持ちも同時にあり、なにやら複雑な気持ちになりました。「結局は自分が満足できる自分の道を歩むことが一番大事であり、そのために何か親として手助けが出来れば、それをすればよい。何もなければ、最終的にはその子を信じて、見守っていくことしかないな。」と、幼稚園の運動会ごときで、いろいろ考えさせられました。
(遠田弘一)
さて、トピックと言えば、この移転が今のところ最大のトピックですが、詳しく移転に至る経過をお話してもあまり面白くないと思いますので、最近のいくつかの出来事を取り上げたいと思います。
先ず、この間通過したばかりの台風23号ですが、超特大というだけあってかなりの被害を出していることが新聞やテレビで報道されています。確かに、最近までの台風でこれほどの死傷者をだしたというのは、私の記憶にありませんので、かなりの大きさだったのだと思いますが、私の住居近辺に限って言えば、それ程大きな台風だったという印象はありませんでした。しかし、被害に遭われた方々は大変なことだろうと思います。私自身は台風による直接の被害を体験したことがないため、台風の怖さを実感としては持てないのですが、父から以前聞いた話では、父も若い頃、東京の古い家に住んでいたときに台風による床上浸水を経験し、しばらく不自由な生活を余儀なくされて大変だったようです。畳などは変形して使えなくなるし、その他のさまざまなものも水浸しになり、台風が過ぎ去った後々まで、被害が続くようです。最も、自然災害は地震にしろ、台風にしろ、後々まで、その爪痕を残しますので、普段からそうなった際の心構えが必要だと思います。いつも台風が来ると、必ずどこかで、屋根にのぼって補修をしているときに突風に飛ばされたということをよく耳にします。こういう惨事を耳にするたびに、普段の平穏な時にやるべきことをやっておくということが重要であるとつくづく思います。自分もそうですが、やらなければならないとわかっていてもなかなかすぐにできなかったり、しばしば先に延ばしてしまったりしまいがちです。しかし、こういう惨事を教訓として今やるべきことは、今やるという姿勢を新たにすることは大切だと思います。
さて、話題は変わって、先日(10/17)の日曜日に上の息子(3歳10ヶ月)の幼稚園の運動会に行ってきました。私は、無精な方ですので、世のお父さん達のように場所取りのために前日からとか朝早くから行くというようなことはしませんでした。家族で一緒に出かけ、開始時刻の数分前に到着という、いたってのんきな関わり方でした。うちの子もそうですが、年少さんでは、かけっこなどではコースを外れる子もいれば、ころんで泣く子もいるというどこでも見られそうなほほえましい様子で、みんなあまり競争という意識はなく、遊びの感覚で、じゃれあっているような印象でした。しかし、さすがに年中さんから年長さんになるとそれなりに目的意識を持っているような動きで、身体能力の差もかなりはっきりしてきている印象がありました。
我が子はといえば、かけっこなど、みんなが走るからそれなりに走るという感じでしたし、お遊戯でも他の子が両手を羽ばたいて、走っている時にも、疲れているのかやる気がないのか、羽ばたきもせずに歩いている・・・。年長さんのかけっこで、まわりが白熱しているときに、遠くに認める姿を観察すると、座ったところの目の前の砂で山を作っている始末・・・。「う〜ん・・・、さすがB型」とある種感心しつつ、自分も運動会は苦手な方だったので、自分の小さい頃を見ているような、これから成長して世の中に出て行くようになると、多かれ少なかれ、他人と競争するような場面に出くわすであろうことを思って少し心配になる一方で、自分の人生を振り返ってみると、小・中学生の頃の運動会以外あまり競争ということを強く意識したことがないまま自分自身の道を歩いてきた気もするので、「この子にはこの子の人生がある。自分の道を見つけられれば、それが一番いいことだ。」とある種、達観できるような気持ちも同時にあり、なにやら複雑な気持ちになりました。「結局は自分が満足できる自分の道を歩むことが一番大事であり、そのために何か親として手助けが出来れば、それをすればよい。何もなければ、最終的にはその子を信じて、見守っていくことしかないな。」と、幼稚園の運動会ごときで、いろいろ考えさせられました。
(遠田弘一)
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